人間の生き方

人知れず・・

踏み削られ、形を変え、しだいに小さくなってゆくそんな岩があるその岩のどうにもならない運命だどんなにもがいてもその枠からぬけ出ることはできない人間にも同じような運命からぬけ出ることができず、その存在を認められることもなく、生き疲れたうえ、誰にも知られずに死んでゆく者も少なくないだろう
人間について

人間の過ち

どんな過ちでも、この世で取り返しのつかぬことはない人聞はみな弱点を持っている誰にも過失はある、幾度も過を犯し幾十度も愚かな失敗をして、そのたびに少しずつ、本当に生きることは何かを知るのだそれが人間の持って生れた運命だ
人間について

ダメなときほど理由がたくさんある

本当に苦しいとき・・・誰かかが僕にアドバイスをくれたとき、まず言い訳を思いつく自分には気をつけようと思う「でも」「だって」「そうは言っても」・・僕のことを考えてくれる大切な人からアドバイスをもらっても、否定的なことしか返せないときがある「それは○○だからダメ」といった「できない理由(言い訳)」だけが、評論家のように出てくる・・そんなときには気をつけようと思う。他の誰かにだけでなく、自分自身にもできない理由を説明して、僕の発言にダメが多くなっているようだったら、立ち止まって考えてみようと思う。それでもそんなときは・・「だって仕方ない。どうにもならないこともあるんだ」という僕の心の声が聞こえてきそうだ。僕ははこれからもずっと「仕方ない」と諦め続けていくのか!?私は、そんな人生はイヤだと思っているはずだ一生そんなこと言い続けていたら、誰かがが喜ぶだろうか。いつまで自分に言い訳を続けるつもりなのだ。。僕は・・僕が苦しいとき、何か(誰か)のせいにしてしまい、僕の心が言い訳がいっぱいになったときには、「今の自分がダメなのだ」と喝を入れることにしよう。大切な人は僕にやれない理由を聞くためにアドバイス...
人間について

自分の本当の気持ちが自分でも分からなくなるときがある・・

わけもなく怒りに満ち溢れてしまう、悲しくなり涙があふれでてくる優しくしたいのに怒ってしまう。意味不明な行動をしてしまう半身不随などという自分ではどうにも打破できないつらい状況になると自分の感情と行動の整合性、が取れなくなり、さらなる不安が僕を翻弄することがある。そんなとき自分の感情を探ることは、潜在的な僕の気持ちを知ることになると思うその感情が何ものだかわからないままにしておくのではなく辛いときにこそ、自分は怖がっているのか、悔しいのか、憎んでいるのか、嫉妬しているのか・・と、自分を追及するべきだと思っている心の奥底に潜む自分の本当の感情を見つけ出したい正直、僕は今でも僕は自分の本当の気持ちが分からなくなるときがある・・
人間の生き方

自分の人生に満足できることなんてあるのだろうか

人間はいかに多くの経験をし、経験を積み上げても、それで自分を肯定したり満足することができない。結局、現在ある状態の中での望ましい生き方をし、その中に意義を見い出していく、、という以外に生き方はないと思うそれは人間の果てしなき欲望からくるものというより、人間誰しもが心の中に持っている理想的な人間の在り方などというものは、生身の人間である限り、永遠に到達できない姿だからだ。それでも僕は少なくとも脳出血で倒れるでの45年の生き方に比べ、脳出血後のこの4年間の生き方の方が遥かに充実し、最善を尽して生きて来たと自信を持って言えるその事は僕にとって、きっと死に際に最大の幸福を感じる事ができるのではないかと思っているなぜなら、この4年間ほど後悔のない人生は僕にとって初めてだから。
人間について

行政改革焼や規制緩和がなぜ進まないのか

僕が政治のことを書くのは初めてだけどもうすぐ総選挙だから思っていることを書こうと思う今回の総選挙の争点は景気対策・・どの党も政策がようわからん消費税・・なんか消費税増税を決めた民主党と自民党を第三極は悪者扱いしてるけど     それに代わる財政再建策は見えない原発廃止・・どの党も謳っているけど具体策が見えない      (この点に関しては僕には前に書いた記事のような具体案があるんだけど。。)あと僕が一番きになるのは「行政改革」と「規制緩和」の文字が一つもでていないこと僕は景気対策も財政再建も僕は「行政改革」と「規制緩和」なしには実現できないと思っているいや実現不可能だと思うそれを実行していたの小泉政権だ。。。小泉政権を批判する性っ力は多いけれど僕は不思議に思っている小泉改革が地方経済を疲弊させ「格差」を大きくさせた??なんでよく言われるのは地方交付税が減額されたからという・・それはおかしい・・地方交付税が減額されたのは税源移譲されたからだ・たとえそれによって地方の行政の財政が苦しくなってもだからといって地方の民間企業の活力がなくなることとは関係ないではないかだって、県庁や市役所に使うお...
人間について

僕が心が折れた状態からたっ立ち直ったきっかけ・・

心はときに「折れる」もの。そう認識するだけで心が軽くなる。「もう~はできない」という言葉は、切なさとともに人に取りつく。絶望感を刺激して人を悩ませ、必要以上に膨らみ、希望を侵食していく私は左手足が不自由になってから、あれもできない、これもできないと「できない症候群」に陥りました。「もう二度と走ることができない」というような感傷が毎日頭から離れることがなかった。そんなある日、友人とテーブル越しにイスに座って話をしていたとき、ふとこんな疑問が舞い降りました。「座って話している自分は、周りの人と何も変わらないじゃないか。そうか、座っているときに走れないことを悩むのは、無意味だ・・」と・・毎日悩みすぎていた私は、座っているときにも走れないことについて悩んでいる自分に気づくことができなかったのだ。。あたりまえのことだと思うかもしれませんが、そんなことに気づけなくなるのが「できない症候群」であり、「もう二度と、いや一生●●ができない」という言葉の魔力ではないだろうかそんなあたりまえの「気づき」だけで、見えてくる世界が変わってた。。それからの私は走らなくてもできることが多いことに気づいたり、準備さえ...
人間の生き方

満足できる生き方なんて人間にできるのか?

人間はいかに多くの経験をし、経験を積み上げても、それで自分を肯定したり満足することができない。結局、現在ある状態の中での望ましい生き方をし、その中に意義を見い出していく、、という以外に生き方はないのではないだろうか。
独り言

もうちょい生意気になるかな・・

障害者になったらかと言って人の手を借りたくないそんな思いが僕は強すぎるのかな・・だから無理にして健常者の頃のように自分でやろうとする片手片足では難しいことを自分ひとりでやろうとするから、ある意味知恵も湧くんだけど・・反面異様なストレスにもなる・・それがツライもう少し他人様に依頼するという知恵を使った方がいいのかな誰かにも言われたけど、哀れまれるくらいなら、ちょっと生意気くらいで丁度良いのかも知れないな・・でもぼくにはとっても難しい事なのは自分でもよく分かっている昔から人に頼むのが下手・・だから全部自分でやろうとする・・障害者になってしまったのだから頑張ってもうちょっと生意気になってみるかな・・できるかな・・苦笑
人間の生き方

味わいのある人生って

心に傷を持たない人間がつまらないように、あやまちや挫折のない人生は味気ないものだ