「負け犬になりたくない」が僕の人生の本質


「負け犬になりたくない」僕はずっとそう思って生き抜いてきたつもり。

それは僕がまだ中学生の頃の事。水泳部だった僕だった

その水泳部は県下ナンバーワンというくらいの練習量とスパルタ監督

今なら、体罰教師だ!暴力教師だだ!パワハラ教師だと言われたであろう監督だった

僕はその体罰にも「頑張れ!もう少し耐えろ!そうしたら勝てるぞ!」

という声が聞こえていた。

だからその体罰にも監督の「愛」さえ感じていた。

だから、厳しいスパルタ練習にも耐えれた。

今の若者達にこんな事を言っても「洗脳されていただけじゃない!」などと
受け入れられないだろう。

でもこれは実体験した人間にしか分かりません。

決して洗脳されていた訳じゃない!

そんなスパルタ練習に耐え続けた中学3年の秋の中学での最後の県大会・・

練習なら1位(優秀賞)できるタイムを出せていた。

しかし、本番の秋の中学での最後の県大会当日
緊張していたのか2位だった・・

僕はそれにショックを受け、受験の勉強に専念したいという「言い訳」をして
退部を申し出た。

そのとき監督に言われた言葉・・

「そんなことでは一生『負け犬』の人生になるぞ!」

この一言で涙があふれ出てきた、

その涙もその日の間中、止まることはなかった。

これはトラウマになり兼ねない言葉なのだろう。

でもそれからの僕はこの言葉「一生負け犬の人生になるぞ!」がバネになった。

苦しい時にはいつもそのときの状況が頭によぎり

「負け犬なんかなってたまるか!」

と心の中で叫んでいるようになった。

脳出血で倒れ、リハビリ病院でリハビリ中もずっと

「負け犬なんかなってたまるか!」

と心の中で叫んでいた・・

この後自分の会社を倒産させ、自らも自己破産したときも

「負け犬なんかなってたまるか!」

と心の中で叫んでいた・・

現在でも同じだ

半身不随の身体で辛いときはいつも

「負け犬なんかなってたまるか!」

と心の中で叫んでいる

そうすると心の底から力がみなぎるのだ。

こういう出来事がトラウマになるかどうかは

その出来事の捉え方次第だと少なくとも僕は思っている

そういう意味でも決してパワハラや体罰が絶対悪とは言えないと

少なくとも僕は確信してている

逆にそういう「逆境」こそが人を強くすると思う

現在のような

ウクライナ戦争や中国の尖閣諸島侵攻の危険や北朝鮮の核威嚇等戦争の危険が迫る

厳しい世の中こそ、

そういう「体罰やパワハラ等の逆境」に耐え人を強くしなきゃいけないと考えるのは

僕だけなのだろうか?

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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