涅槃とは一切の煩悩から解脱した
状態であるため、煩悩に苦しめられる事が
なくなり心が安寧すると
釈迦は言っているけれど、
煩悩とは言い換えれば執着(しゅうじゃく)を
意味し、その執着をなくすことが
煩悩をなくすことなると言っている
その執着とは俗に言う色欲や食欲や
金銭欲のようなものだけはなく、
生存の欲求さえも執着してはならないという
それならば、
本当に煩悩をなくせることができるのは
死しかないのではないかと思うのだ
確かに死んでしまえば、
何の欲求も消え去るわけだから、
全ての煩悩から解放されると
いうことにはならないのか
確かに原始仏教では涅槃を
「釈迦や聖者の死、つまり入滅のこと」
を言うらしいから、
やはり死ぬ事でしか
涅槃の境地にはなれないのではないのか?
だとしたら、
死ぬ事も悪くないと僕は思ってる
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。


