人間の生き方

人間の生き方

希望はなくならない

困難に遭ったなら、それを解決すればいい希望はなくならない不幸や障害を背負ってしまっても、人生が狂ったわけではない希望はなくならないもしリストラされなければ・・もしお金が盗まれなければ・・もし病気でないのなら・・・もし障害者でなければ。。もし、もし、もし・・・人生に「もし」はない僕は既に実際新しい道を歩き始めているそれを抱えた道が僕のの人生なのだ。だからこの人生で希望を持とう希望はなくなってなんかいないこの状況で、この人生で希望を持とう希望は身体の状態や環境や状況とは関係なく持つことができるはずだ困難な状況になることが分かっているから希望を持つことができないという人がいるでも僕は違うと思う困難な状況になると思うのなら、なおさら希望を持つ必要があると思うどんな困難な状況でも人間は希望を持つことができると思うなぜなら希望は僕の心の中に持つものだから・・・心がなくならない限り、希望を持つことはできると思うだから希望はなくならない
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使 命

僕の使命、、たとえ障害者になろうとも結婚し、息子ができた以上、息子を一人前にすることたとえ何があろうと家内を幸せにするとこと家族を幸せにすることそれが僕の使命どんなに痛かろうがどんなに身体が不自由で津か辛かろうがそれが僕の使命である限りその使命に向かってベストを尽くしたい結果がどうあろうと後悔だけはしたくない死に際にベストを尽くした人生だと思って最期を迎えたい
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もう少し生意気に生きて、目指すは「楽勝」でなく、楽生」だ!

健康な人からすると、病人や障害者は「大変だねえ」と思われがちです。障害者なので、その視線はよくわかる仲がよいとか他人とかは関係ない病人や障害者は、大なり小なり人から心遣いを受けることが多いと思う。そんなとき「うん、まあね」とか「大丈夫ですよ」と心ない会話をする人生を、僕はいつまで続けるつもりなのか見た目や症状で絶対にわかるという方でも、他人が見たらわからない病人でも、もとから生意気だった人も、病気になるとしおらしくなるものだもちろんそれは迷惑をかけているとか、心遣いを受けているとかそんなところからくるのだと思うでも、それでよいわけがないのではないか病気を受け止めて生きていくのは、しおらしくなることではない!少し生意気に生きることができるのなら、関わる人にも心配させることが少なくなってくるのではないだろうか気を遣わせないためには、生意気が必要なのではないか病人は少し生意気であるぐらいがちょうどよいのではないかそれによって、僕に関わる人も突っ込みゃすくなるだろうし感情も出せるいわゆる「我がまま」になるというのではない「我がままではない、計画的生意気を実行しよう!」そうすることが、偏見を少な...
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生きるって難しいな・・

生きることがこんなに難しく苦しいものとは思ってもいなかったこの先進国の日本でこんなにも苦しむとは・生きるって一筋縄ではいかないな・・この障害によって生まれて初めて死の方が楽だと感じさせてくれた生きることが大切なことは理性ではわかるけど僕は何のために生きているのだろうとはじめて考え去られた生きる意味・・って何だろう生きる意味についてこれほど考えたことはない生きている限り永遠に解けない謎のような気がする愛する人が生きている限り、僕も生きたいただそれだけなのかもしれないそれにしても生きるって難しいな・・
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現実逃避した楽観主義と前向きとは違う

どんな状況でも「前向き」になる事は重要だと思う前向きな気持ちは知恵を生むから、、でも、それは現実逃避した楽観主義であってはいけないと思う僕が考える「前向き」とは現実を直視した上で最悪のシナリオを想定した上で最善を尽くしあとは人事を尽くして天命を待つという状態でなければならないと思う現実逃避した楽観主義は戦前、戦中の日本のような、より悲惨な悲劇を招くと思うこれは何も国家レベルではなく個人の生き方にも当てはまると思う45歳~55歳の間での再出血の確率が61%の僕、、常に最悪のシナリオを想定した上で最善を尽くし、前向きにならなければならないのであろう痛みが辛いこの瞬間、そんな事を考えているiPhoneからの投稿
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一日に一度は自分を褒めよう

障害者で不甲斐ないと思う事だらけの毎日だけど、痛みに負けて心が折れかかりそうで情けない毎日だけど、毎日生活や仕事の中で何をやっても健常者の頃のように充分ではないけれど周囲に迷惑ばっかりかけているのではないかと感じるけれど、自分で自分を褒めてあげたいという心境になる日を一日でも多く持ちたいそういう日をつみ重ねたいものだと思うそうすればこんな障害者でも前向きになれるような気がするから、
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障害を乗り越えるために

僕は日々この半身不随という障害を乗り越えるために日々自分なりにリハビリをしているけど一方は「これで十分だ」と考えるがもう一方は「まだ足りないかもしれない」と考えるそうしたいわば紙一枚の差が大きな成果の違いを生むのではないかと日々自分に言い聞かせているつもりだ
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病気だからこそ元気なときを大切にしたい・・僕は古いアメ車のようなもの?

僕は障害者後遺症という障害(病気?)を持つ障害者だから完治する、一生健康でいることは難しいこと・・そのことにといつもとらわれて悩み続けている僕・・僕は本当にいつも苦しいのか自問自答する少しラクなときはあるそれでも自分の障害について悩んでいるそれでは、元気なときがもったいないと思う今このとき、身体がラクならば、そのときを大いに楽しもうと思うたしかに不安はある辛いときも多いでも、元気なときは元気なのだ!じゃあ、1年間症状が出なければ元気なのか?それとも1ヵ月? 1週間? 1時間でもいいじゃない元気なときには、できることをやろう!そのときを楽しめることそのときが少しでも長くなるように努力する!。これが継続できれば、自分自身の人生を最大に満喫することができるはず・・。車が好きだった僕は、たまに自分のことを倒れる前に持っていた古いアメ車のようだと感じる健常者は日本車なので、なかなか壊れないだけど、そんなことは気にしない同じ道路を走るのみうまく走れているときはフルパワーで走る。それだけなんだ壊れたら、修理してまた走るしょっちゅうガタガタ音を立てるときもあるけれど、エンジンが止まらないなら走ってみる...
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困っても困らない! 困難を困難とせず!

困っても困まらない!困難を困難と思わない!僕がいつも弱い自分に言い聞かせている言葉人間、困難にぶつかって「ああ、こまったこまった」と思いだしたら視野がどんどん狭くなり、出る知恵も出なくなる挙句の果てに困難を他人のせいにしてしまい、おかど違いの恨みを持ったりしてしまうものだ困難に出会ったときこそ「どうやって乗り越えてやるかな!」と知恵を絞ることを楽しむくらいの気持ちになった方が良いと思ういつもそう心がけているつもりだでも僕も生身の人間、、痛みや痺れなどでどうにも苦しいときには弱音を吐いてしまう弱音を吐くのいい(もちろん自分にだけだけど:僕は心の中で泣き叫ぶ)弱音を吐いたあとが大事弱音を吐き切ったあとは、意外とスッキリするものだあとは知恵を絞ることに集中する僕の痛みと痺れに関しても自分なりに知恵を絞った当初、医者に聞いても明確な答えが返ってこなかったので僕はとことん自分で脳卒中後の痛みと痺れについて調べまくった医者が教えてくれないなら、自分で調べる!そんな感じだった この痛みと痺れが中枢性疼痛と知ったのも自分で調べて初めて知ったそしてみつけた一つのヒントが「抗うつ剤が場合によっては効くこと...
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喪失することによってしか新しい自分は作れないのかも

僕は脳出血により左半身の「多くの」身体機能を失ったほよく僕に会う人は「左手足が不自由で大変だね」と言ってくれるそして最後に「辛いでしょうけどリハビリ頑張ってください」と必ず言ってくれるでも失った身体機能は何も手足だけではないほとんどの健常者の方は気がつかないだと思いますが左半身のいろんな部分がまだ麻痺しているのだ例えば腹斜筋と呼ばれる身体をまっすぐに支えるための筋肉これがまだ麻痺している身体をまっすぐに保つのが辛い他にも三角筋という腕を支える肩甲骨あ足り筋肉この筋肉が完全に回復していないめに重さ7キロ(体重の約1/10)腕は糸かワイヤーでぶら下がっているような状態なので腕がやたら重い。。感覚も失った(感覚を失った結果、疼痛という苦しみにあえいでいる)こんな風に様々な身体機能を失ったでも僕が失ったものはこういった身体機能だけではないこういった身体機能を失うことによってもっと大きなものを失ったそれはじぶんの全精力を傾け築き上げた小さかったけど自分の会社そして一生懸命働いてくれった従業員会社も破産したからだ(社長である僕が倒れたから仕方がない・・零細企業だったし・・)それに伴い僕個人も自己破...