でも
志というか、やるべき事というか自分の目標が鮮明に明確になったときには
痛みに耐えられるような気がする
僕の場合、たまたま日本の再生可能エネルギー技術の普及をしたい・してあげたい
という想いというか、志のようなものを持つ事ができたけれど
それは決して大きな「野望」でなくても
自分か心から「やりたい」と思うこと
或いは「やってあげたい」「やってあげなければならない」
というような事でも良いと思う
例えば 僕の場合、上述のような志とは別に
、この身体でも子供のために(どこかに)「連れていってあげなければならない」
とか「(辛くても)生きてあげなければならない」というようなものだ
そんな目標や目的が「鮮明に」明確になると
痛みに耐えて頑張っている自分がいる・・
ひとりのときは思い切り凹んでいるにも関わらず・・
これは人間の心の持つ不思議な作用ではないだろうか
昔、第二次世界大戦でアメリカ軍がイタリアに上陸したときのことだそうです。
7Oパーセントの兵士が重傷を負っていたにもかかわらず、
痛みを感じず鎮痛剤を要求しなかったという事例があるそうです
戦場で負傷した兵士たちが痛みを感じず、
戦いつづけることはよくあるらしい。
まるで脳(心?)が痛みの「ゲート」を閉じて、
戦っている兵士たちに「ともかく安全な場所に移動しろ」と促すように・・
そして安全が確保されてから、
ようやく痛みの信号が脳に送られ、痛みに苦しむらしい。
つまり「やるべきこと」あるいは「やりたいこと」
この場合(「生き抜かなければならない」という目的)が明確になったとき、
人間は激痛さえも乗り越えることができるという証明ではないだろうか
モノに溢れた、そして科学や医学の進んだ現代社会では、
こういった心の作用を疎かにしているのではなかろうか
自分の経験からも
もっとこういった心の作用を大切にしなければいけないように思う
それは決して大きな「野望」でなくても
自分か心から「やりたい」と思うこと
或いは「やってあげたい」「やってあげなければならない」
というような事だと思う
例えば
この身体でも子供のために
(どこかに)「連れていってあげなければならない・あげたい」
とか「(辛くても)生きていてあげなければならない・あげたい」
というようなものだ
そんな目標や目的が「鮮明に」明確になると
痛みに耐えて頑張っている自分がいる・・
ひとりのときは思い切り凹んでいるにも関わらず・・
これは人間の心の持つ不思議な作用ではないだろうか
昔、第二次世界大戦でアメリカ軍がイタリアに上陸したときのことだそうです。
7Oパーセントの兵士が重傷を負っていたにもかかわらず、
痛みを感じず鎮痛剤を要求しなかったという事例があるそうだ
戦場で負傷した兵士たちが痛みを感じず、
戦いつづけることはよくあるらしい
まるで脳(心?)が痛みの「ゲート」を閉じて、
戦っている兵士たちに「ともかく安全な場所に移動しろ」と促すように・・
そして安全が確保されてから、
ようやく痛みの信号が脳に送られ、痛みに苦しむらしい。
つまり「やるべきこと」あるいは「やりたいこと」
この場合(「生き抜かなければならない」という目的)が明確になったとき、
人間は激痛さえも乗り越えることができるという証明ではないだろうか
モノに溢れた、そして科学や医学の進んだ現代社会では、
こういった心の作用を疎かにしているのではないだろうか
自分の疼痛の経験からも
もっとこういった心の作用を大切にしなければいけないように思う
投稿者プロフィール

- 代表
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。