人間の生き方

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社会貢献は自己満足か?献身する喜びに勝る喜びは存在しない

社会貢献は自己満足か?献身する喜びに勝る喜びは存在しないよく企業の社会的責任として「社会貢献」の必要性を説いていますが、先日ある人との飲み会で、その人は「社会貢献」など自己満足にすぎない。偽善だということを、しきり主張されていたのですが、彼が言うには社会貢献などというものは、自分の満足のために行う行為にすぎない。と言うのです。だから故マザーテレサや故ダイアナ妃の社会貢献活動も、自己満足あり偽善にすぎないというのです。そんな話で明け方近くまで議論し、お酒を飲んでいたのですが、どうも僕としては、彼の言ってることが分かるようでしっくりこないので反論しようとしていたのですが、夜中近くになって、かなり酔っていたので頭が十分に回らず、十分な反論が出来なかったのですが、今から考えると、社会貢献をすることで、自分の満足出来るのであればそれでもいいじゃないか。と考えています。彼がしきりに「自己満足」という言葉を発していたのですが、それは「自己満足」になるのだろうか例えばマザーテレサが、貧困者の町趣き励ましの言葉を発せられることに対して、誰もありがたいと感じていないのであれば、それは、マザーテレサの自己満...
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弱い者ほど相手を許すことができない

弱い者ほど相手を許すことができない 許すということは強さの証だ      (マハトマガンジー)そうだよなぁ・・NTTの一件はもう忘れよう。こんなことでムキになっているようじゃまだまだ僕は未熟で、小さいね
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苦境こそ学びの最大のチャンスだ

病気になれば、その病気について学ぶことができる。僕も脳出血により半身麻痺という障害を持ってしまったことによって、、この2年間は脳の損傷や脳卒中に関するあらゆる書物を読んだ。「脳の可塑性」についてもかなりの勉強した。その辺の脳神経科医や理学療法士さんよりも、おそらく僕の方が、かなりの知識を持っているのではないかと自負するくらいだ。人間どんなときも、どんな人からでも謙虚に学ぶ姿勢が大切ではないかと思う。人から酷い目に合えば、酷い目に合うことを学ぶ。そして2度とひどい目にあわないように学習をする。また酷いことはしてはいけないということを学ぶことができる。意見が反対の人の言うこと素直に謙虚に聞いてみると、学ぶことは非常に多いと思う。会社を経営していたころ、クライアントからクレームを受ければ受けるほど自分を成長していたような気がする。クレームを受けることは辛い事です。理不尽なクレームを言ってくるお客さんに対しては怒りさえ感じることもあります。でもクレームを受けることによって、次からはクレームを受けないように、するために努力するものだ。真摯にクレームの内容を聞いてみると、自分に改めるべき点が沢山あ...
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どうしてこんなことになってしまったんだ。自問自答から得た一つの答え。

脳出血で障害者になってからというものこの2年間自問自を答続けた。「どうしてなんだ」何度も心のなかで問い続けた。どうしてこんなことになってしまったんだ。どうして僕が障害者にならなければならないんだ。そして何もかも失った今、今後自分はどうすれば良いのだ。どうして僕がこんな目に合わなければならないのか。なぜこんなふうになってしまったのか、どうして大切にしてきた自分の会社を失わなければならないのか。どうして体の機能を失い、父親として、夫としての役割を果たすことができなくなってしまうなければないのか。どうして今まで苦労して築き上げてきたいるものを失わなければならないのか。善行をしていないからだというのか。俺は何か天罰を受けるような悪いことをしたのか、こんな問いかけを自分自身にし続けた。そんなことを続けた結果自分なりに得た一つの答え。それは「過去を振り返るな」ということです。そして失ったもの。あるいは喪失したもの取り戻すことは絶対にできない。これは厳然たる事実である。神様も、仏様も、へったくれもない。事実は事実だ。現実に起こってしまったことは変えることができない。現実として受けとめるしかないのだ。...
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仕事とは自分で作るもの

この2、3年、就職氷河期などと言われ、正社員採用を少なくしている大企業側に問題があり、学生側は可哀想であるというような風潮にあるように感じる。こういう風潮に乗っての学生側や求職者は自分たちが被害者であるというような被害者意識を持ち、企業が雇用を減らすことが辞任で、で自分たちは就職ができない。だからフリーターになるしかない。ニートになっても仕方がないというような意識になっているのではないだろうかもしそうだったら、とんでもない話だと思う。仕事などというものは「自分で作るもの」だと思うからだ。ゼロから自分で作るものだ。仕事とは何かを突きつめて考えてみると、それは社会奉仕だと思う。「社会の役に立つ行動」あるいは「人の役に立つ行動」でありその人が「役に立つ」からこそ人はその人に報酬を支払うのではないか。「仕事はもらうもの」ではない。「仕事とは与えるもの」であると思う。人が面倒臭いと思っていることをやってくれる(楽を与える)あるいは音楽や芸術などで人に(感動を与える。)新たな技術開発で人に対して(便利を与える。)こういった与えるものがないから報酬が貰えないだけのではないか。報酬をもらう前に、自ら「...
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生きることは死ぬことと見つけたり

葉隠武士道の真髄の言葉に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があります。僕は健常者の頃、日本刀を海外に向けて販売していました。その時この葉隠武士道というものの存在を知りました。そしてこの言葉を初めて聞きました。当時は何を言っているのか全くわかりませんでした。武士道=死ぬこと・・なんじゃそりゃ、死んでしまったら何もかもおしまいじゃないか。などと思っていました。でも脳出血で生死をさまよい、そのあげくに障害者となった今、この言葉の意味することがわかるような気がするようになってきた気がします。そして僕は、僕なりの解釈で決して武士道だけでなく、全ての人間にあてはまるものではないかと思うのです。僕なりにいいかえると「生きることは死ぬことと見つけたり」ということになるだろう。人間は生まれた瞬間から、死への旅路が始まったと言えよう。人間、いつか必ず死ぬのである。こればかりはどんな人間でも避けることは不可能だ。だとすれば死ぬときに、どのように死ぬかということがとても重要なことだと思うようになった。僕が思うに自分の人生を振り返って、「後悔のない人生」であることが最も大切なことではないかと思う。つ...
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遠い遠い見えない目標

遠い遠い見えない目標遠い遠いいつ達成できるか出来るかわからないそんな目標・・脳卒中による後遺症による肢体麻痺患者の人達にとって、麻痺の回復というものはそんな果てしない目標なのです。他の病気(癌などの不治の病以外)ならある程度回復するために必要な時間というものが予測でき、どの程度の時間を頑張り続ければ良いのかわかるものだ。「あと1週間がんばってください。そうすれば必ず良くなります。」そう言ってくれれば、がんばろうという気持ちにもなる。しかし「いつ回復するか分かりません。」などと言われる状態では頑張り続けるのは苦しいものだ。でも脳卒中による後遺症についてはいくらリハビリをしても回復にかかる時間は全くわからないといって良い。確かに脳には可塑性という代償機能というものがあるということは現代医学で分かっている。その可塑性という代償機能により損傷した脳がどの程度の期間で回復するのかということは全く分かっていない。回復は、年単位という非常に長いスパンでしかも少しずつ回復するというものであり後遺症の症状も100者100様なので統計が取れていないというのが現実だろう。だから回復するために、1年かかるか5...
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因果応報か確率か

みなさんご存知の通り仏教には因果応報という言葉がある。因果応報とは簡単に言えば人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという意味です。僕的にどちらかというと理系的な視点から「すべての(事象)結果には原因が存在する」という風に理解している。つまりは現在の自分が存在するのは過去の行いの結果である。ということです。ビリヤードで例えると、突いた玉への角度や力によって転がる方向が決まり、結果としてどの玉が穴に落ちる落ちないかが決まるのだ。しかしこれとは真っ向から反対する理論が量子力学というものがあります。量子力学では原因にかかわらず、全ての事象が確率の結果だということになっている。これもビリヤードで例えると、突いた玉への角度や力には全く関係なく、どの球が穴に落ちるかはすべて確率で決まるのだということになる。アインシュタインはこれに対して猛反発している。「すべての事象には必ず法則がある。神はサイコロをふらない」と言った僕が脳出血で半身不随の将来性になり、自分の会社もなくし、無収入になり、毎日苦しい思いをしなければならないのは何かの因果応報なのかと問い続けたこともある。なぜ...
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できないのではないかという不安

不安がつきまとう。ちょっとした失敗が原因で他人からのちょっとした否定的な言葉が原因で、不安に駆られることがある。もうできないのではないかやっぱりもうダメのではないか等々何の根拠もなく、漠然とした不安に包まれることがある。そんなとき、大切なのは「絶対にできる」と自分に言い聞かせることだ。自分を信じることしかない、そして「絶対にできる。何とかするのだ」と自分に何度も何度も言い聞かせるのだ絶対に障害を克服できる。自分の脳の代償機能を信じるのだ。何年かかるか分からない。いつか必ず回復するなんて誰も保証をしてくれていない。だから自分を信じるしかない。そして心の中で言い聞かせる「絶対にできる」「絶対にやるのだ」心が後ろ向きになろうとしたときに食い止めるのだ。できないと思ったら、その瞬間に本当にできなくなる。障害だけではない。事業も同じだ。どんなことをやるにしても、人間の人生の中でも必ず大きな壁が立ちはだかるものだ。そんなこと当たり前だ。その壁をどうクリアするか考えればよい。もうダメだと思ったら本当にそれで終わりだ。誰がなんと言おうと自分を信じるんだ。出来ると信じれば、知恵もアイデも沸いてくるはずだ...
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どんなときでもこの世の中は自分が中心であり自分が主人公であろう

以前にも書きましたが僕の人生観は、この世の中は「自分が中心だ」と思っています。これは利己主義というようなものではなく、自分の人生は「自分が主人公」だと感じているという意味です。というか「自分が主人公」と思うようにしているのです。「自分が主人公」と思うことによって、ある意味、客観的に自分を見つめることができるからです。例えて言うなら、「自分が主人公の映画を見ているようなつもり」になるのです。そのことによって、辛いこと、悲しいこと怒りなど自分の心のマイナス面が、客観的に冷静に見つめることができるような気がするのです。そして「自分が主人公」であると思うことによって「あきらめない」気持ちにもなれるのです。なぜなら「たいていの映画は主人公は死なない」からです。。。(苦笑)自分が脇役だと思っては絶対ダメだと思うのです。自分の人生はどこまでいっても自分の主人公だと思うのです。そう思うことは「自分を信じる」ことにつながると思うのです。僕も障害を負った当初は「自分の役に立たない人間」つまり「脇役」になってしまったような気がしてしまったのです。映画では脇役はエキストラなどでどんどん死んでいってしまいます。...