人間について

真剣勝負の人生

------------------------------------------------------------------剣道で面に小手、胴をつけて竹刀で試合をしている間はいくら真剣にやっているようでも、まだまだ心に隙がある。打たれても死なないし、血も出ないからである。しかしこれが木刀で試合をするとなるといささか緊張せざる得ない。打たれれば気絶もする。死ぬこともあり得る。増してや真剣による勝負となれば、一閃が命にかかわる勝つこともあれば負けることもある。などと呑気なことは言っていられない。勝つか負けるかどちらかひとつ負ければ生命が飛ぶ。「真剣」とはこんな姿をいうのである。人生は真剣勝負である。だからどんな小さなことでも生命をかけて「真剣」にやらねばならないもちろん窮屈になる必要は少しもない。しかし、「長い人生ときには失敗することもある」などと呑気にかまえていられない。これは失敗したときの慰めの言葉で、はじめからこんな気構えでいいわけがない。真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まる。-------------------------------------...
人間について

いつかできることは、すべて今日でもできる

障害を負ってからというもの何をするにも身体が重く、毎日体が痺れと痛みで体調も良くない。どうしても何をするにもおっくうになってしまう。「明日にしよう」と思ってしまいやらない自分がいる。健常者の頃、僕は「いつかできることは、すべて今日でもできる」と思ってやるべきことはすぐにやっていたつもりである。しかし今は・・ツライ・・でもそれではダメだ。障害を理由に先送りしてはダメだ。何も達成できない。増して大きな志なんて到底無理だ。もう一度自分に言い聞かせよういつかできることは、すべて今日でもできる!
独り言

桜!桜!桜!桜!

今日は近所の桜の綺麗なところに健常な頃に購入した一眼レフを持っていそいそと撮影に行ってきた。倒れるち直前に折角購入した超広角レンズを試してみたかったからだ。右手片手しか使えないから左手でレンズの調整をし「ながら」は無理だけど決め打ちで撮影した。結構綺麗に撮影できた!満足!満足!花は桜木 人は武士!
独り言

持続する痛みと痺れの苦しみ

痛みとはどんなに大きな痛みでもそれが一過性(一瞬)だったら耐える事はできるなぜなら、すぐ「過去のもの」になるから、。でも小さな痛みでも四六時中続くと心まで蝕んでしまう。増してそれがいつ終わるかわからないなんて残酷過ぎる中枢性疼痛はそういう意味で残酷だと思う。
独り言

人格障害

人格障害とは男性の場合、人格障害はDVとなって現れる女性の場合人格障害は家事放棄や子供の虐待となって現れるらしい。人格障害の厄介なところは、本人は全くその自覚が無い事だ。だからいわゆる外面は良いだから周囲は気付き難い以前からずっと以前から気付いていたはずなのに、もう今からでは遅いかこんな身体になってしまってからではどうにもならない。今更、何を言っても仕方がない平和だったあの頃に戻りたい。そんなこと言っても時間が戻るわけでもない。自分ひとり頑張るしかない。自分の志だけを頼りに、、
独り言

中枢性疼痛の苦しみとその変化から心の作用を感じる

僕は脳卒中になってからというもの中枢性疼痛という痛みと痺れに苦しんでいる。この中枢性疼痛、何の損傷もない左半身に猛烈な痺れと激痛が走るのだ。酷いときには24時間四六時中であるこの症状が発見されたのはドイツ・・あまりの苦しみに自死した人が出た事がきっけけだったらしい。痛みや痺れの「もと」がないのに脳が勝手に痛みを感じるのだ。だから厄介だ。通常のモルヒネなどの痛み止めは一切無効なのだ。現在の医学では有効な対策はないという。。。辛いところがこの疼痛・・抗うつ剤が稀に効くことがあるという情報を見つけた。以下のページだこれ読んで藁をもつかむ気持ちで近くの心療内科を何軒かま回って「うつ病」だと偽っていくつか薬を処方してもらった。そうしたらそのうちの一つに効果があるような感じがした。この中枢性疼痛・・見た目には健康そうに見えるから厄介だ。中枢性疼痛に対して充分な理解のない医師からは「ナーバス」とか「気にし過ぎ」とか「気持ちの問題」という言葉が返ってくる。。医師でもこうだから家族も理解を示してくれない。それでもやっと(自分で探して、試して)見つけた抗うつ剤その効果は2時間程度だけど、無いよりはマシ・・...
人間について

はじめて僕の苦痛を理解してくれる医師に出会った。。

手足が動かない不自由さは工夫で何とでもなるが、痛みと痺れは工夫ではどうにもならない。そんな僕をはじめて僕を中枢性疼痛と診断してくれ、「障害は受容できるが疼痛は受容できない」と言ってくれた医師に出会った。分かってくれただけでも嬉しい。FACEBOOK上でだが・・ほとんどの人が不自由さにだけ嘆いていると思われていると思う。だって運動障害は見た目でわかるけど、痛みや痺れは目に見えないから・・たぶん家族にも・・分かってくれた(絶対に痛みは理解はできない)ところでどうにもならないけれど・・
人間について

目先の苦しみの解決策より将来達成したい志を持つことが大切

僕は半身麻痺で毎日が不自由さと痛みと痺れとの闘いだ。その苦しみにときどき抑うつ状態になってしまう。でもそんなときこそ自分の立てた将来の大きな大きな志を想うのだ。何が何でも障害者でも社会の役に立つことを証明してみせてやる!そんなことを想うことによって目先の不自由さの苦しみやその他、障害者になったことによる悲しみや怒りや憎しみまでも吹き飛んでしまう。やっぱり大きな志を持つことは大切だ
人間について

心の作用

ウルシにかぶれやすい人がいるその人に目をつぶってもらって、柿の葉か何かウルシとは違う葉でサラサラと手を撫で、「ウルシの葉に触ったよ」という。そうするとたちまちその人には全身にかぶれの現象が起こってきてもがき苦しむという。心に思ったことがそのまま形に表れてくる例だ。逆にプラシーボ効果というものもあるらしい。胃が痛いと苦しむ人に「これ胃薬だよ」と言って別の薬を飲ませると65%の人が胃痛が治るという。だか製薬会社で薬の効果の臨床試験を行う際には効果が65%以下だったら効果が「有意(明らかに差が出る事)」とは判定しないらしい心の作用とは不思議なものである。なせばなる。ならぬのは人のなさぬなりけりという上杉鷹山の有名な名言があるがこれも単なる精神論主義と片付けられないないのではないか。僕は脳を患って感じる。。脳=心=身体だと・・心がまずはじめにあって次にモノがあるその心がモノを支配して初めて真の豊かさとか幸せとかが生まれてくるのではなかろうかしかし今の世の中モノ(テクノロジーも含めて)が溢れかえってきているためか心が心としての力を発揮できないようになってきているような気がする。そして、そうれがゆ...
独り言

僕の意欲の源泉

今朝は、午前中は何もする意欲がなかった。なぜだか理由はわからない。とにかく何もしたくなかった。半身麻痺が恨めしかった。鉛のように重い左半身、 左腕も、鉛のように重い右腕と同じ重さにも関わらず、なぜ左腕はこんなに重いのか、、 こんな重い左半身を毎日引きずっている立ち上がる事さえイヤ になるこれが麻痺というものか、、( ;´Д`)惨い、、仕打ちだ。 多少リハビリによって動くようになってはきたが、この重さ感は変わらない。 いつまでこんな重いモノを引きずらなければならないのか まるで、鎖で錘をつながれた奴隷のようだ。生きることさえイヤになってくる。なぜ僕がこんな仕打ちを受けなければならないのか、、惨い、、 そんな 気持ちだった今日の午前中だった。そんなネガティブな気持ちが突然ポジティブな気持ちに突如変わった! それは息子の「ただいま!」と言う大きな声が聞こえた瞬間だった。 心が突如グレーから真っ白に変化したのを感じた。不思議なものである! 家族の声、、 これが今の僕にとって一番 の良薬かも知れない。何時の間にか半身麻痺の辛さの気持ちもどこかに消え失せているではないか。そうこうしているうちに「志...