僕は健常者の頃、死が怖かった
(誰でもそうだと思うけど、違うかな?・・)正直、もし死ぬのなら、
もう生きていたくないというほど苦しんで死にたい。
つまり「死が恐い」という状態で死を迎えたくない
と思っていた
もっと簡単に言うと「死にたいと思って死を迎えたい」と思っていた
僕の知っている人でヤクザまがいの人がいる
その人はいつも「俺は死ぬのなんか怖くいない!」と
啖呵を切っていた
その人が数年前、癌を宣告され、余命を宣告された
そのとき僕に打ち明けた
夜、死が怖くて涙で布団がずぶ濡れになったと・・
人間って
それほどまでに死が怖いのだ。
だから「死が恐い」という状態で死を迎えたくないと思っていた
障害者になることによってその願いというか、思いが皮肉にも叶ってしまった
僕は半身不随という障害を負うことによって、とてつもない不自由を強いられ、
またその痛みと痺れに襲われ続けるという苦しみを強いられることによって
僕ははじめて「死」よりも辛い「生」というものが存在することを知ったような気がする
この3年間に何度死にたいと思ったことか・・
障害を負った当初自分の会社を破産させてしまった。
自己破産もした
でもこの身体では再起する術は全く見いだせなかった
それどころか息子に父親らしいことさえできなくなってしまっていた。
生まれてはじめて「死にたい」と思った
死が怖いなんて全く思わなかった
だってそれ以上に生きているのが辛かったから・・
でも今僕は生きている
なぜ?
僕にもよくわからない
少なくとも自分のためではないと思う
自分のためならとっくに死を選んでいるだろう
だってその方が苦しくないんだから・・
でも
自分の死によって
自分の苦は無くなるかも知れない
その代わり
息子や妻、そして老いた父や母を苦しませることになる
だから死を選ばない
自分が生きる苦しみに耐えることで
そんな事(悲劇)が起こることを抑えることができるなら耐えて生きる
今僕が生きている理由はそんなところかな・・
少なくともこの豊かな日本で
「死ぬ事」よりも辛い「生きる」が存在することを知ったことだけでも
僕の人生は人より何倍も有意義だったかもしれないと思う
ベトナム在住の知人と最近FACEBOOKで久々に「出会った」
彼曰く「ベトナムでは障害者は道端で物乞いをして生きていくしかないという」
こんな僕よりもずっとずっと「死ぬ事」よりも辛い「生きる」に
耐えている人たちがいる事を知るにつけ、
僕は生きなければならないとあらてめて思った。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。