僕が生まれて初めて死を覚悟したのは昨年三月の脳血管バイパス手術の時だった。
出血性もやもや病の場合再出血の危険性があるということでそのリスクを少しでも減らすための手術でした。
血管同士の直接吻合をする手術でした。
直径 0.2ミリの血管同士を吻合するという難易度の高い手術だった。
しかもそれは顕微鏡を見ながらの手技による手術だった。
人間が手技で行う以上、どんなに名医であっても「完全」はあり得ない。
そのことが何を意味するか十分理解していた。
少しでも手元が狂い血管もしくは脳細胞を少しでも傷つけてしまえば「最悪の事態」になるとは自明の理である
インフォームドコンセントでは確率の話をしてくれるが本人にとっては確率の問題ではない。
つまり一定の確率で死ぬことがあり得ることだ!
僕は何が起こってもおかしくないという覚悟をしていた。
そして手術・・
全身麻酔のためのマスクをはめられチューブが差し込まれてきた。
「はい大きく息をしてください」
目の前には主治医の顔が見えている
周りを見渡すと助手が数人見えている。
「いよいよだ・・」
心の中で「覚悟」した。。
「今見えている手術室の光景が僕が見る最後の景色かもしれない」
という思いが一瞬頭の中をよぎった・・
南無三!
眼を閉じた・・・
大きく息を吸った・・最後の息か・・・
次の瞬間
「はい!起きてください!」という声が聞えた
5時間の手術は既に無事終わっていた・・別の世の中に目覚めてきたような感覚
ここはあの世か・・そんなこと思いながら麻酔から覚めてきた。
それが僕が生まれて初めてと本当に死を覚悟した瞬間だった。
あっという間のことだった・・
本当に死ぬ瞬間というのもこんな感じなんだろう・・
もしかしたら「悲しむ」という瞬間さえも与えられないのではないだろうか。
そして次の瞬間、僕は「無」になっている。
同時に僕の世界も消滅している
なーんにもない「無」
真っ白でもなく
真っ黒でもなく
真っ暗闇でもなく
「無」なのである。
世の中も「無」になっているのではないだろうか
もしも輪廻転生というものがあるとするなら、
意識が消えたその瞬間「オギャー」と目が覚めるのかもしれない。。
今までの記憶もなーんにもなく「新しくできた世の中」で、新しい「母」に抱かれて・・・
そんなことを感じているせいか死に対する恐怖感は今の僕にはない。
だって今を生きることの方がずっと辛いんだから・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。