人間を襲う苦境とその中で生きる意味


人間は何のために生きているんだろう.

このテーマは、僕が脳出血で半身不随の障害者になってしまった時からずっと考え続けてきたことだ。

人間生きている間さまざまな苦境の波に出会う。

たとえまじめに一生懸命生きていても、そんなことは関係なく病気にもなるし、今回の震災のような災害にも合うものだ。

人間、何もかも奪われてしまったとき、たくさんの大切なものを失ってしまったとき、

これから何を目標に生きていけば良いのかわからなくなってしまう。

「あなたは何のために生きていますか」

と聞かれたときにみなさんは何と答えるでしょうか。

ある人は「ビジネス成功してお金持ちのため」と答えるかもしれません。

またある人は「政治家になりたい」と答えるかもしれません。

またある人は「オリンピック金メダルを取りたい」と答えるかもしれません。

またある人は「医師になって病気の人たちを助けたい」と答えるかもしれません。

いずれにしてもどの人も皆それぞれの「自分の幸福」を目指しているのだと思います。

しかしその目指しているものがある日突然なくなってしまったとき、

人間は苦悩します。

順調に自分の目ざすものに進める人なんて殆ど存在しないと思います。

そんな状況になったとき、人間は何のために生きていても良いのでしょう。
もし、「自分の目指していたもの」にしか幸福を感じことができないのであれば、

それを失ったとき2度と立ち直れないほどの苦しみを味わうことになるでしょう。

なぜそれほどまでに苦しむのか、

それはきっと自分が求めていた生きる目的や生きる意味を間違えていたから
ではないかと思うのです。

僕も障害を負った当初苦しみました。

会社も失い、お金も失い、、人間としてごく普通の身体の機能も失い
仕事もできなくなり、それまで持っていた夢や希望はすべてなくなってしまいました。
本気で死を選択しようとまで考え自宅のベッドの下には常に牛刀を隠し持っていました。

でも僕は、こんな身体になっても、子供とか家内を守らなければならないという。
一家の主としてのプライドだけは残っていたと思います。

そのプライドがなんとしてもこの苦境を乗り越えなければならない。

精神的にも乗り越えなければならない。

そう考え、生きることの意味を必死で考えました。

自分がそれまで「楽しい」とか「生きがい」と感じていたことのほとんどすべてが
できなくなりました。

お金を稼いで南の島の理想リゾートに行ってマリンスポーツを楽しむ。

とか

高級車に一度乗ってみたいというような夢や希望も無意味になってしまいました。

だってこんな体ではいくらお金があってもマリンスポーツやスポーツカーの運転など
2度とできないのだから、、、

要するにそれまで僕自身が生きる目的あるいは「生きがい」と感じていたことが、
すべてできなくなってしまったのだから、何のために生きればよいのかわからなくなってしまった。

だから苦しみました。苦しみ続けました。

一体この苦しみはどこから来るのか・・自問自答しました。

人間にとって幸福とは何か

僕がそれまで考えていた僕にとっての「幸福」はいつかは失ってしまうものではなかったのか、

いわゆる「お金や財産、地位、名誉」といってものです。

苦悩する根本はこういったいつかは必ず失うもの・・つまり人間の持つ欲望というのでしょうか。

そういうものを目標にしていたからではないかと思うようになった。

では人間にとって幸福とはいったい何なのだろう。

現在の僕の中での結論は「人とのつながり」です。

人とつながることこそ生きている意味だと思うのです。

人とつながることができることが人間にとって最も幸福なのではないかと考えています。

「人とつながる」・・

たとえばたくさんの友達を作ること

たくさんの人間と交流ができること。

僕は今、人と交流している、つまりコミュニケーションをしているときが最も幸せと感じています。

そのためにはコミュニケーションできる人(友人または自分を慕ってくれる人)を増やさなければなりません。

そして、コミュニケーションできる人を増やすためには、

自分が相手とって有益な人間であることが大切なのではないかと思います。

「有益」という言葉は打算的で適切ではないかもしません。あえて言うなら自分が、相手にとって「存在価値がある」
人間でなければならないのではないか。

たとえば
「この人といっしょにいると楽しい」

とか
「この人といっしょにいると勉強になる」

とか
「この人といっしょにいると元気になる」

といったものではないかと思っています。

つまり「人の役に立つ人間」で会うことが生きる目的であり、結果として自分の幸福につながるのではないか
と思っています。

だからこそ、障害者になった当初、「自分が何の役にも立たない人間」になってしまったという思いに
陥ってしまったので苦しんだのだと思います。

自分の存在価値を見つけることができなかった。

幸にも今は、NPO法人を立ち上げるという過程のなかでたくさんの人と出会うことができ、
こんな障害者の自分でも必要としてくれる人が少しずつ現れてきている気がする。

そしていろいろの人とコミュニケーションができていることで、僕は過去に持っていたような夢や希望がもう
二度とできなくなってしまっている自分に気付いても苦しいと思わなくなりました。

そんなことから僕は、人間の生きる意味は「人とのつながりを持つこと」と言いたいですし

他の人はどう考えるか分かりませんが、僕自身はそう信じています。

今回の大震災の被災者の人々が復興するために最も必要なことは、「人とのつながり」ではないかと、
思うのです。そこから魂の元気が生まれ、本当の復興につながるのではないかと思います。

その意味では物質的な支援だけで復興できるものではないと感じます。

そのあたりを政府は理解して何をすればよいのかを考え支援すべきだと感じます。

あの阪神大震災の時でも仮設住宅でどれほどたくさんの人が孤独死したか、
ほとんど建物やライフラインなどがほとんど完全復旧した段階で被災者にマンションを提供しましたが、
その被災者向けのな灘区にあるマンション街でもどれほどたくさんの人が孤独死したかを思い返し、
復興計画を作らなければならないだろう。

必要なのは十分な設備を持った住宅何度も「モノ」でもなく、「お金」でもないのです。

人間は「モノ」と「お金」だけが生きる目的ではないのです。

いくら「物質的豊かさ」を享受できても、また「福祉施策」によって物質的・金銭的に生活支援してもらっても、「人とのつながり」が享受できなかったり、自分の存在意義」が感じられなかったりすると人間は生きる意味や目的を失ってしまうと思うのです。

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
タイトルとURLをコピーしました