人間について

勝利とは

勝利とは・・相手を倒すこと人生の勝利とは・・成功という結果を残すこと僕の人生の勝利とは結果に関係なく、やれるべきこと、いや、やるべき事を貫徹すこと
人間について

ほとんど怒らない僕

僕は怒らない人を憎むこともほとんどない。どんなに悪態をつかれても誹謗中傷されても、いじめられても僕はほとんど腹が立たない。昔からそうだった。仏の岡下などと言われたこともあるほどだ。なぜ僕は腹が立たないのだろう。考えてみた。その原因は子供の頃にさかのぼることに気が付いた。僕は子供の頃いわゆる「いじめられっ子」だった。昔は今の「いじめ」のように周囲の皆が結託して一人をいじめたり、無視したりするようないじめではなかった。ドラエモンに出てくるジャイアンのような「いじめっ子」がひとりいて自分より弱い子をターゲットにいじめるという感じだった。そして僕はそのターゲットだった。何回もそのいじめっ子に泣かされたものだ。何回もいじめられてるうちに僕は「なぜあの子は僕をいじめるんだろう」と考えるようになったことを覚えている不思議だった。なぜ???なぜ?・・なぜ僕をいじめるの?なぜ僕なんだ?そんなことを考えていたことを覚えている。そんな風に考えているうちにその子が自宅で3歳年上の兄貴にいつもいじめられていることがわかった。そのことが分かってから、きっとあの子は自宅で辛い状況にあるそのはけ口が必要だったんだろう...
人間について

心のネガティブスパイラル

怒り、憎しみ、悲しみ、落胆、どれも心の悲しい言葉です。人はそれを克服するためにときに他人を攻撃してしまう。それは自分の苦しみを分かってほしいことの裏返し。分かってくれていないと感じると憎悪の心がまで芽生えてきてしまう。そして益々憎しみがつよくなってきてしまう。そんな自分を見て益々自分が嫌になるこんな心のネガティブスパイラル・・それは人を憎悪することで、攻撃することで自我が壊れそうになるのを必死に支えるためかもしれない。不安に満ちた、そして不確実な世の中・・そんな世の中(人間社会)で自我を強くを保ち続けるのって難しい事だと思う。そんな心のネガティブスパイラルに陥らないためにも僕は必死で、無理やりにでも志や希望を心の中に作る。そうしていないと自分が壊れ、そしてひいては人を傷つけてしまいそうだから、、、だから人の役に立っているという自分を確かめたい。まだ少しでも人の役に立つことができるんだということを・・
人間について

人の心次第で全てが変わる.

人の心次第で全てを変えることができる。今、そんな確信を持っている。精神的な病はもちろんのこと身体的な病でさえも人の心次第で治癒することができる。そして自分の未来さえも変えることができる。希望を持つことができる世の中にできるのは人の心次第だと思う。こんなことを言うと「古い根性論」と思われるかもしれないけれど、僕自身の実体験からそう感じる。僕は中枢性疼痛という激痛と酷い痺れに四六時中(1分1秒と消えることはない)悩まされている。肉体的な痛みであるにも関わらず、心の持ち方で和らぐのだ。激痛と酷い痺れのある左半身の体には何の異常もないのだ。にも関わらず激痛と酷い痺れを感じるのだ。なぜならその存在するはずのない痛みと痺れは(脳出血で損傷し)イカれた脳が感じているだけなのだ。そして僕の痛みと痺れは心に感動を覚えると確実に和らぐのだ。これは以前にも書いたけれども「感動する映画」を観た後は不思議と肉体的な痛みと痺れが和らいでいるのだ。つまり心が修復されると脳が修復され痛みと痺れが和らぐのではいかと思っている。脳=心、心=脳なのだ。そんなふうに考えると物理的な体の傷の痛みさえも心次第で和らぐはずだと思う...
独り言

今夜はさすがに眠い 疲れた

昨日、一昨日のハード(半身麻痺の僕にとってハードなだけかもしれないけれど)な東京出張スケジュールとヘビーな交渉の疲れがでてきたようだ。今日はもう眠い。さっさと寝ようっと
独り言

新たなステップ

今朝はひさびさにすがすがしく起床ができた。昨日、一昨日の東京での仕事が思った以上に順調に進んだせいだろうか。脳出血で半身不随を患って以来、朝起きるのとてつもなく辛かった。左半身全体にし痺れが回り、左手足が動かない。中枢性疼痛も寝起きが一番辛い、心まで蝕んでしましそうなくらい辛い。だからいつも朝っぱら「負けるもんか!」と心の中で気合を入れる。そうしないと心が砕けてしまいそうだから・・でも今日は何かが違う・・すがすがしいのだ。。脳出血で半身不随を患って以来この3年、朝がすがすがしいなんて感じたことがないのに・・やっぱり気持ちが高揚している心が前を向いているのが分かる。やっぱりすべては心だ心が前を向き始めると物理的な身体の痛みさえも抑え込んでくれるようだ。それに今日MADEIN JAPANの製品を海外向けに販売して成功している社長と面談だ。MADEIN JAPANの製品を海外向けに販売は僕がまだ健常者だったころ自分の会社でやろうとしていた大きな志だった。MADEIN JAPANに頑張ってほしいという思いだけだった。銀行もそのビジネスに共感してくれ、数千万の融資をしてくれた。その矢先だった。脳...
独り言

美しい 本当に美しかった

今日東京から帰阪の飛行機の中から見た景色たぶん南アルプス化北アルプスだろうとても美しく感じた。というのも東京での面談の成果が思わぬほどの成果を上げたこともあるのだろう。なんとこの僕に投資してくれる人まで決まったのだから!脳出血で半身付随となった一時はもう社会復帰は無理だろうと諦めていた自分そのまま一生寝た切りの人生も覚悟した。牛刀で自死までしようとしたこともある。そんな僕が障害者の僕が新たなビジネスができるんだ!更にこんな障害者に投資する投資家まで現れたんだから、、自分でも信じられない展開だったそんなこともあり帰途は感慨深かった。人生何が起こるかわからない何が起こるかわからないからこそ諦めちゃいけないと思う。そんなことを考えながら飛行機から窓の外を見ていた。もう二度とビジネスで飛行機になんて乗ることはないとも思っていた。だから飛行機から景色が見ることができることが涙がでるほど美しく感じた生きていてよかったと思った。思わずiphoneで撮影した。やっぱり美しい・・
独り言

大成果の東京出張

今回の東京出張は大成果だった!僕のビジネスに出資してくれる投資家が決まった!これで日本各地へのスマートシティへの構築に弾みがつくぞ!我が志に一歩前進だ!障がい者でも社会に役に立つ人間になれることを絶対証明するぞ!スティーブンホーキング博士のように、、iPhoneからの投稿
人間について

世の中は自分に中心と考えた方か良いのかもしれない

世の中は自分に中心と考えた方か良いのかもしれないと最近思っている。自分が世の中の中心である!僕はこの世の中は自分の中心で動いていると以前から感じている。それは利己主義という意味ではなく僕の世界観として自分が中心に存在すると感じている。以前にも書きましたが僕は脳卒中という経験から魂というものの存在を信じなくなりました。つまり「脳=心」であるということを実感しているからです。デカルト以来、心身二元論(簡単に書きますと脳や体は機械のようなもので魂や心とは別物であり心身に魂が宿ってこそ生命となるという考え方)が一般的な考え方として信じられてきました。しかし実態のない魂が実体のある脳にどうやって作用するのかということについては、長い間説明できないままでした。「脳=心」ということを実感した理由のひとつとして下記の経験があります。今回、脳の損傷に伴って左半身が運動麻痺したのと同時に、中枢性疼痛のという辛い痛みと痺れに悩まされました。この中枢性疼痛と言うのは、麻痺した側の手足に特に異常(怪我や血行不良)がないにもかかわらず 痛んだり痺れたりするというものだ。本来痛みやしびれというものは、体のその部分に...
人間について

あの世なんて存在しない方が良い 死後は無になった方か良いとかんじている

なぜ僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えているのかについてもう一度書いてみますあの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違うんです。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ、、1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わったのは強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じていると同時に人とのコミュニケーションが絶たれる状態と言うのは予想以上に辛いものです。このとき僕はに思ったのです。死後、肉体が滅び、「魂」とかいうものだけが残ったとしたら同じ状態で...