人間の生き方

本気で生きているか。

僕は、健常者の頃はしばしば自分に対して「自分は真剣に生きているか」と問いただすことがあった。それは仕事などに行き詰まった時、僕の尊敬する松下幸之助の著書「道を開く」という本の中にある「真剣勝負」というページを思い出し、自分に言い聞かせていたものだ。しかし「本当に真剣か」と自分に問うてみると、自分で自分に対して答えに窮していたのが本音である。「真剣勝負」とはその名の通り、竹刀や木刀などではなく斬れ味鋭い真剣で勝負することである。一瞬の気の緩みが死を招く。そんな状況である。日ごろから常にそのような姿勢で仕事に取り組んでいるか生きているかと、問われると正直言って答えに窮していた。不思議なことだがこうして障害者になってしまった今、「本気で生きている。毎日真剣勝負で生きている」と堂々と言えるのである。それはたぶ出血性のモヤモヤ病による脳出血を患ったため、通常血圧であっても再出血のリスクが高いという状況であり、常に「死」という文字が頭の中にあるからだろう覚悟はできている。そんな気持ちの中から「本気で生きる」姿勢が生まれてきたのだろう。それはとても幸せなことでもある。。なぜなら日々本気で生きていると...
人間について

世界一かわいそうな人

くだらないスパムメールが来た。いわゆる詐欺まがいの情報商材の勧誘メールだ以下がメールの内容だ。件名:年末年始、お金があるほど心に余裕が生まれるものです。メール内容────────────────────────これをご覧になった皆様に幸せになってもらいたい。それが私たちの本音ですが、今回、早い者勝ちの限定でお教え致します。いますぐご覧ください────────────────────────上記のリンク先を見てください。(ウィルス感染はしないです)競馬必勝法だそうですバカらしいとか腹が立つ以前に可哀想に思えてきました。お金がすべてとしか思えないのでしょう。お金よりも大切なものがあることを知らない。そのことがとても可哀想に思えてしまいました。実に可哀相な人だ。
起業・ビジネス

障害者になってからの方が世界が広がっている!

障害者になってからの方が世界が広がっている!今度はニューヨークの日本人が僕が進めようとしている事業に協力したいというオファーが来た!先月は、オーストラリアで活躍する日本人コンサルタントが来日し、コラボレーションしようという話になった。実に不思議だ。。障害者になってからの方が世界が広がっている!それにしてもニューヨーク、オーストラリア、これまでの僕には全く縁のなかった都市だ。オーストラリアといえばダイビングをやっていた僕にとっては憧れの国でもある。皮肉なことに、もしもオーストラリアに今回のビジネスの関係で行くことになったとしてもこの体ではダイビングはできないだろう。それはちょっと悲しいがこんな体になってしまったにもかかわらず、今まで考えもしなかった世界につながりができ始めていることが実に不思議でとても嬉しい!人生って不思議なものだ。全く予測がつかない。
独り言

時間に裕福であることは最大の贅沢である

脳卒中を発症し左半身麻痺という障害を負ってからというもの、たくさんのモノを失ったけれども会社も失い、資産も失い、体の機能も失い失意のどん底になってしまったけれども、今振り返ると、この2年間というもの、仕事に追われることもなく、おまけに体が十分に動かないので時間だけは十分にあった。おかげで自分の人生は一体何であったのか人生を振り返り、人間の生き方をこれほど考えさせられたこのことは自分にとって最大の幸せであったと思う。発症前の自分には考えられなかったまったく新しいものの考え方、人間の生き方をじっくりと考えることができた。僕は思います最大の贅沢とはお金がたくさんあることではなく、時間に裕福であることだと、、、でもそれは単に暇でゴロゴロしているのではなく、真剣に自分の生きる道を考える時間を与えてもらえることです。こんなことは発症以前、忙しさに振り回されていた僕には到底出来ることではありませんでした。その意味でお金がたくさんあることよりも、「自分の時間」に裕福であることが最大の贅沢であると感じます。
人間について

中国に司法なんて存在できるの??

中国にまともな司法なんてあるの??今回、中国の劉暁氏波氏にノーベル平和賞を利用したことに関して中国報道官は「中国における犯罪者をノーベル平和賞とするのは中国の司法を冒涜するものだ」というような見解を発表しているのを聞いたが、司法とは何かちょっと調べてみると裁判を通じて,国民の権利と自由(基本的人権)を保障し,社会の法秩序を維持すことによって社会の平和を保全していく役割を司法というと書いてあったということは、基本的人権を尊重しない中華人民共和国において司法は存在しえないことにことにはならないだろうか人権もへったくれもない今の中国でよくもまあシャアシャアと「中国の司法を冒涜するものだ」なんて言えたものだ。この報道官は恥ずかしくないのだろうか
中国

有害粉ミルク被害者が有罪?!!!中国は怖ろしい

中国で、2008年に起きたメラミン入り有害粉ミルク事件で自分の子どもが被害を受けて、他の被害者らと補償を要求していた男性が逮捕され、裁判で、北京裁判所は、『公序をかく乱した罪』で、禁固2年半の判決を言い渡したというニュースをCNNでやっていた眼が点になった・・メラミン入り有害粉ミルクを作ったメーカーが有罪になるのならともかく、補償を要求した被害者が有罪だなんて、、この国はどうなっているんだ。最近、論語関連の本を読みふけっている僕は あのすばらしい孔子の中国の世界はどこにいってましまったのだろう。。と憂いてしまった。この国の起業にPL法(製造物責任)が全く通じず、不良品を買わされて困っている輸入業者が存在するのもわかる。こんなニュースを聞いて、中国の車を購入する人なんているのかな中国はこの先どこまで「狂人」になっていくのだろう。
人間の生き方

国際外交は本当に「目には目を、歯には歯を」でなければならないのか

昨今の尖閣諸島問題で、日本政府は「弱腰外交」と非難されている。国際社会はそんな生易しいものではないという声も聞こえる。「平和ボケ日本」という声もたくさん聞こえてくる。19世紀以降西欧列強諸国の帝国主義から始まって、国際社会はパワーポリティクスであるという国際政治学者もいる。確かに必ずと言っていいほど「報復措置」を行い、それによって紛争を「解決?」してきた西洋諸国を見ていればそのようにも感じる。本当に「目には目を、歯には歯を」でなければ国際社会は通じないのだろうか。「目には目を、歯には歯を」の記述はハンムラビ法典196・197条にあるとされ、新約聖書のや旧約聖書にもその記述は存在するそうだ。これが西洋諸国の考え方の原点でもあるのだろう。本当にこのような考え方で国際社会が成立するのだろうよく日本の「弱腰外交」について平和ボケ日本というような言われ方をするけれども。カウンター報復をすることが必ずしも解決につながらないと思う。あのマハトマガンジーが無抵抗主義を貫いたときこのように言っている----------------------------------------非暴力とは 悪を行う人間の...
人間について

許すということは、人間の強さの証だ

---------------------------------------弱い者ほど相手を許すことができない許すということは、強さの証だ---------------------------------------これはあの有名なマハトマガンジーの言葉だ。ボクが最も大切にしている言葉の一つです。相手を許すということを本当に心のエネルギーが必要なことだ。相手を報復のために攻撃するよりも許すことの方が心のエネルギーが必要だ思う。相手を許せる人間は本当に強い人間だと思います。イスラエルとパレスチナの状況は憎しみの連鎖です。お互いに「絶対に許せないこと」があるのです。おそらく僕でも家族を目の前で惨殺されたりしたら絶対に許すことができないでしょう。その意味ではPLOのアラファト議長と和平合意をしようとした故ラビン首相は本当に強い人だったんだろう。人間にとって「許す」ということ難しいことはないだろうだからこそ「許す」という行為は崇高なのだ。マハトマガンジーがいうように「許す」ということは決して相手に「屈する」ことではない。このガンジーの言葉は障害者になってからこの2年許せない出来事があまりにも...
人間について

現代における脱ストレス

現代はストレス社会と言われていますが、 そのストレスの原因として、僕は現在の世の中には人間の欲を刺激する手法の情報が溢れすぎていることが一つの原因ではないかと思っています。もちろん企業のマーケティング手法の中では消費者の購買意欲を向上させるあらゆる手法が用いられています。ひどいものになると、あからさまにたぶんウソだろうと思えるような「体験談」や「喜びの声」のような、法律ギリギリの手法をとっている企業もあります。特にインターネット上ではひどいものが多くあります。人間はその方法によって欲しい、手に入れたい」という欲望をかき立てられるけれどもみんなが無尽蔵にお金を持っているわけでもなく手に入らない。情報だけはあふれるほど入って来るけれども、自分は手に入れることができない。というような状況が多くはないだろうか。青少年たちはこういった欲望を刺激する手法で、欲望をかき立てられ、でもお金がない。だから万引きに走る。こんな悪循環が起こってないだろうか。僕自身もほしいと思うものが次から次へと沢山世の中に出てきている。これを我慢し抑制するのはストレスになる。「元の」自分に、健常者に戻りたいという「欲」この...
人間について

死は恐ろしくないが・・

今日、NHKドラマ「坂の上の雲」で正岡子規が結核に侵されながらも「死は恐ろしくないが、病の苦しさの方が辛い」と言っていたのを聞いて、共感してしまった。確かに病の苦しさに耐えることに比べたら、死の方ずっと楽だというのは共感できる。去年の春ごろは中枢性疼痛という訳の分からない苦痛に襲われ耐えていた頃は、本当にそう思った。僕の場合も一つある「死は恐ろしくないが、孤独の方はがずっと恐ろしい」これも僕の実感です。1日中走り回って仕事をしていた人々がある日突然、左半身麻痺となり外出することもままならず、一人ベットで寝ていなければならない。これほど孤独を感じたことは生まれてこのかた初めてだった。孤独方が死よりもずっと怖ろしい生き地獄だと思った人間、コミュニケーションがとれないことほどつらいことはない。一人では生きていけないということ肌身で感じた。地獄はあの世に存在するではなく、この世に存在すると感じた。あの頃に比べれば、今は天国だ。