人間について

人間について

僕が未来を作るためにしていること・・

僕は物事が行き詰ってこの先何をして良いかわからなくなったとき、将来が全く見えなくなったと感じたとき僕がすることはとにかく新しい人に繋がりを持つことを心掛けています。とにかく、何かやりたい事(今身体で、できなくても良いから)とにかくやっててみたい事に関係のある人有名人でも、政治家でも関連事業をしている企業の社長とかに・地位や立場なんてお構いなしにコンタクトを取る。コンタクトの取り方は2つ・自分の考えを述べる・提案するこのどちらかだ手段はメールか親展による手紙・・関連する知識がなければ即席でネットで情報を集めて勉強する・・専門家の人にとってみれば知識が浅いことは丸わかりでもいいとにかく当ってみる当たって砕けて当たり前!でも当たることによって少なくとも僕の存在を知らせることができるそのためにできるだけインパクトのある言葉を使うとにかく僕を覚えてもらうそれだけで良いのだそうすることによって、何かが変わってくる僕の存在を覚えてもらうとうだけの方法で繋がってさえいればあるとき突然連絡が来たりする不思議なもんだそして新しい情報や考え方を知ることができるそうすると、そこから新たなアイデアが自分の中に湧...
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「心情的理解」が人を動かす

昔、若いころ人を動かすためには相手に対する「心情的理解」が必要だと習ったそして相手に対して「心情的理解」が示せたかどうかの判断は・・「相手の気持ちを相手が表現する以上にこちらが表現できたとき」ということだった。そんなことを習ってしばらくしたとき僕自身がある相手に「「心情的理解」」を示すことができたとう瞬間に出くわした。僕は若い一時期、柄にも合わず、コンサルタントという職業についていたあるとき、ある企業の担当をしていたときその企業の№2の社員(仮にAさんとしよう)が会社(社長)に対して不満を持っていることがわかった僕はそのとき(今はもう何だったか忘れたけど・・)Aさんの不満が手に取るように理解できた。そしてある会議の場で僕がAさんの不満を30分ほど代弁してあげたことがあった。そのときだった。Aさんは目を輝かせて、「そうなんです!私の言いたかったとは、今、岡下さん言った通りなんです!」「岡下さんだけが私の気持ちを分かってっくれています」と言ってくれた・・僕は、正直驚いた・・たぶん僕がAさんの気持ちを的確に代弁できたのだろうAさんが言いたくても言えなかった不満を僕が「彼以上の表現で」言うこと...
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素晴らしい!この感性!

何年か前にアカデミー賞を受賞した短編アニメ・・「つみきのいえ」を久し振りにYouTubeで観た素晴らしい!の一言!たった10分そこそこそこの短編アニメだけどこの10分の中に2時間モノに匹敵する多くの物語を訴えかけている最近の戦闘シーンと特撮だけを売り物にした低レベルのハリウッド映画なんか観るよりずっと感動した・・人生のはかなさを感じ、ちょっと涙ぐみそうだった日本人の感性も捨てたものではいな・・
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己を捨てたい

思い入れ・・こだわり・・つまり自我・・武士道的に言うといわゆる「おのれ」というやつだと思う「己」「自我」・・これが人間を苦しめる大きな原因だと僕は確信している。人それぞれ人間は大なり小なり「思い入れ」や「こだわり」やプライドを持っていると思う自尊心とでも言うのでしょうか自分が自分でああるために必要なモノでもそのプライドがあるからこそ頑張れることもあるのですがその反対にそのプライドを打ち砕かれたとき人は酷く苦しむ・・立もう二度と立ち上がれないと思うほどにうちひしがれるでもそのプライド(「思い入れ」や「こだわり)をつまり「己」を「本当に」捨てることができたとき人は本当に強くなれ、希望を持つことができると思う。僕自身がそうだったように思う。健常斜だったころ僕には無意識に「男とはこうあるべき」とか「夫とはこうあるべき」そして「父親とはこうあるべき」といったような思い込みもっと基本的な・・最低限人間とはこうあるべきだという(「思い入れ」や「こだわり)つまり己と自我を自分がしっかり持っていた事に気が付いたそれを自覚したのは脳出血で半身不随になったときだ。なぜなら半身不随という間として最低限必要な身...
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堪忍と寛容によって支えられているもの(自分)

意地や面目を立て、プライドを通す事とは勇ましいと思う壮烈にもみえるだろうでも、人間にとって本当に大切なことは古い考え方と言われるかもしれないけれど・・「堪忍や辛抱」の中にあるのではないかと僕は最近思う国家や会社、或いは家族でもそうだけどそれらを帆本当に支えているのはこういう堪忍や辛抱ではないだろうか人の眼につかず名も現れないところで働いているそういう人の力なのではないだろうかいわゆる「縁の下の力持ち」というやつだ。今僕が生活し、生きていられるのもそういう堪忍や辛抱の上で成り立っていると僕は思っているその上で生きていられることを決して忘れてはならない。自分の力だけで生きていられるなんて思うのは思い上がりであり、驕りでしかないそして一言の文句も言わず、支えてくれているような人々に対する感謝を忘れてはならないと思うそれを忘れると必ず将来痛いしっぺ返しをくらう事になるだろうから・・
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人間の欲って・・

あと5日でこの僕がもう齢50歳だ・・50年も生きていると・・まだまだひよっ子だけど人間についていろんな事を思う・・そんな中・・つくづく悲しいと思うのは・・人の欲の悲しさだ人間、欲に負けるというのはつくづく悲しいもんだと思う日頃どんなに偉そうな口を叩いていても・・イザというとき自らの欲に勝てず、「義」を曲げてしまう破産したときには、あれほどまでに泣き、個人の債権者(つまり金貸しを業としていない善意の貸し主)だけには一生かかってでも返すと誓っていた人がイザ免責を受けてみると目の前の金が惜しくなり、結局、今は何もしていないとか・・今から思うとそんな人間をたくさん見てきた。本人だって当初はそんなつもりはなかっただろうけどイザ事が起こると欲に負けてしまう人間の欲って本当に悲しいもんだね。
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洞察力の向上?・・・

脳卒中になってからというもの・・人の心の動きにとても敏感になったと感じているそれは「人の心が読める」というと語弊があるかもしれないけれど・・人の発言がや表情からその人の「本心」のようなものが透けてみえるのだ。それは霊感とういったような存在もしないくだらい能力ではなく、洞察力とでも言えば良いようなものだと思う。よく自閉症(特にアスペルガー症候群)の子供は人の心に対する洞察力が常人よりも優れていると聞く、「何でお見通し」だという。それゆえコミュニケーションがうまくできないのだと・・それは脳の一部だけが特に優れた能力を発揮していることに他ならないと思う僕の場合、脳の一部を損傷した結果、別の脳の箇所が発達したのかもしれないし、障害者という劣等感から人の目を気にするようになっただけかもしれない。どちらかは定かではないが、いずれにしても、あ人言動と、その人の言動前後の行動が僕の中で妙に一致しないというか不自然・・と感じることがとても増えてきた。。その人の「欲」が見えてきたり・・である妙に敏感になったと感じる今日この頃なのだ。そしてそれは人間としての基本的な機能を失ったことによる自己防衛本能のような...
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自分を信じる事とは・・希望を持つということ

人の脳は、信じていることを実現させるように働くことが分かってきているそうです。そもそも「自分を信じる」とはどういうことかというと、「口に出して言うこと」こそが「自分を信じること」になるそうです。人の言語機能の発達から考えると、言葉が生まれたのが先であり、その言葉によって「意識」が生まれたと言われています。言語とは本来はコミュニケーションのために生まれた機能ですでも、言語はそれを口にすることで、その言葉の意味が脳に記憶されるのです。そして、記憶と照らし合わせながら、言葉を繰り返していくうちに、言語の組み合わせができていき、それが意識の元になっていくそうです。ですから、言葉に出している内容は、その人が考えていることに他なりません。意識は言葉によってつくられ、言葉に出したことでさらに意識が確固たるものになっていくそうなのです。例えば、優しい言葉を使っているときは、人は誰しも優しい表情になります。それは、優しい言葉によって、意識が優しいものになったからです。そして重要なことは、そうした言葉が口ぐせという習慣になって5年、10年と定着していくと意識もまた定着していくということなのです。優しい言葉...
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障害は本人や家族の責任で生じるものではない。

「障害は本人や家族の責任で生じるものではない」・・・あたり前の事じゃないか・・なにげなく「障害のある当事者からのメッセージ(知ってほしいこと)」の集計結果」というWEBページを見つけたその共通事項の、なんと8位にあった言葉だ。。8位ということは、そういう事を言う(もしくはなんらかの方法で障害者に伝わる・伝える)人がいるということだ。悲しい事だ・・僕も同じ経験をしたっから・・ないかこんな言葉が8位に来ていること自体それだけ無理解な人が多いという事ではないかやるせない・・悲しいと同時に怒りが込み上げてくる・・こんな記事を書いている事自体情けない・・
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伝える・・

人に物事を伝える・・簡単なようだけど、難しいものだ人に伝えた(或いは「言った」)=伝わったではないから・・自分意図が人に伝わったということは伝えた相手が自分の意図と合致した「行動」をしてくれてはじめて「伝わった」ことになるそこで初めて「伝えた」事が完了になるそれまでは「伝えた」事にはならない。それは自分の障害の不自由さを伝えるこということの難しさで痛切に感じているよく「言った、言わない」のトラブルがあるけど言った=伝わったでない限り、言った通りに行動を相手がしないのは言った側の責任だ。つまり「言った」だけであり、「伝えて」いないのだ。伝えるためには伝える 相手の状況や認識や経験度合いを十分に配慮して何を言えば伝わるのか考えなければならない。そんな意味で自分の障害の不自由さを障害のない健常者に伝えるのは実に難しいそれは「同情」なんかしてほしいのではな。「理解」してほしいと思うからだ。いつも思うののだが、よくバリアフリーの施設などで、例えばエスカレーターがあるけど登りのエスカレータと下りのエスカレーターがあるけど、一本しかエスカレータのないとき登り運転だけにしてしまってあるのを見るこれは足...