「もう~はできない」という言葉は、切なさとともに人に取りつく。
絶望感を刺激して人を悩ませ、必要以上に膨らみ、希望を侵食していく
私は左手足が不自由になってから、あれもできない、これもできないと
「できない症候群」に陥りました。
「もう二度と走ることができない」というような感傷が毎日頭から離れることがなかった。
そんなある日、友人とテーブル越しにイスに座って話をしていたとき、
ふとこんな疑問が舞い降りました。
「座って話している自分は、周りの人と何も変わらないじゃないか。
そうか、座っているときに走れないことを悩むのは、無意味だ・・」
と・・
毎日悩みすぎていた私は、座っているときにも走れないことについて悩んでいる
自分に気づくことができなかったのだ。。
あたりまえのことだと思うかもしれませんが、そんなことに気づけなくなるのが
「できない症候群」であり、「もう二度と、いや一生●●ができない」という
言葉の魔力ではないだろうか
そんなあたりまえの「気づき」だけで、見えてくる世界が変わってた。。
それからの私は走らなくてもできることが多いことに気づいたり、
準備さえすればでさることが見つかったり、
クルマを運転しているときには他の人と変わらないスピードで走ることができることを知った。
流れる最色、入り込む疾風、すべてが変わってしまったわけではない。
「不変」のモノはまだいっぱいあるじゃないか・・
そう考えるとどんどん復活思考は加速していきました。
障害者になってしまった事できなくなったことを受け止めるなのは簡単ではありません
でも、こんなことが私の気持ちをラクにすることの始まりで、
新たな一歩を踏み出すキッカケとなったと思う。
過酷な現状に我を見失っていても、自分を認めていく作業を継続すると、
「不変」のモノに気づくことができる。
「不変のモノ」が見つけられたら、未来は変わって見えてくる・・
そして明日の話が、来週の話ができるようになる
明日の話や来週の話ができるということは未来の話ができているということ
未来の話ができているということは希望の話をできているといことに気付きはじめた・・!
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。