人間について

僕の人生、大病のオンパレードの人生だな・・

生まれて3か月で肺炎・・38豪雪(昭和38年冬)に生まれた僕は案の定風邪をこじらせ、肺炎になったそうな母は子育て初心者マーク・・赤ちゃのために室温を24度保つべきとの話をどこからか聞き室温を24度保つために必死で石油ストーブを炊いたそうなそれで風邪をこじらせ、肺炎死の直前まで悪化・・医師からも「もうダメかもしれない」と最後通告を受けたそうなところが奇跡の復活・・それからというものは風邪一つひくこともなく、健康優良児・・ところが4歳のとき脱腸で手術・・そして今度は中学のとき水泳部のスパルタ指導のせいか心臓を壊す当時の監督はタイムが遅くなるとプールのコース台に立つ部員に竹刀でドつき回してたなぁ・・僕はそれでも一切イヤだとは思って居なかったそれどころか気持がたるんでいる僕に「喝」を入れてくれていると感謝していたものだ巨人の桑田君が言ったように暴力?は何の役にも立たなかったと体罰を否定したが僕にはメディア向けのパフォーマンスにしか思えないけど・・桜ノ宮高校の問題以降、有名スポーツ選手がこぞって体罰反対論を展開・・売名行為、。マスコミの情報操作としか僕には思えない僕なんか練習中のタイムが遅いと海...
独り言

息子・・

父親の僕と同じもやもや病で4年前同じ脳手術を受けた息子・・いつのまにかもう10歳大きくなったものだ僕のもやもや病が遺伝し・・一過性虚血発作を起こしていた5歳頃はこの子はこれからどうなるのかと心配したものだ虚血発作で障害を持つのを心配して、脳血管バイパス手術を受けさせたときは可哀そうだったけどその甲斐あってか最近は過呼吸をしてもまったく一過性虚血発作は起きていないそれどころか嬉しいことに元気そのものだ今日は息子のやっている柔術の昇級試験だった見事昇級してくれたまだまだたったの6級だけど大きな声で技を演武していた・・僕と同じもやもや病だけど。。この子には僕のような脳出血だけは起こってほしくない僕のような辛い経験はさせたくないせっかくもらった昇級試験の合格賞状・・最近は、半身麻痺の父親を気遣ってかいろんな事を「たったろか?」などと手伝ってくれるようになったけどそれよりもこのまま元気に育ってほしい切に願う・・吉田松陰の詩の「親を思う心にまさる親心」のような心境である
人間について

怒りが収まらないとき、悲しみが深いとき、苦しくてたまらないときの魔法の言葉

怒りが収まらないとき、、、悲しみが深いとき、、、苦しくてたまらない、、そんなとき前にも書いたけど実践してみた・・怒りが収まらないとき許せない!と感じたとき「(許せない!)と僕は今、怒っている」と心の中で唱える悲しみが深くて泣きたいとき悲しくて涙が出そうになるとき「(涙が出そうなほど)僕は今悲しんでいる」と心の中で唱える不自由が辛くて痛みが辛くてもう死にたいほど辛いとき「(死にたいほど)僕は今苦しんでいる」と心の中で唱えるいつの間にか自分のことをずーっと遠くの方から見ている気分になるそうすると不思議なことに本当にいつの間にか怒りも悲しみも苦しみも若干和らぐそして「暴挙」に出ることは絶対にないと確信できる客観性って大切だなってつくづく思うのだ
人間について

苦からの解放

生き抜きたい・・死んでしまいたい最近、思うのだけどこのどちらも現状の辛さ、苦しみから脱却したいという全く同じ思いからではないだろうかと思うのだ。病気なら、早く治癒して(楽になって)生き抜きたいでもそれが不治の病であったり例えば、中東などで起こっているような拉致・拷問などのような「逃げられない苦痛」であれば早く死んでしまいたい早く殺してくれ!と死を求めるであろうこいいった生きたいと思う人も死にたいと思う人もどちらも苦からの解放を願う人の気持ちで同じことではなかろうかでも僕は思うのだどちらの苦も人の心次第でどうにでもなるのではないかと・・もちろん精神的に追いつめられたような場合は自分を信じ、希望を持つことで必ず精神的苦痛から脱却できると確認する肉体的な苦痛でさえも心次第で脱却できる可能性があると思う例えばプラシーボ効果だプラシーボ効果とはプラシーボ(Placebo)の語源はラテン語の「I shallplease」(私は喜ばせるでしょう。)に由来しているそうです。そこから患者さんを喜ばせることを目的とした薬理作用のない薬のことを指すようになったのです。通常、医学の世界では乳糖や澱粉、生理食塩...
人間の生き方

希望を持つ心に仏や神が宿る

僕は仏や神や先祖の霊などのいわゆる超越的な存在がいるとは全く信じていないこれは僕なりの考えだけど仏や神とは希望を持つ人の心に宿るものであって、決して超越的な存在ではない更に仏とは地獄のような状況の中でも最後まで希望を捨てず、智慧を持とうとする人の心に宿ると思うそれ故、自ら諦め、希望を捨て憎しみや憎悪あるいは怒りと悲しみに浸ろうとする心には神も仏も宿らないそう思っているだから超越的な存在の神や仏や霊魂が人間を守るのではなく希望を持つ自分の心に宿るそんな「神?」や「仏?」が自分自身を救うのだと思うだから 自分自身を救うのは自分自身の心でしかない脳出血による半身麻痺という障害を負って何度も死のうと思ったり正直、(心の中では)「これがウソであってほしい」と何度も神頼みをしながら、自分はどうやったら強くなれ、どうやったらこの障害を抱えて生きていけるのだろうかと考えてきた僕の一つの結論としてそう感じるのだ神や仏先祖の霊などのいわゆる超越的な存在など一切いない自らが希望を持つことができてこそそこに「神?」が宿り「仏?」が宿り「先祖の霊」が宿り自分自身を強くでき、自分自身を救うのだと・・以前も書いたけ...
人間の生き方

僕の智慧

知恵と智慧・・これは僕なりの解釈であり、そして自分のための解釈である人間生きていると様々な「理不尽」に出会う。例えば、人間社会・・社会全般であったり、会社組織であったり、或いは家庭という最小単位の人間関係の中で生きているで、義務を果たさない人がいたとする。そんなとき、、自分が代わりに(何かの問題の解決のため)その義務をしなればならなくなったとき、普通人は憤りを感じるものだでもどんなときでも自己犠牲の覚悟を持ってすれば何事にも怒りも悲しみも憎しみも覚えないなぜなら、「自分を捨てる」ことができているから、そこには自我は存在しなくなるから・・どんな事にも動じず、冷静に対処することができる。人間が苦しみ、迷い、動揺するのは自我の存在と自己保護の本能やそれは何というか自尊心とでもいうのか「こだわり」とでも言えばよいのだろうかそういうもの(たぶん自我)があるから人は人を憎む上述のような場合、義務を果たさない人に対して憎しみの気持ちを持ってしまうそして復讐心から損人に対して、報復や敵対してしまおうとするのものだでも(自我)を捨て去ってしまえば怖いものはない、恐れることも、悲しむことも、人うを憎むこと...
人間について

さすがに疲れた・・

今、仕事から帰ってきた・・朝8時半に出発してこの時間・・まだ晩飯も食ってない障害者だから?もらっておる仕事も単調・・そんなこともあってか健常者の頃より長時間働いているような気がするまあ仕事も2つ掛け持ちしているし・・でも仕方がないか、食っていくには・・再生可能エネルギーだなんだかんだと知識があったって明日の飯は食えない。仕事に選り好みはしてられない・・どんなに身体が辛くても、働かざる者は食うべからず・・だしねでも明後日、実はこのブログを通してお付き合いさせていただくようになったとある企業さが太陽光発電でメガソーラーの発電事業を進めるというのでその企業と別の企業をマッチングさせるために出張だ・・それだけは楽しみだな・・うまく進むと良いんだけど。。それにしても疲れた・・さぁ今から晩飯でも食うか・・ああ、もう午前様だなぁ・・明日も8時半か・・ちと辛いな。。
人間の生き方

やっぱり逆境はバネに!・・続き

昨日、屈辱、憎しみ、悲しみ、怖れといったネガティブな感情をバネに「生きるエネルギー」を持つということについて書いたけど、このネガティブな感情をバネに自らのエネルギーに変えた「人?」にあんまり良いイメージは無い・・例えばあのヒトラー・・青年時代に不遇の時期があったそうだ・・20世紀初めにウィーンで不遇の青年時代を過ごした際、約3年間にわたって利用したホームレスのための簡易宿泊施設メルデマンシュトラーセ宿泊所が今年いっぱいで閉鎖されることになり1908年にウィーンに来たヒトラーは美術学校の受験に失敗、所持金も使い果たしたため1910-13年、この宿泊所に身を寄せ、自作の絵はがきなどを売って暮らしたと聞くやっぱり、ネガティブな感情をバネにすると良くないのかなぁ・・そしてもう一人・・これは架空の人物だけど、あのスターウォーズのダースベーダーことアナキンスカイウォーカー・・このストーリーでも若きアナキンスカイウォーカーが母親を殺されるなど、不遇の青年時代を送っている設定になっているその自分不遇の人生に憎しみを抱き、それは周囲への憎悪に変わり、心が暗黒面に堕ち、強い憎しみなどのネガティブな心をエネ...
人間の生き方

やっぱり逆境はバネに!

屈辱、憎しみ、悲しみ、怖れこういった感情を持ってしまうとき、人は逆境にいると思う苦しくて、苦しくて、八方塞がりでどうしようもなく、苦しみもがいているこういったいわゆるネガティブな感情は捨てなきゃいけないそして、前向きな気持ちで且つ無心で物事に取り組むべきだそう思っていたけれど今(今日?)は少し違うこういった屈辱、憎しみ、悲しみ、怖れの感情をバネに変えた方が大きなエネルギーと負けん気が出てくるような気がするスターウォーズによると、、こういった感情をエネルギーにする事はダークサイド(暗黒)のエネルギーだからいけないそうだ、、でも、僕は所詮生身の人間、、こんな状況中で、心静かに且つ冷静でいられるような「聖者」ではないだとしたら、こういった感情をバネにして心のエネルギーを高めた方が良いような気がする屈辱、憎しみ、悲しみ、怖れといった感情を、「人への」復讐のためにさえ使わなければそれで良いのではないかその代わり僕を襲い、奈落の底に落とした脳出血後の障害という病に対して復讐する気持ちでバネにしようやっぱり、病を憎み、「負けるもんか」と思って生きた方が、僕にとっては這い上がるエネルギーになるような気...
人間の生き方

忍耐の徳

忍耐の徳、、この言葉で思うのは僕の父だ僕の父はまさしく、忍耐の人だと思っている中学卒業後、風呂敷包み一つで大阪のメリヤス会社に丁稚奉公に出てきて、当時の親方には朝6時からよるは24時までこき使われて、文句の一つも言わずに必死で働いてきた人だそして当時の親方のはからいで、分け与えてもらった(その親方からはその土地はくれてやると言われていたそうだ)に家を建てた。にも関わらず、その親方の死後、その親方の息子が「その土地はうちのものだ、欲しかったら買え」と言いだした。でも僕の父は文句一つ言わず、約10年の借金をして購入したそしてさらに売ってもらった事に対するお礼までした。。。今でもそんな父が不甲斐ないと感じたことを覚えているこれは父が忍耐した一つの出来事だけど、父は何かにつけて、こんな風だった。どんな理不尽な事にも文句一つ言わずに生きて来た人だこのブログ記事にも以前書いたけど僕が脳出血で倒れた責任は僕の両親(つまり、僕の父)あるから、裁判になったら、僕らの生活の支援業務は僕の両親に生ずるなどと言う理不尽な(僕にとっては許し難い)ことを言った(ヤツ:あえて誰かは書きません)に対しても文句一つ言わ...