人間について

夢を見る活動が不安を蹴散らす

人は夢を見ることで成長するチャンスを得ることができる夢に向かって努力を継続することが不安や心の苦しみを蹴散らす唯一の方法たとえその努力が報われなくとも新たな自分がそこにいるのです。少なくとも僕はそう思って日々生きています
人間について

やりたい事(志)を見つけることが意欲の源泉であり、生きるため大切な柱

志は自分の人生のにとっての拠り所(自分の人生の柱)だと思うのです。志からやる気と意欲が湧くのだと思います。志とは簡単に言うと「自分が(どうしても)やりたいこと」で良いと思う。それは「自分にできること」でなくても良いと思うのです。そうではなく「自分にはできないかもしれないけど」やりたい事で良いと思うのです。やる気と意欲があるから(自分の人生の柱)があるから苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、その志をしっかりと見つめ自分で価値があると信じている行動(やるべきこと)があるから不安に怯えたり、迷いに翻弄されることがなくなると思うたとえそれが「今の自分にできない事」であっても「やる気」と「意欲」がやれるようにするための道筋を作っていくのだと思うのです。厳しい言葉のようですがやりたい事が見つからない人に進むべき道はないと思う自分の中にやる気(意欲)を見つけたときに初めて進むべき道が定まると思うのですだからこそ「生きる上で自分がやりたい事が見つけることが最も大切だ」と思うのですとは言っても現在の世の中で「やりたいことが見つからない」という人はとても多いような気がします僕が健常者の頃もその一人だったよう...
人間について

「ごめんなさい」は逃げの言葉「ありがとう」は覚悟の言葉

人は誰でも物事につまずくとがある。僕なんか障害を負ってからというものできると思ったのにできないことだらけになってしまっており、つまずくことだらけだ人に迷惑ばかりかけている頼まなきゃできないことだらけ・・そんなとき「申し訳ない」という気持ちを伝えたくなるでもそのとき「ごめんなさい」ではいけないと思うのだ「申し訳ない」という気持ちを伝えたいなら「ありがとう」というべきだと思う。「ごめんなさい」は自分を逃がす言葉だと思う「ごめんなさい」は自分にとっても相手にとっても決して「ラク」にな言葉ではないと思う「ありがとう」と言えるようにしようと思う。「ありがとう」は感謝の言葉であり、且つ覚悟の言葉であるとも思うこんな自分に付き合ってくれた相手に「ありがとう」といえるかどうかほんのちょっとした違いだけれど「ありがとう」と言えるだけで心の持ち方が全く変わると思うのです。「ありがとう」と言えるように心掛けよう
人間について

諦めちゃいけない

人間何でも諦めちゃいけない諦めたら本当にそこで終わりになる成功するまでやるから成功になる失敗で終わるから失敗になるただそれだけのこと・・だから諦めちゃいけない絶対に・・・
人間について

左手よ 本当にもう「さようなら」かい

どう見ても傷一つない左手よ本当にもう動かないのかい器用に動いていたのにな今見ても血行ひとつ悪そうじゃない健康そのものそうじゃない本当に「死んじゃった」のかい診断書には「廃用」なんて書かれてるけどさ左手を動かす脳細胞がほんのちょっと死んじゃっただけらしい健康そうな左手を見ていると今にも動き出しそうなのに・・左利きだったからな 僕は、、こんな傷ひとつないのにもう本当にお別れかい最先端癌治療が開発されたのとかって言っているのに傷一つない骨も折れてない腕ひとつ動かす医療技術もないまだまだ「スクラップ行き」は早すぎると思うんだけけどリハビリ医療って案外進んでないような気がする癌治療なんて生死に関わるもんだから治療法を開発されると脚光を浴びるだからちょっと治療法開発に手を抜かれてるんじゃないかと感じる医療者はどこまで真剣に考えてるんだろう片手一本くらい動かなくたって死ぬわけじゃないって程度に考えられてるんじゃ・・?でも実際片手一本動かないだけで日常生活は本当苦労するもちろん左足も・・恐ろしいほど行動が制限される。快活に動いていた頃が懐かしい・・健康そのものそうな左手を見ているとやっぱりまだ「お別れ...
人間について

焦るべからず、焦る必要なし

このところちょっと焦っていた・・某大手通信会社からの薄膜太陽光発電モジュールの説明会依頼のキャンセル・・シンガポールのユダヤ系投資グループからの無応答・・赤道ギニアのブレーンからの無反応・・反応がないと焦るものだ僕はこういうとき、相手の状況を把握するためにわざと別の案件の提案をしてみる。支援者のお蔭で提案する弾はたくさんある・最新型風力発電・BOPビジネス向け商材・健康食品で弾を飛ばしてみた・・そうしたら全ての案件が着々と動いていた!やっぱり人事を尽して天命を待つべきなのだろうこの身体で、なし得る限りの力を尽してきたつもりのだならば心静かに起こってくる事態を待てば良いのだろうこのあとも・・期待通りの事もあろう期待に背く事もあろうどんな事態が起こっても心静かに起こってくる事態を待つしかないか・・
人間の生き方

落胆すべからず

人事を尽して天命を待つという言葉がある誠に骨身に浸みる言葉である私心に囚われる事なく、人としてなし得る限りの力を尽して、心静かに起こってくる事態を待つ期待通りの事もあろう期待に背く事もあろうしかし、いずれにしても我が力を超越したものであるから力を尽した限りはうろたえず、慌てずそして落胆せず、心静かに事態を迎えなければならないと思う。それが天命を素直受け止め、人生を全うする事に繋がるのだろうそういう粛々とした生き方の中から新しい道がまた開けてくるのではないだろうか。今、僕は一障害者として、なし得る限りの力を尽すことだけに心を傾けようできる事は本当に小さな事しかできないけれど、この身体でなし得る限りの生き方さえしていれば、結果はどうあれ後悔のない人生を全うする事ができるに違いない。だから目先の結果にいちいちうろたえず、慌てず落胆せ、粛々とできるだけの事をやり続け生きていこう
独り言

この身体で人生を全うする勇気

左半身不自由で痛み、痺れるこの身体正直言ってまだまだ自分の身体をコントロールできていないいつ痛むのかいつ痺れるのかどうすれば痛みが和らぐのかどうすれば痺れが和らぐのかまだ分からない完全にコントロールし切れていない。苦しいときは意識が朦朧とするほど苦しくて歯を食いしばる死ぬ事よりもこんな身体で生きる事の方が勇気が必要だあと何年こんな身体で生きなければならないのか10年?20年?30年?この身体で与えれた人生を全うする事の方が死ぬ事より苦しいと思うだからこそ挑戦してみようこの不自由で、痛み痺れる身体で与えられた人生を、そしてこの身体で何ができるかできる事をただ粛々と与えられた人生を全うするまでやり続けるのだそう!それが僕の運命への挑戦だこの人生を全うする事こそが僕の志できる事ないか 痛みよ!痺れよ! 不自由よ!そして孤独よ!どこからでもかかってこい!死ぬ事よりもこの身体で人生を全うする事の方が勇気が必要だそれが僕の運命なら勇気を持って受けて立とう!
人間について

若者の自殺増加

2011年は20代の自殺者がとうとう1000人を超えたらしい更に・・20代と30代の死因トップは自殺らしいなぜ健康なのに・・自殺なんてするのか原因は何?病苦で?生活苦で?そうでもないような気がするだとしたら戦後直後の食糧不足で生活が困窮していた日本で自殺者が増えていたはずだ調べてみるとなんと1995年頃から若者の自殺者が急増しているのだなぜ??その原因を考えるためには「生きる」とは何かを根本的に考え直さなければならないのだろう。人は何もすることがないとき、というか何もさせてもらえないとき自分が(世の中に、そして人に)必要とされていないと感じ、自分が生きる価値とか意味を感じなくなってしまうと思うそういうとき人は生きているとは言えないと思う。死んでいるのと同じだそして人はそういうとき死を選びたいと思うのではないか僕自身、半身不随になった当初、自分は「必要とされない人間」になってしまったのではないだろうかという心の状態になった時期がある確かにそのとき、僕は死を選びたいと本気で思った必要とされない人間なんて死んでいるのと同じゃないか増して半身不随で何もできなくなった(と思っていた)そんな状態で...
独り言

今年はやっぱり冷夏かも・・

今、天気図を見たらオホーツク海高気圧の勢力が強そうだこの間の以下の記事でも予測したけど・・やっぱり今年はやっぱり冷夏かも・・そうしたら関西電力の言うような電力不足にはならいかもでも・・もう大飯原発の再稼働は決まってしまったようだしもしこの夏、電力不足にならなかったら関西電力は「大飯原発を再稼働したからだ」というだろう。なし崩し的にやっぱり「原発は必要」という論拠に持っていかれそうな気がするこんなんで良いのだろうか・・やっぱり原発は永遠になくならない・・?次の地震が心配だ・・