と聞かれたらはっきりとこう言えます。
「つながり」のために生きています。。と・・
お金のためでもありません。
地位や名誉のためでもありません。
ただ人との「つながり」が欲しいから生きる。
本当にそう思っている。
僕が半身麻痺の障害者になった当初、ほとんど身動きが出来ず、
自宅で一日中部屋の天井を見て過ごさなければならなかった。
それは恐ろしいほどの孤独だった。
うまく言葉に出来ないけれど、脳出血によって障害者となり、
それまで築き上げてきた会社は破産、自分自身も父親として、あるいは夫として
必要な能力まで、いろいろなものを失った。
そんな絶望感の中で、一人では外出も出来ず、部屋のベッドで寝ていた日々。
孤独だった。。。
それは死ぬほど孤独だった。
何もできない状態で孤独であるということは
それは恐怖以外の何物でもなかったように思う
こんなことなら本当に死にたいと感じた。
そのときの経験から僕は孤独というものを最も怖れている。
だから僕は常に「人とのつながり」を感じていたい。
それこそが僕にとって生きる価値であると感じています。
僕だけでなくどんな人間にとって孤独は恐怖なのだと思います。
昨日NHKで放送していた番組で、
昔、アメリカで 身寄りのない赤ちゃんを育てる施設で
充分な衣・食・住環境が与えられている施設で
2歳までに70%が死んだという放送をしていた。
充分な衣・食・住が与えられていたのに・・
何が足りなかったのか・・
唯一足りなかったのは(親とのふれあいような)コミュニケーションだったという。
つまり赤ちゃんは「孤独」だったのだ。
孤独で死んだのだ。
人間はひとりでは生きていけない。、
お互い助け合わないと生きていけない。
それ赤ちゃんは本能的に知っていて自ら死を選んだのではないかと僕は思う。
いわゆる「孤独死」をしたのだ。
人間はお互い助け合わないと生きていけない。
だから人間は本能的に孤独を嫌う
人間は孤独にならず、つながりを持つために「人の役に立つ事」を
しなければならない事も本能的に知っているのだと思う
。
だから人の役に立ちたいと思うし、
自分が人の役に立っていないと感じると不安を覚えるのではないだろうか。
人とのつながりを持つために必要な事は人の役に立つという事と同時に必要なことは笑顔だという。
相手(人)の役に立ていると感じれるからお互い笑顔になれるのではないだろうか。
だから僕も障がい者になったとき
人の役に立たない人間になってしまったのではないかと感じたとき、
本能的に人の役に立つ人間であり続けたいと思ったのでないだろうか。
身近なら、、子供の役に立つ父でありつ続けたい。
妻に役に立つ夫であり続けたい。
だからこそ今は障害者で、左半身はロクに動かず、毎日が痺れと痛みとの闘いだけれど、、、
それでもどんな小さなことでも良いから「役に立つ」人間でありたいと思う。
「役立たず」だとだけは思われたくない。
人との「つながり」がほしいから・・
今やっていることもただそれだけのため・・・
たとえこのこ後遺症が治ったとしても孤独なら、人とのつながりがないのなら生きたくなんてない。
不老長寿なんてとんでもない。
少なくとも僕はそう思う。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。