人間について

オリンピックを観るとまだ辛くなる

半身麻痺の障害者になってもう3年半になるけれどまだオリンピックなどのづスポーツを観るとまだ辛くなる別にオリンピック選手のような身体能力があったわけじゃないけれど両手、両足が使えているというだけで自分と比較してしまう例えば・・こけたとき手つける 僕は手をつくことさえできない両手を上げて万歳ができる僕は左手が手が上がらないかんら万歳ができないそんな人間として当たり前にできることで自分にできないことをイヤというほ見せつけられる僕の場合、老いによる衰えではないある日突然昨日までできていた当たり前にできていたことが全くできなくなる・・つまりその身体機能を完全に喪失してしまったのだ左腕は存在するけれど完全に「廃用」であるこの精神的衝撃は経験した人にしかわからないであろう。そんなことでスポーツ番組は基本的に観ない医者は障害受容なんて簡単に言うけれど受容なんてそんな簡単にできるもんか僕は一生この障害を受け入れることはできないだろう老いとは全く別物だこんな痛みや痺れの苦痛を誰が受け入れられるというんだ!「受け止め」て耐えはしても「受け入れる」ことできない 不可能だ!絶対に回復をあきらめないから・・たとえ...
人間について

夢見る活動が、不安を蹴散らす

人は夢を見ることで、成長するチャンスを得ることができるできないと思った瞬間にそれは本当に、そして永遠にできなくなる夢に向かって努力を継続することが、不安を雌散らす雄一の方法ではないかたとえその努力が報われなくとも、新たな自分が、そこにいる自分がこの先に不安を感じているなら、己の弱さを認めること。視野を広げて、新たな価値観をつくりあげること。孤独は自分と向き合うのに必要な感情。自分の気持ちを整理することで、悩みの本質と向き合おう。人の助けを受ける勇気を持とう。必要ならば迷惑はかけてもよい。前向きに感じて受け止めよう。必ず自分が変わるときが来る自分の弱さを受け止めることができたなら、あとは強くなるだけそこに不幸があるのなら自分が意味を持たせればいい不安だと決めつけている未来は、「やりきること」で。変わって見えてくる。あなたが不安を恐れない人生を歩むためには、やりたいことを見つけ、これだという揺るぎない意志を定めていく必要があるやるべきことが定まったとき、進むべき道が見えてくると思う自分の行動に熱中していくことで劣等感をぬぐい去ることができる。「変わりたい自分Jが見つけられたのなら、迷わすに...
人間について

すごい事になってきた、、日本は遅すぎる

今日、先月末にシンガポールの華僑投資家にアモルファス非晶径薄膜太陽光発電モジュールとレドックスフロー蓄電池のプレゼンに行ってきてきれた僕のブレーンからの結果報告と今後進め方について打ち合わせに行ってきた。プレゼン自体はうまくいったようで投資家グループは非常に関心を持ってきたらしい紹介した次世代型レドックスフロー蓄電池の製造販売を行う会社を中国に設立したいというオファーまで出てきのだ!話を聞いていると「エコロジー」に関しては意外や意外、日本よりもずっと中国の方が危機感を持っており関心も高いようだった。更にはアモルファス非晶径薄膜太陽光発電モジュールも積極的に販売したいから詳細資料をよこせという話になっているようだ。それだけではない日本のバイオマスメタン発酵の技術にも関心を示し、是非導入したいという話まで出てきたもし彼らが本気で中国にこれら再生可能エネルギーの普及を始めたら一気に進むのではないかと思った。なぜならかれら投資家グループの総資産額は数千億円になるからだ。そうなると日本もウカウカしていられなくなるいわゆる「原発村」の利権構造の圧力で再生可能エネルギーの普及が遅々として進まない日本...
人間について

不安なとき・・・

こうっやって障害者になってしまうとどうしようもなく不安なときがある手が、足が、、思うように動かない痛い、痺れる・・不安になる、何が不安なのかさえわからない状態にもなるこういう不安蹴散らすには、どうしたらいいのだろう何をやっても不安がつきまとうのなら、視野を広げて、新たな価値観をつくりあげたい。心から「やりたいこと」を定めるのだ。やるべきことが定まったとき、不思議と不安は消え失せていく。
人間について

「この苦しみが永遠に続くのではないか」と感じたとき・・

本当に苦しんでいるときに、「止まない雨はない」とか「夜明けの来ない夜はない」と言われても、「この雨は止む気がしない」とか「この夜が終わる保証はない」と考えてしまうのが、苦しんでいる人の心情だと思います。障害者となった当初の僕がまさしくそうでしたならば、こうしましょう。こうしようと考えた「止まない雨には、傘をさそう」「夜明けの来ない夜には、明かりをともそう」つらい状況になっても、何かを始めてみる。もしくは、何かをやめてみる。変化を起こすことで成長していくのが人間だと思います何かを変えることで、新しい何かを得られる可能性が増えると思うのです。そのために、まず生きること。心を止めてはいけないと思います。生きていれば人にも出会うし感動もします。そこから何かが変わっていくということが確実にあると思います。僕はそれで新たな道を見つけ、そして新たな「つながり」がいつの間にかできていました。今もそれは続いている・・健常者の頃にはかんがえられなかったようなつながりができてきたのです。おそらく健常者のままだったら「何かを変える」とか「何かを止めてみる」或いは「何かを始めてみる」なんていこともなかっただろう...
独り言

もういい加減にしてくれ!

この痛みと痺れ・・我慢も限界に来る・・
人間について

障害者として生きる・・何のために?

昨日、週1回の通所リハビリに行った何気なく横をみると車いすに乗った障害者の方がいたその人の目は中を見ている焦点が合っていないようだった療法士さんの問いかけにも反応が弱いおそらく左脳の言語野の損傷で口語障害か言語障害なのだろう言葉はでなくても「意志」はあるはず・・でも自分の「意志」を言葉にできない手足も不自由・・その人の心中を察すると僕の方が息苦しくなるどんなに歯がゆいことだろう・・とそれでも生きていかなければならないのか「後遺症だから」治癒する見込みもほとんどないのに何のために?と考えてしまう生きる意味って何?と考え込んでしまった僕自身もそうだこれから先この不自由と痛みを背負って生きていかなければならない健常者のような「楽しみ(例えばハイキングにいく、とかバイクでツーリングするとか海で水遊びをするとか)」はもうほとんどできないにも関わらこの先も「ずっと」生きていかなければならないなぜ?そんなにしてまで生きることってそんなに大切?と考えてしまう人はなぜ生きなければならないのか?それとも生かされているのかそんな答えのでないことを考えてしまうそして痛みに痺れる脚を引きずりながら病院を後にした...
人間について

自己否定せず、思うまま・・

人間100人いどれば100種類の考え方がある・・て最近になって(今頃)やっと気が付いた若い頃は自分が「標準」だとおもっていたけれど歳を取るにつれて「自分は例外」}(悪い言い方をすると)「異常」じゃないかって思えてくることがあるそれでも自己否定なんてするつもりはないこの身体で自己否定なんてしていたら生きていけないから大事なことは(人からなんと言われようと)やっぱり自分を最も信じることそこから前向きな気持ちが生まれ生きる知恵も湧く脳には1100億の脳細胞があるというつまり1100億種類の考え方があっていいわけだだからといってそんなたくさんの考え方に振り回されていたらい自分を見失う要は根拠何てなくても良いから自分を信じることだからといって他人のことをとやかく言うつもりもないただひたすら自分を信じて、自分にできることを粛々とやり続けるだけ障害者だからといって自己否定はいけない  心がネガティブになるから出る知恵も出なくなるからもう少し生意気くらいに思うままに生きた方が良い自分にそう言い聞かせている
人間について

良い言葉を見つけた

ある柔術道の言葉だけど・・「自然の理を守りて道に背かず 和を尊びて乱を避け暴を退ける」自然の理を守る・・って難しいつい自分のこだわりや思い入れが邪魔をして正しい道を見えなくする自分のこだわりや思い入れに反論されると和を尊べないことが多々ある腹が立つ、憎む、自然の理法に従って正しいかどうかを判断するって難しいどうしても自分のこだわりや思い入れが邪魔をするそれが無用な争いを生み、悲しみを生む
人間について

心の傷跡

心の傷はほとんどが人(人の言葉)によって付けらるもの身体の傷は事故や災害や(もちろん人に付けられる傷もあるけど)体の傷は時間と共に治癒するけど(人の言葉)によって心に付けられた傷はその相手が償いの行動をするまでは許せず、(たとえいなくなっても)いつまでも癒えないものではないだろうかそんな意味で心に受けた傷は「トラウマ?」なり永遠に残る可能性があると思うそれを癒し相手を許すには大きな心のエネルギーというか強い心が必要だと思う僕は脳出血で半身麻痺の障害者になったけど、それ以上に障害者にtなった結果起きたある(出来事)が心の傷になっている。そのことを考えると身体の障害の痛みや痺れや不自由さ以上に辛くなるその出来事とは過去に書いた以下の3つの記事に凝縮されているこんな記事を書くようじゃまだまだ心が弱いのかな。。まだ許すことができていない自分許さなきゃいけないことは分かっているのだけど・・許さないといけないのだろう それは理性では分かっているけれど本当に許せたとき僕の心はつよくなり、そして救われるのだろうでもどういう心の持ち方をすれば許せるのか、どうやって許せばよ良いの正直かわからない苦しんでい...