そして自分に対する「自信」ではないかと思う。
それは決して自己を過大評価するのではなく、「自分を信じる」ということと思う。
根拠なき自信でも脳(人の心)は、人間は、自信を持つものだと思う。
から信じるということはとても大切なことだと思う。
なぜなら信じることができると、たとえ根拠がなくても心が前向きになるものだ。
心を前向きになる結果として意欲を持つことができる。
そもそも世の中自体不確実性に満ちている。
そのなかでも人間は生きている。
明日、自分は死なないなんていうことは絶対にわからない。
皆何の根拠もなく、明日、自分は死なないと信じている。
人間は生きている間、様々な節目、節目があり、そして日々さまざまな判断をしている。
これはコンピュータなどには出来ない判断だ。
なぜなら、日々の生活でさまざまな判断をする時必ずしも判断に必要な情報は
全て整っているわけではないから。
ではなぜ人間は判断が出来るのか。
それは人間の持つ感情というももが、心というものは大きな役割を果たしているのではないか。
自分はどういう学校に入ればよいのか。
何を専攻すればよいのか。
どんな仕事につけばよいのか。
そして自分はどんな才能があり、どんな職種が良いのか。
これらのことを前もって予測するなど不可能ではないか
なぜならこういった判断にも必要な情報を持っていることはほとんど有り得ないから・・
もちろんある程度どうなるのか想像くらいは出来るがが、それは的確なものではない。
そんなことわからなくて当然なのです。
たとえば恋愛や結婚などが典型的なものではないか。
もちろん年齢だとか、出身地だとか、家柄などがそういった情報は入手可能だ。
、
でもそれらの情報は上辺だけのものです。相手の人間性を表すものではない。
だからその情報だけでその相手を選んでも幸せになれるなどという根拠は持てるはずがない。
うまく行くかどうかなんて全くわからないじゃないか。
うまくいく確率が何%かなんて絶対にわからない。
そんな情報はどこにもないのだから。。。
恋愛や結婚という行為こそ、不確実性の最たるものではないのか。
でも皆、恋愛もするし、結婚をする。
そんな不確実な行為なのになぜ平気でできるのか。
それは意欲であり、信じる心に違いない。
この人と幸せになりたい・・という意欲。
この人を信じようという心。。
そんな人間の感情や心が不確実性の高い行為に対して判断を下すのではないだろうか。
それこそが、十分な情報が存在しない中で判断することができる人間の能力だと思うのです。
だからこそ、心が大切なのだ。
信じるという姿勢が大切なのだ。
僕自身、、自分が脳の手術を受けるとき、今後もいつ再出血するかもしれないという恐怖に打ち勝つために
僕は自分の生命力を信じることにした。
そこにはなんの根拠もなかった。
ただ「自分の生命力を信じる」という根拠のない自信。
それだけが心の支えになった。
そしてそれだけでこの2年間生きてきた。
そして意欲をもつことができ、結果として希望をもつことができたと感じている。
意欲は知恵の源泉だ。
ん
自分のさ再出血による死の確率に対して、この2年間、僕は自分自身の生命力を信て生きてきた。
そして息子が脳手術をしたときは息子の生命力を信じた。
そこには根拠などなかった。
それでも信じることにより心が安らぎ、結果として心(脳)のストレスが少なくなり、
体への指示命令系統にも良い影響を与えるのではないだろうか。
そしてその結果「信じる」という実に非科学的な心の行為によって
体が回復する可能性もあるのではないだろうか
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。