人間について

人間について

僕はマイナスがあったからこそ、今ここにいます。

僕はもやもや病という難病と半身不随という障害というマイナスによって(零細企業でしたが)会社の社長という舞台から去ることになりました。「なぜ、こんなことすらできなくなってしまったんだ!」「こんなに必死で頑張っているのに、この障害はなぜ僕をこれほどまでに苦しめるんだ!」そんな数多くの感情と対峙して、過去の自分と比較して、マイナスを背負わない人々との比較して苦悩してきました。でも今はマイナスがあるからダメ・・なんてことは無いと思えるようになりつつある。「~だからダメ」なんていうことは無いと思うようになりつつある。挫折の先にこそ価値あるものが存在するのではないかと感じるのです。もし、僕が脳出血という挫折を経験してなければ、今の僕は存在していなかったでしょう。そして、今のような心の持ち方をすることができなかったでしょう。挫折の前より挫折のあとの方が多くのことを学ぶことができ、(健常な時には出会うことができなかったような)多くの人たちと出会うことができ「つながり」を持つことができたような気がする。もし脳出血で倒れていなければ、今も僕はSEという仕事に追われ、会社の資金繰りに追われ続け、今でもプログ...
人間について

素直な心

僕の最も尊敬する人の中に松下幸之助さんがいる。松下幸之助さんの著書に出て来る言葉に「素直な心」という言葉が頻繁に出てくるこの「素直な心」さえ持つことができれば道は開けるという。じゃあ「素直な心」とはいったい何なんだろうか。。。僕なりの理解では自我をなくし私心の無い心の状態だと考えている。自我や私心は「こだわり」とか「思い入れ」などの人それぞれの持つ「想い」でもある。こういった「想い」、特に熱い「想い」はときに大切なこともあるけれど、この「熱い想い」は人を苦しめる原因でもあると思う。何かに対する「熱い想い」を持ってしまうとその「何か」を失ってしまったとき激しい喪失感に襲われるからだ。僕自身、脳出血によりある程度自信のあった身体機能をほとんど全て失ってしまった。会社も失ってしまった。父親として多くのできることを失ってしまった。そのことに僕は激しく苦しんだ。それは、そこに「自我」と言うか「こだわり」とか「プライド」のようなものがあったからだと思う。そういったものを全て捨てることができれば、喪失感に苦しむこともなかっただろう。そして今、僕は昔の自分に比べ限りなく「自我」を無くすことができてきた...
人間について

僕が生きている理由

僕が生きている理由、、それは親や息子とつながりを持ち続けるため僕が生きている理由、、それは家族と一緒にケンカしたり喜んだり悲しんだりし続けるため僕が生きている理由、、それは世の中のいろんな人とつながりをもつためつながりを持つことができるのは障害者でもささやかながら相手の役に立つことができるから・・つながりを持つことは絆を感じること絆を感じることで生きている実感が湧いてくるから・・僕が障害者でもささやかながら人の役に立ちたいと思う理由は人とのつながりが欲しいため・・人とのつながりがある限り、どんなに身体が痛くて苦しくとも生きているだろう。でもそのつながりが無くなるとき、それは僕が最期のとき・・そう思う
人間について

いつのまに・・

最近、ときどき思うことがある僕はいつのまに障害者になってしまったんだろう。とても不思議に感じることがある。僕は中学生から水泳部に入り水泳が得意でマリンスポーツが大好きでスキューバダイビングをやっていた。インストラクターのライセンスまで取得した。そこそこ体力には自信があったのに・・・男のくせに料理も得意だったはずなのに・・フライパンの扱いも結構上手だったのに・・いつのまに・・・何もできなくなってしまったんだろう。歩くことすら満足にできない障害者・・・いつのまに・・・あの頃の僕はどこに行ってしまったんだろう。ふとそんな思いにかられる瞬間がある。いつのまに・・いつのまに・・僕は障害者になってしまったんだろう。あの頃の僕は帰ってくるんだろうか。。なんだか夢を見ているような気分だ。。
人間について

病気は僕らを選んだ

僕が脳出血を起こしたのは、基礎疾患にもやもや病があったからだ。脳の血管がレントゲンで撮影すると煙のようにももやも写るくらいに細いのだ。だからもやもや病と命名された。(正式名称:ウィルス動脈輪閉そく症)だから少しの血圧変化で出血を起こしやすいのだ。100万人に3人という珍しい病気であり、治療法は確立されていない難病認定された病気だ。その病気が僕らを選んだ。なぜ「僕ら」と書いたkかというと、息子にまで遺伝したからだ。なぜ息子にまで・・モヤモヤ病である限り、将来僕のように脳出血を起こす確率は非常に高い。息子には僕のような目には合わせてたくない。何が何でも・・日々医学の進歩している。去年の秋、東北大学でモヤモヤ病の原因となる遺伝子が発見されたという。遺伝子が発見されたということは遺伝子治療が可能であることを意味する。しかし現在の日本では遺伝子治療に保険は適用されない。お金がいる。。それも数千万円。。それでも僕は息子を守る。そのために障害者であっても稼ぐ。健常者に負けないくらい稼ぐのだ!世の中の役に立つ人間になることによってこんな障害者でも稼ぐことができることを証明してみせる。そして少なくと孫に...
人間について

希望は志でなければならない

このブログの記事の中で何度も僕は書いてきましたが、希望とは世の中の状態や身体の状態に関係なく、心の中で持つべきものであると信じている。人間は人生のなかでさまざまな苦境に出会う。病気、今回の東日本大震災のような天災、戦争、さまざまな希望など持つことができないように感じられるような世の中の状態や身体の状態が必ずといってよいほど襲って来る。そんなとき希望が世の中の状態や身体の状態に依存するとしたら、人間は希望など持つことはできないではないか。人間の心の中に持つからこそ、希望を持つことができるのではないだろうか。希望とは、断じて世の中の状態や身体の状態とは関係ない。だから「希望の持てない世の中」など存在しない!これは僕自身が身体障害者となり、会社を破産させ、無職無収入になったという経験から断言できる。もし希望が、僕の身体の状態や家計の状況に依存するならば、僕は今頃、絶望しこの世にいないかもしれない。そういう意味では希望とは志でなければならないと思う。希望という言葉を使うと何か「与えられるもの」のような勘違いをするような気がする。そうではない。自分の心の中に目標として持つべきものだと思う。だから...
人間について

こだわりと経験と思い入れの平松氏が大阪をダメにし、喪失を恐れない橋下氏が大阪を救う

まもなく大阪市長選がありますが、私は個人的に橋下氏を応援しています。それは橋下氏のパフォーマンスに触発されたわけではなく私なりの理由があります。それは平松氏は、経験からくる「こだわり」と「思い入れ」と「誇り」の人であり、橋下氏は喪失を怖れない改革者であると感じるからだ。「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」という言葉は聞こえは美しく素晴らしいと感じるが、僕は「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」こそが人間の成長を止めてしまう、或いは企業や国を弱体化させる大きな原因ではないかと思っているからです。それは人間というものは「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」というものを持ってしまうとそれを喪失することを異常に怖れてしまうのではないかと思うからである。「喪失への怖れ」は人間の判断を狂わせると思う。多くの企業が倒産する原因の一つが「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」というものではないかと感じています。なぜなら「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」は守りたいという心を生んでしまい、その結果「諦めるべきときに諦めることができない」という大きな失敗の原因になると思うのです。これは年配の人ほどそうなってしまう...
人間について

不幸ではなく不便なだけ

障害者になってしまったことによって今まで当たり前にできた事ができなくなってしまい、これまで、たくさんのことを諦めてきたけれど、障害者になってしまった事は決して「不幸」ではない、「不便」になっただけ不便なら工夫さえすれば、何とでもなる人の5分の1のスピードしかなければ、5倍の時間をかければ同じことができる。あとは工夫で少しでもスピードを上げられるようにすれば良いだけ。自分を不幸と思うなんて損!そんな気持ちだと工夫する知恵も湧かなくなる。工夫して少しでもできることが増えたり、スピードが少しでも上がることができた喜びを味わう方がずっと得!障害は決して不幸ではなく、不便なだけ!不幸と思うのは心の中心の中で自分のことを不幸と思う心が自分を本当に不幸にしてしまう。不便とは心ではなく状況、不便な状況なら知恵と工夫でなんとかなるじゃん希望や志も同じ状況と心は関係ない。どんなに苦しい状況でも心の中には希望が持てる。
人間について

機械は「理論・理屈」で動くが、人は「熱」で動く

人間が希望を持って生きて行けるかどうかは、周囲の物理的状況とは何の関係もない。よく「希望を持つことができない日本にしたくない」などという言葉を使う政治家がいるけれど、希望を持つことができない日本って一体どんな日本なんだ?と思う・・何度もこのブログの記事で書いているけれど希望なんて人間の心の中で持つものであり、周囲の物理的状況や経済環境なんて何の関係もない。どんなに苦しい物理的状況(例えば戦後の焼け野原のような状況や世界恐慌のような不況)であっても人の心の中にだけは「希望」を持つことができる。それは「心の熱」だと僕は思う。「心の熱」こそが世の中を変えることができるのではないかと思う。機械は物理的論理で動くけれども、人間は「人の心の熱」(熱意とか情熱といったもの)で動くものだと思う。だからこそ心の中の希望が大切であり、心の中に持つ人間の志が大切なのだ。心の中にそれがなければ、どんなに頭が良くても、どんなに知識があろうとも、そしてどんなに物理的に恵まれた環境であろうとも、新しい発想も生まれないし、技術革新もできないと思う。僕は身体障害者になってしまったけれど、そんな志と情熱だけは健常者に負け...
人間について

手ごたえのある人生さえ送ることができればそれで良い.

人並みな喜びなんて僕にはもう必要ないさ。脳出血倒れて昨日でまる3年。。いまだに、左手は全く動かない。左足も鉛のように重く自由に動かない。もう健常者のようにスポーツなんてできないだろう。「のんびり散歩」すらできない。ただ、歩くことすら重労働なこの身体さ、、人並みの娯楽なんて僕には必要ないさ。でも僕には志がある。(きっと)僕以外の人には持つことができない志がある。この身体でできるだけのことをやればそれでいい。それだけで充分手ごたえのある人生を送ることができるじゃないか。それで充分満足さ。