独り言

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心あらたに・・

新年の正月とは不思議なものだ何も環境が変わるわけではないけれどそして心あらたに頑張ってみようと思える僕は元旦が誕生日だから1歳老いてしまったのだけれども身体は1歳老いたのかもしれないけれど、、心はあらたにできる心があらたにできるということは心を若返らせることではないだろうか心あらたにできる限り、日々頑張ろうと思う。そしてあきらめない
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親として気になること・・

去年、僕が脳出血を起こした起因の一つであるもやもや病になる可能性のある遺伝子が以下のように次々と発見されている。---------------------------------------------------------------------<東北大学の発見記事>東北大学大学院医学系研究科小児病態学分野の呉繁夫准教授らのグループは、発症に関わる遺伝子RNF213 を見出し、日本人患者の約70%は同じ遺伝子変異を持つことを明らかにしました。この遺伝子変異によりモヤモヤ病の発症リスクが約190 倍に上昇するため、遺伝子検査による発症リスクの予測が可能となります。今後、この遺伝子機能を調べることで脳卒中の新しい治療に結び付く可能性があります。<京都大学病院の発見記事>RNF213の4810 番目のアルギニンがリジンに代わる多型(p.R4810K)が、もやもや病の発症に深く関わる。もやもや病患者のうち日本人では161 名中145 名(90%)韓国人では38名中30 名(79%)、中国人では52名中12 名(23%)でp.R4810K が見られた。p.R4810Kにより、日本人では約34...
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片麻痺って厄介、、

片麻痺と両麻痺(例えば足だけは麻痺とか、腕だけ両麻痺とか)どっちが大変と健常者の人は思うだろうかある人から言われた事がある・・「片麻痺でまだ良かったね。両麻痺だったら、もっと大変だったろうに、、」と、、理解してもらえていないな、っと感じた。僕にしてみれば、脚が両麻痺であっても両手が使えるなら、僕には書類整理ができる車いすサッカーにも挑戦できる片方の手が不自由というだけで書類整理などの事務仕事などは一切できない逆に両手麻痺していても(これはかなり大変な障害だと思うけど)両足が健常なら走ることができる。長距離も歩くことができる。片麻痺はどちらも中途半端・・厄介だと思う。まあ片麻痺だろうと両麻痺だろうと、どちらにしても障害は人間にとって辛いものだどちらの方が辛いなんて一概に言えない要するに障害は100者100様であり、ひとりとして全く同じではないということを理解してほしいというのが一番の気持ちそれが同じ片麻痺でもだ(痛みのある人、ない人、小指は動くけど親指は動かないとか)だから他の障害者と比較してどちらが辛いとかどちらが楽なんてことは言ってほしくないと障害者に人は皆思っていると思う。。健常者...
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どこまで持つか、気力、、

僕は今、仕事を2つ掛け持ちしている午前中は後遺症の障害が原因で体調が悪いので、13時ごろからは17時頃まで、知り合いの会社の経理の仕事をしている。その後、18時頃から23時頃まで別の仕事だだから、帰宅できるのは、午前様になるのはザラ半身不随のこの身体でこういう仕事の仕方はさすがに辛いただでさえ、左半身は常時重く、痺れ、痛む歯を食いしばって気力だけだそれでも収入はたかが知れているNPOの活動は所詮はボランティアの色が濃く、やりがいはあっても収入にはならないこんな状況をいつまで続ける事ができるのか正直言って自信がない自分の気力がいつまで持つかにかかっている身体が半身不随という障害の上、仕事は二股、、我ながら、よく身体も気力も維持できていると感心するでも、こんな状態がいつまでも続けられる自信は正直ないそんな自分に叱咤激励するためにもこのブログ記事では気持ちの持ち方を自分自身に言い聞かせるために書いているそれでも、僕は超人でも神でもない生身の人間だどこかで限界が来るだろうといつも覚悟はしている限界がきたとき、自身がどうなるか神のみぞ知る、、だ今は、やれるだけの事を精一杯粛々とやるしかない後は運...
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僕の苦の根源の真実(序説)

僕が本当に苦しんでいる原因は、脳出血による障害という身体的苦痛が全てではない本当に苦しんでいる原因は、そんな病や身体障害などではない。病や身体障害なんて恨めしく思ったって所詮どうしようもない。人は病に襲われるときは襲われるものだ人間の力ではどうしようもない人間がいつか必ず病に襲われるのは自然の理法であるもやもや病という難病だって、生き物である限り、何パーセントかの割合で、遺伝子が突然変異して起こるものだ。人間の力で避ける手立はて今のところないだから、なってしまった事自体はどうこう言ってもはじまらない。ボヤいたところで治るものでもない大切なのは、なってしまったあとどうやって生きるか、どうやって乗り切るかである僕が苦しんでいるのはその点である大黒柱である僕が病に襲われ、倒れたとき。いやそのあとを皆で力を合わせてどうやって生きのびるかそれを本当に真正面から立ち向かい、最善を尽くしてこれたのかという問題であるこの4年間本当に最善を尽くす事ができたのか、僕は大いに疑問視しているそして、その事に今、最も苦しんでいる。そして、無念であり、死ぬほど悔しいのであるいったい何の事?と思われるかも知れないそ...
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警察の「民事不介入原則」の疑問

唐突な話題ですが、「民事不介入原則」 について僕の疑問を書いてみたいと思います。「民事不介入原則」という言葉を一度は聞いたことがあると思いますけれど、これは簡単に言うと警察は「刑事事件」を扱うのであって、「民事事件(金銭の貸し借り上のトラブル)」には「一切」関わらないということです。「あの人は貸したお金を返してくれない。返せないものはしょうがないだろうなどといって、申し訳ないの一言もない。あつかましくけしからん、早く逮捕でもして下さい」と交番に駆け込んだところで相手にしてくれませんここで問題になると思うのは悪徳業者のサラ金などでお金を借り、脅迫まがいの取り立てをされたたときでさえも警察は一切か関わろうとしないということです。なぜこんなことを書くのかというと、僕自身がこの「民事不介入原則」を盾に警察から追い返された経験があるからですもう十年以上前の話になりますが、サラ金からの借金まみれになっているある人の自己破産を手伝ってあげた事があるのですが、そのときに警察から民事不介入原則」を盾に警察から追い返されたのです。借金まみれになったその人がもう会社も辞めざる得ないような状況に追い込まれて退...
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今日から息子が検査入院だ、、

今、脳神経外科の待合室にいる今日から息子が検査入院だからだ息子も僕と同じモヤモヤ病(正式病名:ウィリス動脈輪閉塞症)であるこの病気は進行性なので、定期的な検査が欠かせない。放っておくと、血管閉塞が進行し、ヘタすると、脳梗塞を起こし、最悪の場合死亡するのだ。この検査は脳動脈血管造影検査(アンギオ)という決して、簡単な検査ではない脚の付け根のいわゆる鼠蹊部から大動脈にカテーテルを刺し込み、脳血管まで入れ造影剤を脳血管に流し込みレントゲン撮影するモヤモヤ病の場合、脳血管が細過ぎるからMRIでも正確な脳血管を撮影できないから、造影剤(放射性物質)を血管に流し込むという、こんな身体に負担のかかる検査をしなければならない。検査には全身麻酔もする全身麻酔だけでも、小さな子供の身体にとっては負担になり危険でもある僕自身がモヤモヤ病が起因で、脳出血を起こしたのだから、息子も油断はできない。この難病は一生つきあわなければならない。つまり、一生、定期的なアンギオ検査を受け続けなければならない。検査費用も、1回3割負担でも、5~8万円する今の僕にとっては負担が大きいでもしないわけにはいかない僕は思うなぜ、これ...
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もう息子は手術の必要なしとのこと・・

今、家内から携帯メールが入った脳血管造影検査の結果、2年前の脳血管吻合手術の甲斐あって新しい血管が伸びてきて血流も良好とのことそれゆえ今後更なる手術の必要はないだろうとの事・・あ~良かったこれで息子のことで心配事が少なくなったとはいえ、超極細のもやもや血管が消失したわけではないつまり僕と同じくらいの年齢になるとその超極細の血管は年齢と共に当然脆くなる・・だから高血圧には要注意だ僕と同じ目に遭う可能性が消えたわけではないいずれにしても一段落だ・・2年前のような術後のこんな姿は二度と見たくないそれにしてもこの病気・・遺伝するなんて困ったもんだ・・まだ気が早いけど孫にまで遺伝しないかとの心配もまだある
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自分の荷を軽くする事は他人の荷を重くする事

自分の荷を軽くすることは、それだけ他人の荷を重くすることにしかならない。人間の世の中なんてそんなものだと思うそんな風にお互い相互依存で成り立っているものだと思う会社の上司・部下の関係でも同じだと思う管理職になって、部下に仕事を任せる事で仕事全体が効率良くなっているように思うかも知れないけど、所詮は自分の荷を軽くした分、部下の荷が重くなっているだけの事人間の(心も身体も含め)負荷として考えてみりゃ、どこかに負荷が偏っているだけで、全体としちゃ何も変わっていないというような事もあるだろう会社組織の中だけでなく、自社の効率化をできたとしても、結局のところ、自社の重荷を軽くした分、取引先や関係会社の荷を重くしているだけかも知れない。全体としてみれば、業界全体は何も変わっちゃいない事だってあると思う家族だって同じだと思う自分の荷を軽くすることは、それだけ他の家族の荷を重くすることにしかならない。実際のところ、人の世の中なんてそんなものだと思うだから、どんなときでも図に乗っちゃいけないどんなに「偉い」人間だってよくよく見れば、どこかの誰かに支えられているから今の自分があるって事を忘れちゃいけないと...
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何もかもがいつもギリギリなんだよ

最近、僕はいろんなことをやっているいろんなことができるようになってきているそんな僕を拾遺は気安くいろんことができるようなってきた僕を気安く「元にもどってきた」と思っているかもしれないでもねいついつもギリギリなんだよ椅子に座ったり、椅子か立ったろすることでさえ必死なんだよ決して「普通に」できているわけではないどんな動作の瞬間でもギリギリなんだよ必死なんだよこうやってタイピングをしているときだって片手だけでタイピングすることがどんなに面倒で辛いかいつもミスタイプにイライラし切れそうになりながらながら、修正、修正の連続でタイプしているいつも気持ちはギリギリなんだよだからすぐに頭に血が上るんだよそんなこと言っても仕方がないか・・理解してもらえるわけでもなし、、だからどうすればいいんだよって言われちゃ何も言えないし。。ね