すべては心次第である。
心が弱くなってしまうとすべては終わりだ。
辛いと思えば辛くなる。
心は強くなければならない。
「強い」という意味は「敵に勝つ」というような強さではなく、
「苦境に耐えることができる」という意味での強さだ。
この強さがなければ人生、生きてなんていけない。
この心の強さはどうやって生まれるのか
それこそ苦境が心を強くするのではないか
今回の東北大震災報道の中で「東北の人間は強い苦境に耐えることができ笑顔で答えられる」
といっている人がいたが、
僕はちょっと違うと思う。
東北地方という自然環境自体が苦境そのものだったので東北の人たちは心が強くなったではないか。
「心が強いから不苦境に耐えることができる」のではなく、「苦境に遭遇するから心が強くなる」
のではないか
たくさんの苦境に遭遇するからこそ苦境に耐える「心の持ち方」を体得できるようになったのではないか
それに引き換え現代の日本には「心の病」を持つ人が増えた。
これは日本が平和で裕福になってしまったことが原因ではないだろうか
いわゆる「平和ボケ」の一つではないだろうか
先般、石原慎太郎知事の「天罰だと思う」という発言に対して猛烈な批判が出たが、
僕はある意味石原慎太郎知事の言おうとしたことがわからないでもない。
被災者にとって「天罰」などと言われると、たまったものではないのは理解できるし、
被災者をきわめて傷つける失言だったことは否めない。
しかし日本人全体に対する「天罰」というのであれば同意できる。
「(日本人は)一度我欲を洗い流す(必要がある)」という発言には一理あると思う。
確かに今の日本人はあまりにも裕福すぎて
裕福が故に欲が欲を呼び、我欲が強烈になり強欲になってしまっているのではないだろうか。
そしてその欲(強欲)が満たされないと心が病んでしまう。
そんなスパイラルに陥ってしまってはないだろうか
苦境の中に身を置いてこそ、苦境を受け入れるために
我欲を捨て去るための術を心が身に付けるものではないだろうか。
僕自身、体が不自由になって、無職無収入になってしまい
こんな苦境になってしまってからというもの、昔の自分に比べ我欲が相当少なくなったと思う。
だって今まで持っいた欲なんてほとんど満たすことのできない身体になってしまった今、
、
我欲なんかを持ってもいたら、その我欲が満たされないために苦しむのだから、、、
すべては心の問題だ。
心が弱いと生きていけない。それが人の人生ではないだろうか
人間の人生そんなに甘いものではない。
少しでも心が弱くなったらあっと言う間に奈落の底に突き落とされてしまう。
だからこそ、自分の心が強くあるためにどうすれば良いのかを追求し続け、
そして日々が心の修行でなければならないと思う。
僕が身体が不自由になったことも、毎日痛みとしびれに苦しまなければならないことも、
心を強くするために与えられた苦境であり、修行に違いない。
投稿者プロフィール
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。