人間について

植物のように

生きとし、生けるものには、他の生き物を害し損ね、食しなければ命を保つ事ができないという「悲しみ」があるしかし、生き物の中でただ、ただ、ひとつだけ、あの美しい緑と美しい花を咲かせる「植物」だけが、、、水と太陽と空気、そして、地中のわずかな有機物やミネラル分を糧として、生きるために何ものをも傷つける事なく自らの力のみで命を繋いでいるそして、どんな風雨にさらされても何ひとつ文句も言わず、ただ、ただ、自然の成り行きに身を任せ、そして、枯れるときにはひとり静かに土に戻り、やがて堆肥などとして、他の生き物を生かし、作るものとなり他の生き物の糧となる植物は自ら動く事もできず、ただじっと静かにしているだけにも関わらず、そうやって自らの力のみで命を作り、命を繋いでいるそれだけでなく、他の生き物の命の糧にまでなっている今、こうして健常者のようにアクティブに動く事ができず、パフォーマンスが著しく低下した僕が人の役に立ちたいと思うとき、そんな植物のようにじっとしていても他の人の糧となれるような人間になる事ができれば良いな、、そんな風に思ったりする僕だけど、動く事が辛いと言いつつ、止むにやまれず、今日も茨城まで...
人間について

苦しいとき、、

苦しいとき、、それは痛いとか、痺れるとかいう物理的な苦しみだけではなく不自由さが悲しく、自分が情けないときかも知れないそれは理不尽なんかに対して怒りに満ちあふれたときかも知れないそれは憎しみに満ちあふれたときかも知れないそれは何かに怖れおののいているときかも知れないものごとが思った通りに進まず焦り慌てているときかも知れないいずれにしても苦しいときなんてそんなときではないだろうか少なくとも僕はそんなとき苦しいそんなとき僕は自分に言い聞かせる一切皆苦諸行無常諸法無我無私無欲と唱えるものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出されるだから苦しいときこの四つの言葉を唱えるのだ「我」をなくすことで思うがままにならぬ事(世の中の事象、人間関係から出る様々な軋轢、そして、病、老、死など)そんな思うがままにならぬ事を思うがままにしようとして思うがままにしようとしてならず苦しむこというような事はしたくないだからこそ、この四つの言葉を唱え「我」をなくすことで思うがままにならぬ事を思うがままにしようとしたいという心を(捨てられるものなら)捨てたいと思うもうこれ以上、苦しみたくないから、、
人間について

何のために・・誰のために・・生きる?

脳出血で障害者になって以降僕はこれから何のために生きればよいのだろう・・そんなことをさんざん考えてきたそれまでの生きる楽しみ・意義というようなものはほとんど全て失ったに等しい・・好きなスキューバダイビングはおろか、泳ぐことさえままならない歩くことさえままならないから観光、旅行、スポーツというような楽しみは一切なくなった。それはいくら財産やお金があったとしてもだ・・以前のように仕事に生きがいを見つけることも難しくなったこんな身体でページもうまくめくれないから、紙の書類一つまともに読めないフットワークよく活動もできない運度能力は以前の20分の1ほどだと思うだから仕事で成功してそれに意義を見出すことも難しい・・それに絶えず襲ってくる激しい疼痛・・これだけでも精神的に参ってしまうこんな僕はこれからいったい何のために生きれば良いのだろうそんな事を考えてきた・・じゃあ誰かのため?少なくとも自分のためではないと思う「自分のため」ならこんな苦しい身体で生きていたくなんかないというのが正直な気持ちだじゃあなぜ、今、お前は生きているのだ???そこで気が付いたのは「自分のため」や「何かの(なにかを達成する)...
人間について

苦しいとき、僕を支える3つの言葉

身体が痺れ、痛くて痛くて、正気を失いそうになるときや半身不随となってしまい、数えきれないモノを喪失したことや日々の屈辱感や怒りや悲しみに襲われ、心が崩壊しそうになるとき、僕は3つの言葉を唱える人生一切皆苦人間諸法無我世の中諸行無常この3つの言葉を唱えると僕の心は落ち着いてくる身体的、物理的な痛みや痺れさえも和らいで感じられるのだ僕にとってはこの3つの言葉は「魔法の言葉」のようであるそんなことから人間すべては心の持ち方である!技術力や経済力は関係ない!心次第で何とでもなる!心がすべてとあらためて感じるのだiPhoneからの投稿
人間について

身体の傷と心の傷

人は身体を傷つけられると生きようとするでも心を傷つけられると死のうとする・・これは真実だと思うこの2、3日身を持って実感した、、
人間について

僕の苦と諸行無常

最近、やっとほんの少し分かってきつぁ様な気がするこの世のすべてモノは諸行無常・・永遠なるものは一切存在しないすべては移り変わる喜びも、悲しみも憎しみも苦しみも見守ってくれる者も救ってくれる者も導いてくれる者も慰めてくれる者も労ってくれる者も永遠の彼方かからやってくる者も一切存在しない永遠で不滅の霊魂も手に入らぬし守ってもらう安心も甘美もなく信ずることで救われることもない全ては移り変わっていくのみ・・そんな釈迦の言葉の一片でも理解できたような気がするでもひとつだけ誰かに教えてほしいこの世のすべてのものが蘇行無常というならば僕の今のこの苦しみもいつかは「移り変わり」消えゆくのか?もしそうならそれはいつか?生きとし生けるもの全てが誕生しては消滅しまた誕生しては消滅し更に再び誕生しては消滅しこれを永遠に繰り返すことが諸行無常「移り変わり」というならば僕の今のこの苦しみもが消えゆくのは僕の命が消えゆくときのみなのか?それを教えてくれるなら、他にはなにもいらない財産も、名誉も、僕の苦しみには何の役にも立たないことがこの4年半生きさせられてよくわかったから・・ただ、我が息子にだけは最後まで(何を持っ...