遠い遠いいつ達成できるか出来るかわからない
そんな目標・・
脳卒中による後遺症による肢体麻痺患者の人達にとって、
麻痺の回復というものはそんな果てしない目標なのです。
他の病気(癌などの不治の病以外)なら
ある程度回復するために必要な時間というものが予測でき、
どの程度の時間を頑張り続ければ良いのかわかるものだ。
「あと1週間がんばってください。そうすれば必ず良くなります。」
そう言ってくれれば、がんばろうという気持ちにもなる。
しかし「いつ回復するか分かりません。」などと言われる状態では
頑張り続けるのは苦しいものだ。
でも脳卒中による後遺症についてはいくらリハビリをしても
回復にかかる時間は全くわからないといって良い。
確かに脳には可塑性という代償機能というものがあるということは現代医学で分かっている。
その可塑性という代償機能により損傷した脳がどの程度の期間で回復するのか
ということは全く分かっていない。
回復は、年単位という非常に長いスパンでしかも少しずつ回復するというものであり
後遺症の症状も100者100様なので統計が取れていないというのが現実だろう。
だから回復するために、
1年かかるか
5年かかるのか
10年かかるのか
20年かかるのか
50年かかるのか
誰にもわからないというのが現状だ。
ほんの少し前までは、医学界でも後遺症は治癒しないというのが常識だったらしい。
現に僕も近所にあるCTやMRIの装置ばかり揃え手術は一切しないという脳神経外科医院の
(
非常に冷たいと思う)先生に
「後遺症というものは一生治らないから後遺症というのです」
などという患者に絶望を突き付けるような言葉を言われたことがある。
(この言葉は今でも忘れられない)
厚生労働省も発症後6カ月以上経過しても回復していない機能についてはいくらリハビリをしてもムダ
ということで発症後6カ月以降のリハビりをしても回復が顕著でない後遺症のリハビリに対しては
保険適用外にするという実に冷酷な法改正を3年前施行したほどだ。
でも僕は考え方を切り替えてこう考えるようにしている。
遠い遠い見えない目標ということは「無限の先」なだけなのだ
目標が消えたわけではないのだ。
言い換えれば無限の可能性があるとは言えるのではないだろうかと考えるようにしている。
簡単に見える目標だと、すぐに達成できてしまい、それで終わりなり次の目標が無くなる
目標が無くなることは生き甲斐を失うことを意味する。
果てしない目標だからこそ、道のりは遠く辛いものかもしれないけれども、
だからこそいつまでも目標は消えず、いつまでも目標に向かって闘い続けることができるのだ。
目標が消えたわけではないのだ。ただ見えないほど遠くにあるというだけだ。
それは永遠に生き甲斐を持ち続けることができることを意味するだ、、などと勝手に解釈して
「決してあきらめない」という気持ちを維持するようにしている。
そのためには「回復を信じる」しかないのだ。
しかも遠い目標だからこそやりがいがあるのだ!
そう思うようにしている。
投稿者プロフィール

- 代表
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。