最新環境技術

よく考えるとすごい!温度差発電!

今、食べるための仕事から帰ってきた・・さすがにこの時間までこの身体で働くとバテる・・でも家宅途中はずっと先日出会った温度差発電装置を開発している人の話を思い返していた。良く考えるとすごい!だって60℃のお湯と30℃の水だけで発電できるのだ!レシプロ(ピストンによる動力装置)を動かす媒体にあるガスを使うが一切「燃焼」させない完全クローズドでそのガスは0℃のお湯と30℃の水だけで装置の中で蒸発して膨張したりっして回っているだけCO2などの排出物は一切ないのだ・・もちろん放射能なってどこにもないつまり何も燃焼させる必要がないのだお湯といえば、60℃くらいならか家庭用の太陽熱温水器で十分だ。つまり燃料となるものが一切いらないのだ。太陽光発電パネルに必要なシリコンのような希少物質も全く必要ないよく考えると究極のエコ発電ではないか!そんなことを考えていると仕事の疲れもどこかにいってしまうようだ。でも無理は禁物・・・18時~23時の仕事とはいえ、朝は7時には起きている睡眠不足になりがちだし、生活のリズムも狂うそれでも夢のある技術のことを考えるとそんな疲れも吹っ飛んでしまうようだそんな情報が僕に来るこ...
人間の生き方

日々を精一杯生きる

痺れや痛みを少しでも忘れたいがため大きな目標を持つそれが志と言えるのだろうか志とは自分の一生を通してどう生きたか、であり障害者なりに精一杯生きたかどうかが重要だと思う日々そんな生き方をしていれば今、この瞬間に死んだとしてもたとえ何も達成できなかったとしても何も後悔は無いはずそんな生き方を全うする事が本当の志ではないだろうか少なくとも僕はそんな生き方をしたいと思っている
人間について

無私の人

ブッダが悟られた真理とは、、、生きること自体が苦悩であり、その苦悩を自らが正しく解決する事が重要である。その上、人の苦しみや痛みを共感でき、同情心をもてば人の苦悩まで解決できる。ということであるまたラストサムライのモデルとも言われる武士の鏡でもある西郷南洲翁は無私の人だといわれます。その西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。この言葉は、山岡鉄舟のことを語ったと言われています。いずれも人の苦しみを自分の苦しみとして困難を分かち合える人であり無私の人だ。郷南洲翁は西南戦争の最後城山にて「晋どん もうこの辺で よか」と言って首を差しのべたという事は有名だそして自刃した。無私無欲、、人間にとってこれほど強い心持ちはないのだろう。これは僕の憧れであり、人間としての僕の最終到達地点だと思っているできるかどうかはわからないが・・
人間について

無私無欲

無私無欲・・この言葉はぼくにとって魔法の言葉・・生身の人間である以上本当に無私無欲になんてなれるわけがないけれど無私無欲と唱えるだけで、強くなれる気がする物理的な痛みや痺れにさえも無私無欲で勝つことができるような気がする無私無欲と唱えていれば怒りも悲しみも憎しみも許せるようになったような気がする無私無欲・・武士の鏡である西郷南洲のようになりたい・・無私無欲・・僕にとって一番大切な言葉である
独り言

痛みや痺れが酷いときほどハイパーグラフィアが強くなる

痛みや痺れが酷いときほどこのブログの更新頻度が多くなる(苦笑)痛みと痺れを忘れんとするかのように思ったままを書きなぐっているどんな批判が来ようと平気だこの痛みと痺れに比べたら批判くらい何でもない痛みや痺れが酷いときほどハイパーグラフィアが強くなる。。我ながら不思議だ・・
起業・ビジネス

王道と策

ジネスも仕事も何事も王道を行くに限る策は所詮は策・・でも人間不安になると王道だけを歩けなくなるものだつい策を考えてしまう虫の良いことを考えてしまう。僕も会社をしていた頃を思い出すと策ばかり考えていたのではないかと思う。不安だから・・もっと王道をまっすぐに歩いていたら違った人生になっていたかもしれない皮肉にも障害者になってから僕は王道を歩こうとしているような気がする。王道とは(松下幸之助の言葉を借りれば)「自然の理法」に従った素直な判断による素直な行動だと思う障害を負ったことによって僕はただひたすら「障害者でも役に立つ人間でありたい」という気持ちだけで今まで生きてきた様な気がするそこには健常者の頃に持っていたような「野心」はたぶんほとんどなかったと思う皮肉にもそれが王道を歩む力になったような気がする。正直今は経済的成功には何の興味もないだった何兆円積まれたってこの障害を治癒できることはないのだから・・そのことが余計な金銭欲や物欲を僕から取り去ってくれたような気がする。そしてあらゆるものを失ってしまった結果、喪失への恐れさえも消えたような気がするだからある意味これ以上失う不安がないから、策...
人間について

狂気と正気

最近いじめが原因で自殺したという報道をよく聞く自殺かぁ・・変な意味ではなく自殺できるってすごい事だと僕は思う。僕も障害者になってからというもの、これまで何回も死にたいと思ったでも自殺なんてそう簡単にできるものではない少なくとも僕はどんなに苦しくてもできないだろう。だって自殺は少しでも意識の中に「正気」があると絶対にできないと思う狂気でないとできない僕の場合、どんなに痛く手苦しくても、たくさんのものを失って悲しくても、どんなに辛くても僕の心の中の「正気」がなくなることはないそれは臆病ということなのかどうなのかわからにけど正気があると自殺なんて絶対にできないと思う。だから自殺できる人はすごいと思う昔の侍は切腹をしたというが僕には絶対に不可能だ侍といわれる人たちは正気で自分の腹を斬ったのだろうかまたあの三島由紀夫は正気で割腹したのだろうか
人間について

不 安

不安って・・家計や企業経営が経済的に脆弱だったり僕のように身体に問題があるとき確かに不安になるものだでも決して経済的に順調であっても身体が健康であっても人間から「不安」が消えることはないような気がする思い返すと倒れる前の方が不安がたくさんあったような気がする。この健康がいつまで続くのかこの会社がいつまで続くのか銀行から大きな融資を受けることができて有頂天になっていた反面本当に返済できるのか売上は維持し続けられるのかそんな不安だらけだったと思うそれに引きかえ今僕は身体が不自由で経済的にも綱渡り状態であるにも関わらず、希望だけはなぜかあるそこに向かって前に進んでいる感があるとても低いレベルだけれども着実にステップをほんの少しずつ上がっている感があるそんなとき不安はほとんど忘れている今、なぜか僕に向かって情報が流れてくる経済的には綱渡りだけれども、希望はあると思っているそれにこれ以上「下」はないから、上に登るしかないからこういう状況は確かに目先は苦しいけど長期的に逆に希望を感じる僕のブログの冒頭にも書いてあるけれど希望とは・・物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲...
人間について

壁は乗り越えるもの

障害者になって以来、次から次への僕の前に立ち塞がる壁心の壁、身体の壁、仕事の壁いろいろ壁はあるけれど自分の前に立ち塞がった壁は立ち止まるものではなく乗り越えるもの立ち止まっても何も進まないから。。乗り候えるためにどうすべきかを考えることが先決でもすぐに立ち止まってしまいそうになる。そんなときもう一度自分がやりたい事、なりたい自を思いかえす要するに志を想うようにしよう。そうすれば、壁を乗り越えるための知恵を出そうと努力できるような気がするから
独り言

無私無欲・無動揺 困っても困らない

次々に僕の前に立ちふさがる壁・・行く手を阻む・・せめて身体が元気なら・・せめて身体の痛みがなければ・・そんな事考えても仕方がない何か解決するわけでもない無私無欲、動揺するんじゃない。無動揺だこの身体でできることはやり切っているじゃないか人事を尽くして天命を待つ・・今こそ知恵の使いどころ・・困っても困らないこと・・動揺せず・無私無欲で粛々と・・やるべきことをやり、ひたすら待て今、自分に言い聞かせている