人間の生き方

人間の生き方

段どりが全ての今、、

僕は健常者の頃、自分でいうのも何だけどいわゆるフットワークは良い方だった仕事でも何でも例えばトラブルなんかでもフットワークの良さで解決したりこなしたりしていたとにかく「動く」事を惜しまなかったでも、今の僕はフットワークに頼る事ができなくなってしまったいざというときにも、すぐに「動く」事ができないこれは辛い僕にとってはものすごいストレスだ杖をついてゆっくりとしか動く事ができないから、いわゆる「やり直し」や「動き直し」は致命的な失敗になる可能性が高いだから、何かをやるときでもどこかに行くときでも、必ず、事前にかなり緻密な自分の行動をシミュレーションするやり直しや動き直しがないように、、「最短距離」で移動できるように、、生産現場などで重要な「動線」をできる限り短くする工夫をしなければ、「動線」が長くなると、すぐにバテてしまうし、足の痺れも酷くなるから、いわゆる「段どり」が重要だ本当に緻密に段どりを考えるようになったこれも障害を負った事よる「効用」と考えれば良いのだろうか僕の親父は大阪の船場での丁稚奉公あがりで、僕は小さい頃から「もの事は段どりが大事」、「段どりが大事」「段どりが大事」と耳にた...
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「人生は結果より、どう生きたかが大切」なんてキレイ事かもしれない

僕はこのブログで「人生は結果より、どう生きたかが大切」なん書いてきたけど、そんなのキレイ事だ、結果を出す事がすべてだと言われるかもしれない。よく考えてみた確かに現実は結果を出さなければ、それまでの生き方も努力も何の意味もなくなるでも、僕はもうその(些細な仕事でとさえ)「結果」を出す事ができない身体になっているそれは自分が十分認識している「結果」に生きがいを見出すことができないだから「生き方」に生きがいを見い出すしか自分を心を保つ方法がない「人生は結果より、どう生きたかが大切」なんてキレイ事を言うのは(考えるのは)ただそれだけの理由かもしれないた今の自分を自分に納得させたいだけ・・たぶんただそれだけそう今、僕は自問自答している
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「自己犠牲」はネガティブ思考だろうか

今年に入ってから僕は度々「自己犠牲」をテーマに記事を書いているそのせいか、最近のネガティブな記事が多いですね・・というコメントやメッセージを頂く「自己犠牲」という言葉の語彙からくる暗いイメージなのだろうかでも僕は時分では決してネガティブになんかなっていないし、この言葉が人をネガティブにさせることはないと思っている「自己犠牲」とは僕の解釈では「己を捨てる」事だと思っている僕のブログの冒頭に僕自身が気持ちを強く持つため・・と題して書いている文章の中の「無私無欲」とほぼ同じだと思っている人が苦しむ根源は己(つまり自我)が存在するからだと思う自我があるから、悲しみ、怒り、憎しみ、、といったような感情が出てくるのだと僕は思う自我はいわゆる仏教で言う「煩悩」の根源だと思う。それゆえ、自我さえ捨てることができれば、悲しみ、怒り、憎しみ、、といったマイナスの感情をも捨てることができ、どんな事象でも冷静に観ることができ、そして粛々と進めることができるいわゆる「心頭滅却すれば火もまた涼し」である自我さえ捨てることができれば、障害の物理的な痛みや苦しみにさえも「勝つ」ことができるそして僕は自我を捨てることが...
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僕の心の師匠

マハトマ・ガンジーは今の僕の心の師匠であり、その言葉は今の僕の心の支えだ僕の好きなガンジーの言葉・・・---------------------------------------------------明日、死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。臆病なものは愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである---------------------------------------------------
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逆境に立ってみて・・

人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ・・順風万帆とは言わないまでも、そこそこ物事がうまくいっていれば何か自分も「できる人間ではないか」って勘違いするものだところが自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになってはじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになるもんだ人間はみんなが重い荷を負っている境遇や性格によって差はあるけれど、人間はみなそれぞれ何かしら重荷を負っている生きてゆくということはそうものなんだそしてその道は険しく、遠い・・だからこそ人間、互いに助けわなければ生きていけないのだと思う自分の荷を軽くすることは、それだけ他人の荷を重くすることにしかならない。人間の生きる道は遠く、生きることは苦しい、だからといって自分だけの苦しみや悲しみだけに溺れていてはならない障害者になってさんざん悔しい思いをして、僕はやっとそんな事に気づくようになった
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不安は口にしない

不安は口にすると、不安が的中し、不安が本当になる希望も口にすることで、希望に向かって動き出す。そんなの単なる強がりかもしれないけれど、それでも笑顔を作れば、そして希望を口に出して、声に出して言えば不思議と元気が出てきてできるような気になるそれだけで良いのだだから笑顔を作り、希望を口に出して言おうそして不安は口にしない
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苦境を「試練」と思えるか

僕は障害者になってからというもの、なぜ僕がこんな目に遭わなきゃいけないのか何か悪い事でもしたのか?というような「なぜ」という疑問だらけであるなぜこんなに不自由にならなきゃいけないの?なぜ、会社を破産させなきゃならなかったの?なぜ、今僕はまともに普通の仕事ができないの?なぜ、なぜ、なぜ?こんな風に日々苦しんでいるでも、もしこの苦境が僕に与えられ何らかの「試練」と思えたなら乗り越えようと思えるだろうなぜなら、「試練」はそれを乗り越えた後には今の自分がより強くなって「器」も大きくなるものだろうと思うから・・でも現実には「試練」と思うのは難しい・・なぜなら自分がより強くなれるなんていう何の確証もないから・・それでも乗り越えなければならない「苦境」というどこまでも続く果てしない壁を登り続けなければならない少なくともこの苦しみを受け止め続けなければならない生きている限り・・だからときどきもう生きるのはイヤだと感じる本当に「試練」と思えるようになるのはいったい、いつになるのだろう
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生きる意味って

僕は障害者になってからというもの、人間の(自分の)「生きる意味」についてさんざん考えさせられてきた「生きる意味」というと難しくなる。「あなたの生きる意味は何ですか」という問いに明確に答えられる人は少ないだろうもっと平易な言い方をすると「生きる楽しみ」とでも言えばよいだろうと思う僕は半身不随になって、健常者の頃の自分の「生きる楽しみ」をほとんど失ったと言って良いと思う好きなスキューバダイビングもできなくなった・・多少は体力があった方なのでジョギングやらテニスやらスポーツ好きだったが「スポーツ」という名の言うものは二度とできなくなったと言って良いと思うもちろん仕事にもやりがいがあり、好きだったこれも取り上げられたそれだけでなく、普通の旅行さえもできなくなったなぜなら・・半身不随のでろくに歩けない僕は「移動」ということが苦痛以外の何ものでもないからだだから旅行やツアーに関する広告は見るのもイヤになった京都神社仏閣散策の旅?散策?・・散策とは歩くことだ杖を付きながら、痛みを堪えてせいぜい100m歩く事が精一杯な僕にとっては苦痛以外の何物でもないそんなこんなで想像を絶するほどの「楽しみ」が奪い取...
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死ぬ事は怖くない

僕にとって死ぬ事はもう怖くないなぜなら、死ぬ事よりこの身体で生きている方がはるかに苦しく、辛いと思うからだだから僕にとって死ぬ事は恐怖ではなく、したくても、してはいけない事もちろん死ぬために痛みや苦痛をともなうのはイヤだそれは、ただでさえ生きていて毎日、毎日苦しんでいるのに、もうこれ以上の苦痛は勘弁して欲しいという思いだけから来るものだでも身体的苦痛がければ僕にとって死とはそういうもの(したくてもしてはいけないもの)になっているだから、死に対して精神的恐怖は全くない逆に死んではいけないという考え方の方が苦痛であり、恐怖でもあるつまり、このままいつまで苦しまなければならないのか? という恐怖であるでも、僕には僕の病気が遺伝したある意味、責任をもたなければ、ならない子どもがいる僕がモヤモヤ病でさえなければかかる事のなかった息子、、、この子のためにも僕は今、絶対に死んではいけないそんな思いだけが僕を生かさせているのかもしれない
人間の生き方

医学の発展は人間を幸福にするのだろうか・・

昨年はIPS細胞の成功で山中教授がノーベル賞を取った・・現代医学は日進月歩だ・・昔は治癒できなかった病も少しずつ治療法が発見されつつあるでも、これは人間にとって本当に幸せなことなのだろうか僕が患った脳卒中・・ひと昔前は死因の第1位だったというそれが医学の発展により脳卒中による死亡率は激減したというその代り・・僕のような後遺症を抱える障害者が激増しているというこれって死亡する代わりに苦しみながら生きさせられることを意味するのではないかこれって幸せなんだろうか先日もテレビでやっていたが、最近は妊婦が胎児の出生前診断を血液検査だけでできるようになったらしいそのため胎児に障害やダウン症などの問題があるか否かが簡単にわかるようになった反面、胎児が障害やダウン症だと判明した結果、出産を諦め、堕胎するケースも増えているというこれって、他人が本人の意思を聞かずに命の取捨選択をしてしまっていることになりはしないか当然、取捨選択する親も苦しむことになる昨年はIPS細胞の成功で山中教授がノーベル賞を取った・・身体の皮膚細胞を「初期化」することで、そこからどんな臓器でも再生できるという確かに画期的な医学の進歩...