独り言

僕の禁句「いつまで?」

僕は心の中でつぶやくことを禁句にしている事があるそれは「いつまで?」いつまで痛みを耐えなければならないの?いつまで不自由を我慢しなければならないの?いつまで苦しまなければならないの?いつまで?いつまで?これらを問い続けると発狂しそうになるなぜなら、誰ひとり答えてくれないからせめて5年でもよいいや10年でもよい期限さえ切ってくれたならそれまで頑張ろうと言う気持ちにもなるのに、、誰も何も言ってくれない、、これではまるで永遠に絶え続けなければならないのではないかと感じてしまうそんな気持ちになっしまたら、心が押し潰されそうな重苦しい思いに陥るだから心の中で「いつまで?」とは考えないようにしている「一生回復しないから(後遺症)と言うんだ」と僕に言った脳神経外科医がいる僕には残酷な言葉だった・・
人間について

家庭円満って・・難しい

「家庭・親戚・縁者との関係を快適に保てないで天下を治めることはできない」とはあのヘンリーフォードの言葉確かに・・家庭・親戚・縁者との関係が一番難しい仕事の関係の揉め事の解決の方がよっぽど気が楽だ・・危機ときの家族は一体となるというがそんな甘いものではなはい僕の知っている同じ脳卒中によって障害負った人なんか障害を理由に離婚させられ今は一人暮らし・・・片麻痺では家事もろくにできず生きるだけで必死の状態・・・彼曰く 障害者のだからは圧倒的社会的弱者なのだからもっとわがままになっていい言うべきことは言え! 生意気くらいが調度いいと・・ん~とは言ってもなぁ・・僕の性格じゃそれ無理・・このブログで愚痴るのが精一杯あとはただひたすら忍耐あるのみ・・身体は痛みと痺れに耐え、日常生活でも精神的にも耐え忍耐強くなるわけだ。。(苦笑)僕の携帯の待ち受け画面には下記のように書いた画像を表示していつも見つめて自分に言い聞かせている「忍耐・努力」月並みな言葉だけれどこれは僕の父親からち小さい頃からいわれ続けた言葉。。いわば家訓のようなものだ家庭円満の秘訣は忍耐あるのみ。。(苦笑)ヘンリーフォードに言いたい確かに「...
人間について

やっぱり中国人女子留学生には荷が重すぎた・・・(~_~;)

コメント頂いたみなさんの助言通り、やっぱり中国人女子留学生に中文翻訳は荷が重すぎたようだ・・今日はその女子学生に最新型大容量蓄電池の特徴と最新型薄膜太陽光発電パネルの特徴を理解してもらうのに四苦八苦だった・・可哀そうだけどその女子留学生も混乱し、且つ困惑気味だった僕は僕でとんちんかんな質問が来るので理解できていない事が把握できた。爆発の危険があるのは従来の大型蓄電池だと何度言っても従来の太陽光発電パネルが爆発する危険あるね・・?ときい聞いてくるし~打ち合わせ後半はもう諦め気分・・理解できていないことは分かっているけど何だか可哀そうになって「良く分かってますね!」とついおだててしまう僕もいかんけど・・やっぱり僕が直接シンガポールに行くしかないかな・・しっかし海外渡航はキツイだろうな・・この身体では・・(ーー;)
独り言

何もしていないと痛みが不安を煽る

今日も相変わらず朝から痺れと痛みがつらい・・左半身の体幹筋とかいう筋肉も麻痺して痺れているので座っていても身体をまっすぐにしている事がつらいだからついベッドに横になる・・困ったことにベッドなんかに横になり何もしていないと余計に不安になる・・こんな痺れた身体で・・いつまで持つんだろうなどと不安になるそんな不安・何の根拠もないじゃないかと・・自分に言い聞かせる今日の在日中国人との打ち合わせもうまくいくかな・・痺れが不安を増幅させるいかんいかん!そんな不安何の根拠もないぞ!そんな不安を感じていたらうまくいく事もうまくいかない!きっとうまくいく!そう自分を信じよう
人間について

あとは中文だ!

英語の技術提案書はできた!あとは中文だ!しかし、さすがに中国語はわからん紹介してもらった在日中国人留学生に頼むしかない先日もその子に会ったが、技術のことは全く分からないという今月末シンガポールでプレゼンしてもらえるように技術を理解してもらわなくてはならない今日はその勉強会だ。二十歳そこそこの女の子・・大丈夫かなぁ・・キチンと理解してもらえるか心配だ・・日本語がまだ完全じゃないので先日も発電と蓄電の違いを説明するのに一苦労した今日はとにかく頑張ろう中文の提案書さえできれば、シンガポールだ!
人間について

感動と志が苦しみを抑えこむ

毎日続く痛みと痺れ・・ときおり心が折れそうな不自由さといら立ち障害者として生きていく上で・・(いや、これは健常者でも同じだと思う)大切なのは感動と志だと思う感動は目の前の苦しみや悲しみや怒りを洗い流してくれる志は過去の苦しみや悲しみや現在の苦しみをも忘れさせてくれ意欲の源泉となる志とは経済的成功目標ではなく志とは自分の生き方の目標である志とは自分に妥協しない生き方である志と感動さえあれば人間はどんな状況でも意欲を持って生きることができると思う意欲は知恵の源泉知恵は自分の人生を豊かに生きるための日々の工夫だ子供の頃のように日々、見るもの、出会うもの体験することに感動しよう興味を持とう当たり前などと思わずに。そして志僕の志はハッキリしている障害者でも役に立つ人間になることそれは何にも大きな事なくても良い日々の生活の中で「ありがとう」といってもらえるようにするそれが人の役に立ったということだと思う障害者でもそうなるためには毎日が精一杯の工夫の連続だ。そんな生き方をしていればたとえ経済的成功など達成できなくても満足できる人生を送ることができるのではないかそして人生の最期のときに「精一杯生きた人...
人間について

許す

「許す」ということを考えるとき僕はこの歌を思い出し、考えるこの歌の歌詞に出てくる「奥さん」は7年経って本当に許したのだろうかと考え込んでしまう。今でも許せないけど・・許さざる得ない・・実は本当はそんな心情ではないのだろうか・・とそれでもいいのかもしれない・・・たとへ本心は許せなくても「許そう」と決意することが「強さ」じゃないかと・・そんな風に償う立場からではなく、許す立場の奥さんの視点から聴いてしまうのだ確かに人間の心って難しい・・
人間について

人の役に立つという喜び

人の役に立つという喜び・・これ以上の喜びがあるだろうかと今、感じている人間にとって最高の喜びではなかろうかそして僕にとって何によりも大きな夢だ僕は健常者の頃、こんなことを思ったことがない健常者の頃の僕といえば、やっぱり経済的成功を収め世界の海に潜りたいとか一度はベンツに乗ってみたいとかもう少し広い家、できれば持家を建てたいというようなことがあこがれであり、ある意味「夢」だったように思う今の僕からすると「あまりにつまらない夢」だったと思う健常者になって一時は何の役にも立たない人間になってしまったという辛い思いこの辛さはたぶん経験しないとわからない恐ろしく自暴自棄になりもう死にたいと思うほどの辛さであったと思うそんな経験から僕の夢は「人の役に立つ人間になること」だと思うようになった。人から「あなたのお蔭で助かった」とか「ありがとう」と言ってもらえる喜びは何にも変えがたい喜びだと思う。この喜びは・・何億円、何兆円のお金なんかよりもずっとずっと素晴らしいなぜなら人は人の役に立つことで人とのつながりを深め「絆」と言われるものを深めることができるからだと思う人はつながりがない事ほど辛いものはない孤...
独り言

もう後ろは振り返らない!

もう後ろは振り返らない!忘れられない事があると「時」は何も解決してくれないけれどたとえ忘れられない悲しい、辛い事があったっとしても過去を振り返らなければよいのだ!「前」に大きな「志」さえあれば前のみを見て歩けるそう!僕には大きな「志」があるじゃないか今月は最大の人生の勝負の月かもしれない過去を振り返っている暇はない!もう後ろは振り返らない!ただ前のみを見据えて歩き続けようどんなに痛くても、辛くても・・痛ければ痛いほど、辛い気持ちになれりそうになればなるほどただ前のみを見据えよう!志だけを見つめていればそれでいい後ろを振り向くから忘れれられない悲しい、辛い過去が見えるだけだただ前のみを見据えていれば過去は見えないじゃないか!その意味でも志を捨ててはいけないどんなに周囲から夢物語だと言われようと僕だけは実現すると信じ、前のみを見て生き続けよう僕の心の中だけの問題に過ぎない希望や志は周囲の状況とは何ら関係ない 自分の心の中だけで持つものだから
人間について

と き・・・「時」

以前にも書いたことがありますが人の苦しみや怒り、憎しみはとき・・「時」が必ずしも解決してくれるとはいえません。「時」が経ち記憶が薄れることで不安や怒りや悲しみが解消できるならば、それは「忘れる」ということです。つまり「時」が経過することによって「忘れる」ことができる問題は「時」が解決してくれるどうしても忘れることができないとき「時は解決してくれない」のですその悲しみや苦しみや怒りが今現在の毎日に関わる重大なことならば、薄れる可能性より問題が、苦しみが更に深くなることだってあり得ます。いや逆に必ず根深い問題になると思う忘れることができるのはその人にとって今現在の毎日に関わる事ではないからだと思う僕にとって障害は確かに障害を負ったのは3年も前だけど・・それは今、この瞬間も不自由と痛みという形で毎日に関わる事であるでも周囲の人たちは・・違う・・明らかに違うと感じる・・周囲の人たちにとって僕の障害は3年前に僕に障害が残ったときが重大事だったのだと思うそして周囲の人たちにとってその瞬間が「非日常」であって悲しむべきときだったと思うでも「時」が経つにつれて周囲の人たちにとっての「非日常」は「日常」...