独り言

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追い詰められて、、

僕は追い詰められた方が良いのかもしれない。何もかもが裏目に出て、追い詰められることがある。そんなとき焦りのため冷静さを失いそうになる。全てが失敗に終わり、もう自分の人生は終わりだ。。と思ってしまう瞬間がある。特に左半身の痺れと痛みが強いときは、どうにもならない気持ちなる八方塞がりだ。もう立ち直れないのではないか。。などと考えてしまう。そんなときは何の発想も知恵も浮かばない。。でも、そんなときに限って不思議なことに僕は心の中の奥深いところで、「絶対に諦めるな!」という自分が出てくるのだ。まるで飢餓状態に陥ったときのみに活性化すると言われるサーチュイン遺伝子のように。。それが無私無欲になれと叫ぶのだ。そして「無私無欲」と唱えてみるそうすると心が落ち着きはじめ、苦境を脱出するためのあらゆる対策が思いうかんでくる。到底不可能と思えるような方法もふくめ、思いうかんでくるのだ。すると、思い浮かんだ方法を全てダメ元でやってみるかという気になってくる。恐ろしく前向きな気持ちなるのだ。。怖れを知らなくなるようなのだ。するとどんどん行動に移し始めるのだ。自分でも不思議なくらい。。今日も今、九州にたったひと...
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悔しくて、悔しくて、

昨日、ある人に僕がなぜこのような片麻痺なってしまったのかということを聞かれ、話しているうちに悔しさのあまり涙が溢れ出そうになった。思い返せば、約2年半前僕は柄にも合わず小さな会社の社長として必死で働いていた。そのころから志はあった。日本の伝統工芸品を世界にアピールし売り上げを上げることによって日本の伝統工芸産業の少しでも役に立ちたいと思っていた。その頃未来を夢見て作った海外向け伝統工芸品ショッピングサイトのTOPページがまだ残っている。会社は小さいながらもそんな志を持ち社長業を頑張っていた。でも実際には、そんなに簡単に売上が上がるものではなく、毎月資金繰りに苦しんでいた。家族を養うためにも必死の思いで働いていたけれど思うように売り上げが上がらず毎月の資金資金繰りに追われ苦しんでいた。なんとか会社を維持するため、大切な社員に給与を払えるように寝る間も惜しんで徹夜続きで働いていた。そんなふうに頑張って働いていたけれどそれに追い打ちをかけるように起こったリーマンショックこのリーマンショックによって翌月海外向けの売上が大きく落ちてしまった。来月の給与を社員に払うことができないかもしれない。自分...
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また、海に連れて行ってね。

昨日、息子が沖縄の海の番組を観ていて、「パパ、また海に行こうね!」と言った。僕は麻痺した左半身を右手で指して「パパはこんなだからもう行けないよ。一緒に泳げないよ。ごめんね」って言ったら「また、治ったらでいいよ!」息子は麻痺が治ると思っている、、、それがとてつもなく辛かった。。こんちっぽけな事に涙している自分と非現実的な夢想家のような大それた志に挑もうとしている自分があまりにも滑稽で笑えてしまう。
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叔父はさぞ無念だっただろう。

8月15日、お盆に僕の両親の実家(福井の越前付近の山の中)に脳出血を起こしてから初めて3年ぶりに墓参りに行ってきた。久々に見る田舎独特の大きな屋敷。久しぶりに中に入ってみて、目に飛び込んできた。私の叔父の似顔絵の掛け軸だ。旧日本帝国陸軍の軍服姿だ。その顔は微笑んでいる。とても優しそうな顔だ。その叔父は私の母の1番上の兄である。もちろん僕は実際に顔など見たことがない。第二世界大戦中に旧満州で戦死したからだ。徴兵されたのは19才だったという。そんな叔父が僕を見つめているような気がした。僕に何か言いたげに見えた。僕の祖母は僕が12歳の時に既に亡くなっている。その祖母がいつもその1番上の長男の自慢話をしていたことを覚えている。とても優秀で頭が良かったらしい。それだけでなく親孝行で9人兄弟の1番上の兄として一家を支えるための自覚があったという。越前海岸で怪我をした人を背中に背負って崖を登り、助けたことがあるという人だ。村でも英雄だったという。いつもベタ褒めだった。でも祖母が死ぬとき、口にしたのはその叔父の名前だった。幼かった僕にはわからなかったけど、本当は叔父の話をすることは死ぬほど辛かったに違...
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キリマンジャロ

キリマンジャロかぁ・・さっき日本テレビの24時間テレビで全盲の障害者の女性がキリマンジャロに登頂したのを見て感慨深かった。。なぜなら僕が健常者だった頃の夢はキリマンジャロの頂からアフリカの(人類発症の地)サバンナを見ることだったからだ。脳出血で肢体障害者になってからというもの、とっくに忘れていた夢だ。死ぬまでに一度で良いから、行ってみたいと思っていた場所だった。でもこの身体ではもう行くことは不可能だろう。何だか悔しい。。いつかこの身体で行くことができるだろうか。行きたい。もしこの身体で行くことができるなら、、もう何も望むことはないだろう。
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現代の政治家の「議論を深める」というくだらない小田原評定

現代の政治家の「議論を深める」というくだらない小田原評定まもなく民主党代表選で日本の新しい首相が決まる。代表選に立候補した政治家が今後の日本の復興や経済政策について「議論を深めたい」などという言葉が多いと感じる。僕にしてみれば「議論を深める」などということはまったく意味がないことだと思っている。そもそも「議論を深めて」何をするというのだ議論なんか深めたって何の意味もないと思うのだ。なぜなら何も決まらないからだ。僕は議論は何かの成否を決定するために行なうものだと思っている。最近の政治は議論ばかりしているが何も決まらない気がする。それは議論をする時のリーダーに明確な志がない証拠だと思う。いわゆる小田原評定だ。小田原評定は戦国時代に優秀な北条家の重臣たちが今後の戦について議論を行った会合だが、自らの考えばかりを主張し合い結局何も決めることができなかった会合のことだ。最近の政治家の、国会の議論を見ていると正に小田原評定だと感じている。国会の議論なんて何の意味もないと感じている。何も決まらないからだ。これはひとえに首相のリーダーシップの無さと志の無さが原因だと思う。でも僕は絶対に違う。健常者のよ...
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執 念

昨夜自分のやろうとしていることをある人に伝えたところ、激しい指摘をされた。要するに僕のようなレベルでは到底無理であるというような指摘だった。たしかに僕はそんなに優秀な人間でもないし、身体も障害者である。専門知識もない。身体が障害者だからできない専門知識がないからできない。だからやらないということには僕はならない。絶対にやり遂げてみせる。身体が動かなければ工夫すればよい。右半分は動くのだから、右半分で全てをできるように工夫すれば良いだけではないか。知識がなければ知識を習得すれば良いだけじゃないか。これは僕の執念である。夢や希望や志というものは、知識がれば、そして身体が健康であればできるというものではないと信じている。そもそも夢や希望や志などというものはこれまでに前例のないことばかりではないか。だからこそ夢であり、希望であり、志なのではないか。つまり前例がないのである。だとしたらその志や希望を実現するための知識や経験なんて誰も持っていやしないではないか。例えばオリンピックで世界新記録を出す選手は、その身体が世界新記録を出せる身体だから目指すのだろうかその人が世界新記録を出せるかどうかなんて...
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命を懸ける

僕は今のNPO法人の活動に命を懸けているつもりだ。少なくとも僕の中では、、何としてもこの国のエネルギー事情を再生可能エネルギーにシフトを実現させたい。 再生可能エネルギー促進法案は通り、メディアも世論もかけ声だけは大きいが政府も巨額の財政赤字であり電力会社も余力のない現状では困難だと感じている。だからこそ僕は外資の力を利用し実現するのだ!実現したいのだ。この日本で、、そのためには今後5年の再出血の確率が61%であろうと妥協はしない。周囲に無理と言われても、自分んがやるべきだと思ったことはやる。活動の中で、全国を走り周るのは正直辛い。歩き周るだけで、左半身が猛烈な 痺れと痛みに襲われる。それを堪えて歯を食いしばって歩いたり、階段を登るようなことは再出血を誘発するのかもしれない。左半身が猛烈に痺れた状態で右手と右足だけで車を運転するときなど意識も朦朧としているので飲酒運転より危険かも知れない。万が一、運転中に再出血などしたら即死は間違いない。それどころか周りに大きな迷惑をかけてしまう。そんなことは承知の上だがやらずにはいられない。何か得体の知れない使命感のようなものに突き動かされている気が...
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神経を逆撫でされる感じ・・

訳あって、今投資ファンドの勉強をし始めている。本屋さんで適当にファンドに関する書籍を買ってきた。今までの自分とは全く畑違いの分野だったので、ある意味新しい知識が身に付くのではないかとワクワクしながら読んでみたけれど、読めば読むほどなぜかイライラしてきてさらには腹が立ってきた。なぜならいろんな(もっともらしい)名前をつけ投資手法が説明されていたのだが、どう読んでも所詮は数字のトリックによる錬金術にすぎないと感じ始めたからだ。このような投資手法は資本の流動性を高めるということで正当化していいたけれど、僕にはどう考えてもあるべき姿とは思えなくなってきたからだこんなものからは何も生まないではないか。そんなふうに感じてしまった。やはり僕はエンジニアなのかな・・ こんな仕事は向いていないような気がするハードウェアでもソフトウェアでも何でも良いけど、モノづくりの方がずっとやりがいを感じると思う苦労してでき上がったときのあの達成感は何物にも変えがたい気分だ。金融では世の中に役立つモノを創造するという達成感や生きがいを感じることができないような気がする。こんな金融システムで本当に良いのだろうか。そんな疑...
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アメリカ人などが作った金融商品の金融理論は数字のレトリックによる錬金術にすぎない!!!

昨夜に引き続きファンドなどの金融商品は数字のレトリックによる錬金術にすぎないということを書いてみたいと思います。僕は大学時代ある化学反応漕である物質の濃度分布を明確にするための方程式を作るという研究をしていた。これは正に数字のレトリックを作ることだった。数字のレトリックというより「方程式のレトリック」を作ることだったと思う。数字のレトリックとはいろいろな計算式を組み合わせもっともらしい結果を出すことである。一見正しい方程式のように見えるけれども実は方程式の裏側にはすぐにはわからない細工が施していたのです。僕の目的は対数表において反応漕の物質の分布を表すものに違い曲線を描く方程式を作ることだった。通常、対数表においてはどんな方程式を作っても直線になる。しかし僕は曲線を描く方程式を作ることに成功した。もう30年以上前のことなので詳しいことは忘れたけれども、ちょっとした数字のレトリックを使ったのだ。ところが教授陣はこの方程式のレトリック見抜けず見事に騙され、すごい方程式だと称賛され、僕は卒業単位をとることができたのだ。。^^;その後、実はこの手の数字のレトリックを使った方程式を大学卒業後すぐ...