それは死ぬまでに一度で良いから「キリマンジャロ山の頂からアフリカのサバンナを眺めること」だった。
アフリカのサバンナ・・
それは「人類発祥の大地」としてなぜか僕のあこがれだった。
何か新たな価値観を見つけることができるかもしれない。
価値観の大転換が起こるかもしれない。
そんな期待もありチャンスがあれば一度は行ってみたいと思っていた。
幼いころテレビで見たジャングル大帝のアニメの影響かもしれないが、
僕の心の中では
無限に広がる草原・・・・
果てしない地平線・・
そんなイメージがあり僕にとって憧れの地だった
脳出血で障害者になってからというものそんな夢はころっと忘れていた。
心のどこかで「こんな体になって到底アフリカになんてできるはずがない」と
自分で自分を制限してしまっていたのではないだろうか
そして僕の「本当の夢」を忘れていたのではないだろうか
いつのまにか「健常者にもどること」が大きな目標になってしまっていたような気がする。
健常者に回復することも果てしない目標だけどそな健常者に戻ることを人生の目標にして
はいけないのではないだろうかと感じた。
せっかく人間に生まれてきたのだから、
普通の人間(健常者)が持つような夢をいつまでも持ち続けてなければならないのではないか。
「健常者に戻る」などという目標は単に「不満足の解消」であって、所詮は自分のモチベーション
に対してハーズバーグの言う「衛生要因」にしかならない。「動機付け要因」にはならない。
そこから人間としての生きがいや前向きなモチベーションは生まれない
そんなことに今朝気が付いた。
やっぱり障害者であっても健常者に負けないくらい大きな夢を持とう。
持ち続けよう。
果てしない可能性に挑戦し続けることこそが僕の生き甲斐だ。
もちろん絶対に不可能なこともある。
例えば
いつかミクロネシアの海でフリーダイビングで水深50mまで潜りクジラと触れ合いたいという夢もあった。
これは無理だろう。
これは無理であってもこれに勝るもっともっと大きな夢なんていくらでもあるじゃないか。
それを探せば良いじゃないか。それだけのじゃないか。
健常者に戻るだけの夢なんてつまらないじゃないか。
確かに風邪などの病気になったときは、その病気を治すことが第一の目標になる。
その病気を乗り越えないと次の目標が達成できないからだ。
でも僕の場合、障害の回復を第一目標にしていたら、
いつまでたっても氏人間としての生きがいを得るためのいわゆる「自己実現」の目標は達成できない。
どんな状況であっても大きな夢を忘れない。
自らができないと思ったらその瞬間に絶対に不可能である。
大きな夢、大きな希望
他人が聞けば「バカじゃないか」と思われるようなそんな夢を続けよう。
そんな夢こそ、僕にとって「希望」になり、前向きに笑顔で生きていくために必要な夢ではないだろうか
いつのまにか潜在意識の中で消え去ってしまった夢を
もう一度自分の心の中に取り返そう!
限りない可能性に挑戦できるのが人間ではないか
そうして挑戦し続けていれば、
たとえその夢が達成できなくとも後悔しないのではないか。
挑戦をあきらてしまったとき、、、
そのことの方が大きな後悔になるような気がする。
夢を実現するために、今何ができるのか、
そんなことを考えている方が楽しい
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。