人間の生き方

人間の生き方

精一杯・・

僕は今、本当に精一杯生きていると思うこれまで生きてきた人生のなかでこれほど精一杯生きたことがあるだろうか左半身麻痺という身体・・左半身は鉛ででできているような重さ・・それはまるで鉛を縛りつけられた奴隷のようだそんな身体を毎日引きずって生きているただ「歩く」ということにこれほどまでに注意深く真剣に歩いたことがかつてあるだろうかちょっと気を緩めると転倒するから・・それに加え、左半身の痛みと痺れとは1日24時間闘っている本当に精一杯生きていると思うもう3年になるけれど・・我ながらよく頑張ってきたなと思う健常者の頃にこれほどまでに一瞬一瞬を精一杯生きていたならもう少しマシな人間になっていただろうに・・今から思うと健常者の頃はある意味、怠惰だったと感じるでも今、精一杯生きているだから何もできなくてこのまま最期を迎えても無念ではあるけれども、後悔はしないだろう人生において無念とは時の運でも「後悔」は努力の跡だと思うたとえ「成果」がでなくても精一杯生き抜くことさえできれば後悔はないと思う無念でも・・
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粛々と・・

今の自分にできる精一杯の事をただ粛々とこなすだけだって身体機能的にも体力的にもやれることは限られているんだから・・この身体で大きな夢なんて持つことは難しいだから自分にできる精一杯の事をただ粛々としてきただけあとは人事を尽くして天命を待つ・・心構えかなやれることはやったもう動かないかと思っていたやっぱり僕ではダメかと思っていたでも・・動いていた・・これには驚いた・・とにかく僕の仕掛けた「種」によって人が大きく動いていた今後どう動くか僕にはわからないが・・・過剰な期待ははせずにただ運命に身を任せるのみやれるだけのことは粛々とやったのだから・・
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生きる権利があるから、、、

僕はなぜ生きるのか?こんなに苦しい思いをしてまで、、毎日、不自由と闘いいたみや痺れと闘いそんなにしてまで、、健常者の頃のような散策したり、スポーツしたりというような楽しみはもう無い!なのになぜ生きるのか?たぶん生きる権利があるから生きる権利といえばダライ・ラマのようだけど生きるのは義務ではない義務だったらこんなに苦しい生き方なら放棄させてもらう生きる権利の中には人と一緒に笑う権利人と一緒に泣く権利人と一緒に喜びを分かち合う権利め含まれていると思うこれこそがいきている証だと思うし、その権利を行使したい生きている限り、、あと3ヶ月で障害者になって4年4年もこの不自由な身体とこの重く、痛く、苦しい身体と付き合っていると不思議と回復なんて考えなくなるものだ。それは本能的というか実感として回復は無理と感じるものだ理性では諦めちゃいけないと分かっていても、、、だから僕は今のこの身体でどう生きる事ができるのかを考えている健常者に負けない生き方をするために、、健常者と同様の生きる権利を行使するために、、この生きる権利を行使するためにも負けない負けてたまるかこの障害のくるしみに、、
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志が僕を支える

障害によって、毎日のように悔しい思い悲しい思い身体の痛みや痺れこれらの苦しみに耐えることができるのは夢や志があるかないかによって変わると思う僕はたまたま再生可能エネルギー技術の普及という志を持つことができたそして今回、また 全く新しい再生可能エネルギー技術に出会った。さらに今回はわれわれ自身がその実証試験機の製作に関わることになりそうなのだ。僕はそれだけで十分な夢と希望を与えてもらった。そのことを考えるときだけは、自分が障害者であることを忘れることができているな気がするそして、身体の痛みや痺れさえも和らいでいるような気がする我ながら人の心の身体の影響はすごいものだと感じているどんなに辛くても、どんなに苦しくても心の中に夢や希望を持つ事が人間を苦境から脱し、乗り越えさせる大きな力になると思う。たとえ、今この瞬間がどんなに苦しくても、今のこの世の中がどんなに閉塞感があると言われても、心の中に夢と希望を持つのは自由だから、、よく言われるような、「夢や希望をことができる社会や経済環境」なんて言うものは存在しないのではないかと思う。身体にどんな障害があっても、身体がどんな状況であってもそして、世...
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気持ち維持するのはむつかしい

半身麻痺になってもう4年、、毎週リハビリには行っているけれど、何の回復の兆しもない毎日が苦しい、不自由、そして痛いこんな状況を僕はどう捉えれば良いのかなぜ、こんなに苦しみ続けなければならないのか回復の出口がみえない、兆しも見えないだから毎日が心の葛藤の日々、、葛藤しない日はない葛藤しても出てくる答えはいつも同じ、でもその自分なりの今の状況を乗り換えるための答えの気持ち答えは同じでも、それで自分の心を支える事ができるなら、何度でも自分に言い聞かせなければならないその気持ちを維持するためにここで記事を書いて、自分で読み返して壊れそうな心をギリギリの線で維持しているいつまで同じような葛藤が続くのか自分でもわからない多分、生きている限り、終りの無い心の闘いなのだろう
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生き疲れ。・・・

こうも四六時中痛みと痺れに襲われているとさすがにイヤになってくる・・生きることそのものが・・それでも弱音は吐けない・・吐かない・・与えられた人生だから・・こんなことを書くのもバーチャルな世界だから・・せめてバーチャルな世界でくら本音を書かせてほしい・・リアルな世界では「大したことないよとか、大丈夫だよ」なんて言ってるけど本当は泣きたいほど辛いときがある。それでも生きなければならないなぜなら・・生きているから・・生きる権利があるから・・笑う権利もあるから・・そして生きがいを感じる権利もあるから・・だから生きる 生きるのに疲れることはあっても「決して負けない!」心の中で今、そう叫んでいる
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僕の想い

正直言って一日に何度も何度も、もうこんな身体でいきるのはイヤだって思うその都度自分で自分を勇気づけているそんなこと思っちゃいけないと・・このブログもそんな自分を元気づけるために自分のためにっ書いているのかもしれないでももう本当に疲れているんだよねこんな身体で生きるのに・・だってあと2か月でもう4年4年も身体が不自由でしかも痛みに耐え続けている4年は長すぎる生き疲れるというかもうイヤになるなんで生きていかなきゃいけないのか?人は生きなきゃいけないって言うtけど自分で生きる理由を見つけようとするけど正直見つからない・・こんなに毎日が辛いと・・どこまいっても辛いだけの「生きる」いつまでもいつまでも・・終わりがないなぜこんな生き方しなきゃいけないの?誰も答えてくないこんなことならさっさと人生の幕を閉じたいそれが正直な気持ち・・でもその前にせっかく生きてきたんだから誰かに感謝される人間でありたい人の役に立ちたい人の役に立ちたいなんていう前に自分の女房子供を守れよって言われるかもしれないけれど今の僕には今が限界・・すまないと思っているけど裕福な生活なんてさせてやれない。所詮は半身麻痺の障害者・・で...
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ブッダやお釈迦様に憧れる理由

生きているのが苦しいからその苦しさに負けたくないからその苦しさ負けず、強くなりたいからその強さとは、特定の相手を倒すというような強さではなく、どんな苦しみにも、どんな悲しみにも或いはどんな怒りにもそして、どんな憎しみにも決して動じず、常に心が平静でいられるそんな強さを持ちたいからブッダやお釈迦様のような生き方に憧れるのだと思う心が平静でありたいからどんなときでも精神の平静を常に保ちたいからそれは心の安寧・・・今の僕は苦しいからこそ苦しんでいる弱い人間だからこそ憧れるのだと思う
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苦から逃れる術

僕の苦から逃れる術・・それは僕の苦の根源が病や障害そのものではないということから病の治癒を、障害の克服を目標や希望にしても苦から逃れることができないことに今頃気付いた。病(障害を負った)の結果起こった思わぬ人間関係のトラブル予想だにしてなかった・・それがトラウマになり痛みや痺れまで憎悪させてしまっているそれを今頃悟った・・ならば、やはり病の治癒とは違う人生目標・・というか、それらトラブルをすべて飲み込むレベルの胸を張れる志を達成するしかないのだろう今、この瞬間、決めた新たな志 どでかい志・・今ここでは言えないけど・・すぐに動くつもりだ・・一か八か!行動あるのみ!身体は動かずともできることはある!
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ドクターキリコの言葉が今僕の心に染みる

僕は高校生の頃、少年ジャンプに連載されていたブラックジャックに嵌っていたそのとき、ブラックジャックの宿敵でもある安楽死請負人のドクターキリコがブラックジャックに向かって言った言葉を、今頃思い出した。そして、今の自分の心に強く響いてしまうのはなぜだろうあれほど嫌いだったのに、、-------------------------------------生き物は死ぬときには自然に死ぬんだ・・・・・・それを人間だけが・・・・・・無理に生きさせようとするどっちが正しいかね--------------------------------------でもこれに対するブラックジャックの言葉も今でも好きだな・・----------------------------------------それでも私は 人をなおすんだっ 自分が生きるために!!-----------------------------------------