人間について

障害が僕を鍛える

不自由は僕を賢くし、痛みと痺れは僕の堪える力を鍛え、周囲の無理解や好奇の目は僕の人の心の洞察力を鍛え僕の精神をも鍛える。そう考えると障害は僕を最強の人間にしてくれる絶好の機会を与えてくれたと思え、辛いことだと思わなくて済む逆に健常者の他の人には絶対に与えられない僕だけへのご褒美ではないかと思える、
人間について

自分の人生を許そう

相手を許すということは、相手を認識することだ。相手がなぜ「許すことのできない」行動をしたのかを認識することだ。相手は相手なりの事情があったはずだ。それをきちんと認識することで許すことができるのだ。自分の人生についても同じ中途障害になってしまった自分の人生を許せないというのは人間の人生に対する僕の認識の甘さだ。人間は誰しも、病に患い、老い、死を迎える。僕も人間として当たり前に遭遇する病の一つに患っただけなのだ。人によって人生はいろいろある。この世界には僕よりもずっとずっと辛い思いをしている人間だってたくさんいるもっと痛みに耐えている人間だってたくさにるはずだ。人間の人生とこういうものだそういう理解をすることで自分の人生を受け止めることができるような気がする。そう、僕はこういう人生なだけなのだ。ただそれだけ・・理解してくれないと感じる周りの人の無理解への憤りだって良く考えれば、理解できなくて当たり前・・病に対する悲しみも人は病になるものさそう思うことで少し気が楽になる。人は誰しも病・老・死から逃れることはできないなんだか悔しいど、ブッダの言うとおりだよな・・・そしてこれが僕の人生なのだ。人...
人間の生き方

逆境の言う名の幸福

逆境は人を強くするというが我ながら本当にそう実感する。僕の場合、それだけでなく健常者のころよりずっとずっと世界が広がっている。それは自分が障害者になったことによって「役に立たないダメ人間になってしまったのではないか」という自己嫌悪というか、恐怖感が僕を新しい世界へ導いてくれたように思う。少なくとも僕は今、再生可能エネルギー分野においてはその日本の潜在的なポテンシャルを誰よりも知り尽くしていると自負できる状態になっている。「潜在的なポテンシャル」と表現したは大企業ではなく、まだ世に出ていない中小企業が水面下で開発している再生可能エネルギー技術を表現したつもりです。更に向けて世界にこういった最先端の環境技術を導入するサポートをするという立場にいる。倒れる前には考えられなかったことだ。倒れる前の僕といったら一零細IT会社の社長で親会社からの下請けに徹していた狭いITの世界しかし知らない世間知らずの人間だった。到底エネルギー分野のことなんてま全くの素人で自分とは縁のない世界だった。それが今、なんとアフリカのギニアなっどという遠い遠い国に日本の水処理技術を導入するサポートをしているのだ。それもこ...
独り言

夢の夢こそ哀れなれ

曽根崎心中風に今の自分の気持ちをつづってみた。。動かぬ腕、動かぬ脚痺れる腕、痺れる脚歩くことさえままならず、ましてや泳ぐことなど及びもせず海に情熱を向けたあの頃が夢の夢こそ哀れなれ
人間の生き方

逆境と順境

古来、逆境を乗り越えてきた偉人たちは誠に強靱であると思う。逆境は人を強靱にする逆境は決して人生が狂ったわけではない。そういう人生なのだ。だから逆境は乗り越えるものなのだ。乗り越えなければならない。自分に与えられた人生として、素直に「受け止め」今の自分にできる限りの努力を粛々と努め、乗り越えるしかない。だからと言って逆境に会う事が必ずしも人の成長に良いと言うつもりはない。順境だって、その与えられた順境の中でやるべき事を粛々とやらなければならないと思う。自分に与えられた人生をキチンと受け止めなければ、逆境は卑屈を生む。順境だからと言って必ずしも良い(幸せな?)人生になるとは限らない。ややもすると順境は自惚れを生むのではないだろうか。逆境は卑屈を生み易く、順境は自惚れを生みやすいと思う。自惚れも人からやる気を奪うし、卑屈もやる気を奪うと思う。やる気を失った人生は順境であれ、逆境であれ、どちらも不幸せではないだろうか。逆境であれ、順境であれ、要は自分与えられた人生の中で希望や志を持ち続けただひたすらに今やるべき事、やれる事をやっている状況こそが本当の意味で、充実した人生であり、幸せな人生といえ...
人間の生き方

人生は狂わない

僕は結構若くして脳出血で半身不随という障害を負ってしまったが決して人生が狂ったわけではない。そういう人生なだけであるそして今、僕がやるべきことは、この困難を乗り越えることただそれだけのこと。そのためには希望を抱き、心の安寧を保つこと。「もし・・だったら・・ができる」とか誰々が・・をしてくれないから・・ができない自分の思うようにならないから・・ができない歴史も同じだけど、僕にはもう「もし」はないのです。もし・・だったらと言ったところで・・できない理由を並べ立てても・・誰かのせいにしても・・何の解決にもならないのです。僕がやるべきことは・・困難の解決のためにこの身体でできることをただ粛々とやるだけなのです。そこに心の動揺があってはいけない。痛い事に対してなぜ痛いのかと悩んでも仕方ない。痛みとは闘うだけ痛みに対して悩んでも痛みは取れない。不必要に悩むことは心まで病んでしまうだけ心が病んでしまったらそれこそ何もできなくなる。心を前向きにするためには希望を見つけること希望さえみつれば、目標さえみつかれば、心は自然と前向きになり、それ向かって知恵を出すことができ新しい第一歩が始まるはず、、今僕がや...
人間について

幸せとは

幸せとは人より得をすることではない。どうしても他人と自分を比較してしまいがちになるけど今の自分の状況に感謝できる状態にあることではないだろうか半身麻痺になってしまって以来、僕は健常者と身体機能の比較ばかりしていたと思う。いや過去の自分の身体機能との比較ばかりして苦しんでいたように思う。今、現在自分の状況に感謝出来る状態にあるかと考えると確かに痛みと痺れはある。でもこれは闘う対象だ。幸・不幸とは何の関係もない闘って勝つか負けるかどちらかだ。僕は今の自分の状況に感謝出来る状態にあると思う。入院中に人の役に立ちたいと思いつきで始めた日本の環境技術を世界へ紹介するウェブサイト作り。。ノートパソコンを病室に持ち込んで、この部屋ではWIFIが繋がない!・・などと看護婦に文句を言って困らせながら・・(苦笑)それが今、何とNPO法人として活動できているではないか仲間の支援があったからできたものだ。それをやるならNPO法人でやった方が良いからと、既存のNPO法人をその活動の「箱」として利用するよう譲渡してくれた。僕には今そんな仲間の支えがある。これこそ感謝しなければならない状況ではないか。その意味で幸せ...
独り言

泣き言はもう止めよう

何を泣き言を言っていたのだろう。僕はもう障害者だ。泣き言を言っても始まらない。そんなことは分かっていたはず、いやわ分かっているはずじゃないか。成ってしまったことはもうどうしようもない。時間が巻き戻せるわけでもない。この身体でできる限りのことをするしかない。痛い、痛いと言ったところでどうなるものでもない。痛みと不自由とは闘うしかない。そんなことは分かっていたはず。。この身体でできることをやるしかないじゃないかこの身体でも役に立つ人間でありたいというの志じゃなかったのか。障害に嘆くことはもうやめよう。障害者でも役に立つ人間になることだけを考えよう。どんな小さなことでも良い。人の役に立つ人間であり続けたい。役立たずで人の迷惑になる、重荷になる、たとえ障害者でもそんな人間にだけはなりたくない。そんな目標こそが僕の心の支えじゃなかったのか人前で(たとえネット上でも)障害に嘆くことはもう止めよう。痛みに嘆くことももう止めようみっともないだけだ。そして人の心を暗くしてしまうだけじゃないか。そんな人間にだけはなりたくない。生意気くらいが丁度良いのではないか人に気を遣わせないためにも・・大した能力がある...
人間について

不自由と痛みどっちがつらいのだろうか(誰も気付いてくれないという孤独)

僕は半身麻痺になった。左手は「全廃」で全く使い物にならない。ごはんを食べるときお茶碗も持てない。ナイフとフォークの食事は不可能だ。歩くのも杖が必要で遅い。これらは確かに不自由だ。これも辛いといえば辛い。でも僕にはもう一つ辛いことがある視床痛という痛みと痺れだ。左半身は常に一皮めくれて風にさらされているような痛みと痺れだ。手足が不自由で動かないのとどっちが辛いか僕は断然視床痛の方が辛い。だって不自由は「工夫」でどうにでもなるでもこの視床痛の痛みと痺れはどうにもならない気が変になりそうになる。僕はいつも思うのだがあの「五体不満足」で有名な乙武さん。確かに四肢とも非常に短く大変な「不自由さ」だろうと思う。でも乙武さんには僕のような四六時中の痛みはあるのだろうかもし無いのなら、(本当のところは分からないけれど)僕は乙武さんの方が楽なのではないかと思うのだ。「痛み」というものだけは第三者には外見からは全く分からない。だからどんなに激痛に苦しんでいても「大丈夫か」という声さえもかけてくれる人もいない。手足から出血でもしていたら別だろうけど・・こんなとき、ひとり孤独に闘っていると感じる・・誰も気付い...
独り言

きっつい天気!

今、ベッドでうめきながらひとりうずくまってコレを書いている。この天気・・半身猛烈に痺れてる。皮がめくられてる感じ・・いつまでコレに耐えなければならないのかもう限界が近づいている気がする。それでも生きろっていうの?iPhoneからの投稿