人間について

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分かってんねんやん

週1回行っているリハビリ時のもらうリハビリ計画書を何気なく見たするとそこの診断項目に今まで気付かなかったが・・「痛み:耐えきれない痛み」とあった・・なんや療法士さん分かってんねんやん・・と思ったけど・・目標項目に「痛みの緩和」は書いてなかった・・(^_^;)やっぱりこの痛みの解消は難しいんや・・(-_-)とこの診断書をみて、あらためて認識・・した。。いつ痛みは解消するんかなぁ・・そういえば国会議員で脊椎損傷した障害者の八代栄太議員も慢性疼痛と36年も付き合っているってどこかに書いてあったなぁ36年・・それは長い・・長すぎる・・でも耐えている人もいるんや僕も頑張らんとあかんなぁ!僕のその診断書公開!
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無私無欲は疼痛をも乗り越える

無私無欲の境地になれば今僕が苦しんでいる脳卒中の後遺症の疼痛にも打ち勝つことができる先週、ある出来事でそんな確信ができた・・というか気付きを得た先週、仕事上で苛立ちと焦りを感じる問題が起きたその後だった・・疼痛の猛烈な痺れと痛みが襲ってきたでも、自分のこだわりや思い込みを心の中からできる限り排除し、気持ちを落ち着け冷静に客観的に問題の捉え方と対処方法を考え始めたとき疼痛が徐々に治まってきたのだ・・この現象を僕なりにこう自己分析している「心の苛立ちと焦り」というものは「緊張」すると手汗をかいたり、心拍数が上がるのと同様に自律神経(特に交感神経)を刺激するそれは僕が低気圧の接近で痺れが酷くなるのと同じつまり高気圧や低気圧のによる気圧の変化や大気中の酸素の変化が自律神経を刺激するから損傷した脳に悪い刺激を与え、痺れや痛みがひどくなるということは・・苛立ちと焦りは「自我」から起こるつまり「自我」≒「思い込み」や「こだわり」に反する状況が生まれると人は心の苛立ちと焦り或いは怒りを覚えるその結果自律神経を刺激し、損傷した脳に悪い刺激を与え、痺れや痛みがひどくなるそう考えると心の安寧こそが疼痛を和ら...
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身体をつかわないと記憶力まで落ちる

僕は今、左半身が使えない事で、全く想像もできなかった、人間としての機能の低下に驚くと共に、ちょっと(かなり?)ショックを受けているそれは「記憶」という能力の低下だ僕は今、仕事場で自分のできない事は仲間にお願いするようにしているたとえば、一定以上の容積や一定以上の重さの荷物で片手では運べないような作業だ。片麻痺で、できない事はできる健常者に頼めば良いじゃないかそう考えてた、、健常者の頃のように何もかも自分でやる必要はない。これからは「人に頼む」という事を躊躇なくした方が良いそう考えて、人に頼むそれで解決するところがそうする事で思わね自分の能力の低下?が起こる事に気付いたたとえば、ある左側にあり自分では移動できないものがあるとするそれを仲間に移動したい場所に移動し、置いてもらうそこまでは良いところがその移動した事や移動した場所を比較的短時間で忘れてしまうのだなぜなら、自分の身体を使って移動という「作業」をしなかったからだと思う。つまり身体が「移動した事」を覚えていないのだ。身体に「移動作業」という「経験」をさせていないからだと思う「身体で覚える」事ができていないがゆえに、頭にさえもその記憶...
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役立たず・・って思われるのが一番つらい

たとえ障害者であっても何らかの人の役に立つ人間でありたいそして健常者に負けたくないこれが僕の今の一番の志・・なぜなら・・左半身不随になった当初、僕は人に世話をしてもらうしか生きていけないその感じは・役立たずな人間になってしまったという思いだった。この感覚は実際に身体機能を失った経験がないと分からないだろう当たり前にできたことができないそして男として・・男だからできること、家内に代わってやってあげたことちょっとしたことかもしれないけど例えば家電の配線や電灯の電球の取り替え・・片手では無理、、片足立ちができないし、、つま先立ちができず、しゃがむ事すらできないから、そんなことすらできなくなってしまうと・・役立たずな人間になってしまった・・と感じるものだ「自分が役立たず」って感じることがこれほど辛いとは思ってもいなかっただから今、僕は人一倍「人の役に立つ人間になりたい、役に立つ人間であり続けたい」そんな思いが強いでも身体が不自由で痛みと痺れが激しいと気弱になるものだ・・つい先日まで気弱だった痛みと痺れが激しかったから・・・でも漢方のおかげかこの2、3日痛みと痺れが和らぎ強気になるつつある。今僕...
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生きられる限り生き抜く

脳出血(被郭出血)の死亡率は65%だという・・あの桑名正博さんも脳幹出血で死んでしまった僕もモヤモヤ病(ウィリス動脈輪閉塞症)を起因とする出血だから(後から聞いたんだけど)脳のほぼ中心部からかなりの出血があったそうだだから死亡率は高かったそうだでも、残り35%の中に入り、なぜだか僕は今生きているこな死亡率の高いなかでせっかく一命を取り留めたんだ何か意味がある・・と思いたいまだきっとやるべきことがあるんだと・・だからどんなに後遺症が辛くても、死にたいと思うくらい辛いときもあるけれど、生きられる限り生き抜きたいそしてこの身体でできることを、そして少しでも人の役に立つことを不完全かもしれないけれど、精一杯生きて、精一杯やりぬき、生きられる限り生き抜く僕には(非科学的だけど)「生命力」のようなものがあると自分で自分を信じよう
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本当のことを伝えるのが一番難しい

いつだって本当の気持を話そうとすると、それがいちばんむずかしくって厄介だってことがわかるとてつもなく厄介なことだってな・・夫婦の会話でも・・仕事における上司との会話でも・・病院での医者との会話でも・・本当の気持を話し伝えるのが一番厄介だ・・なぜだろう・・
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痺れと痛みが薄れたのはいいけど、、

ネットで見つけた視床痛に効果があるという漢方薬 疎経活血湯、、確かに効いているようだ!昨日と今日はほとんど痺れがない!でも、人間って不思議で皮肉なもんだ死にたいと思うほどの痺れと痛みがあるときは、この痺れと痛みがきえなければ、左手足が麻痺した事による不自由なんか何でもない!工夫すれば何とかなる!なんて豪語していたのに、、いざ、痺れと痛みが和らいでくると手足の不自由が気になり出したそして苦痛に感じてきた、、人間の感情って皮肉だな
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泣き言は言うまい

僕を襲った脳出血、もやもや病を起因とする脳出血・・今更、泣き言を言っても始まらないもやもや病は遺伝性の脳血管奇形だ後悔したって僕にはどうにもならなかったこと奇形なんて生き物である以上一定の確率で起こるものそれがたまたま僕だったというだけのことすべては自然の成りゆきさどうあがいたって逆らえないあえて僕に非があるのなら35歳のときに病院で治ったと思い込んでいたモヤモヤ病が治るものではなく進行性の病だと知ったのだから身の丈に合わない借り入れの返済などでストレスの溜まり血圧が上がるような零細企業なんか起業せず、サラリーマンでいれば良かったのかもしれないいずれにしても起こった事は今更どうにもなるものではない僕に与えられた運命だと捉えてこの身体でどう生きるかを日々一瞬一瞬を精一杯生きるしかないだからもう泣き言は言うまいと自分に誓う泣き言を言うと、或いは心の中で思うだけで自分が情けなくなるだけ・・自分を信じれなくなるだけ・・だから泣き言は言わず、意欲を持って知恵を絞って生きて行こう意欲なきところに知恵さえも生まれないから・・
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最近、心に染みる言葉・・考えさせられる事

自分が傷つかぬ限り、人間は他の痛みを感じない、自分が飢えるまでは、他人の飢えには無関心な人間の方が圧倒的に多い人間には、死ぬほうがよっぽど楽だっていうときがあるんだそういう人間に生きることは大切だった説くことは良いことなのだろうか人はときには自分の望ましくないことにも全力を尽さなければならないことがあるものだ。人間の悲しいのは、後になって自分バカなことをしたと気づくことだと思うけものにはそんなことには気づかない
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僕が心が折れた状態からたっ立ち直ったきっかけ・・

心はときに「折れる」もの。そう認識するだけで心が軽くなる。「もう~はできない」という言葉は、切なさとともに人に取りつく。絶望感を刺激して人を悩ませ、必要以上に膨らみ、希望を侵食していく私は左手足が不自由になってから、あれもできない、これもできないと「できない症候群」に陥りました。「もう二度と走ることができない」というような感傷が毎日頭から離れることがなかった。そんなある日、友人とテーブル越しにイスに座って話をしていたとき、ふとこんな疑問が舞い降りました。「座って話している自分は、周りの人と何も変わらないじゃないか。そうか、座っているときに走れないことを悩むのは、無意味だ・・」と・・毎日悩みすぎていた私は、座っているときにも走れないことについて悩んでいる自分に気づくことができなかったのだ。。あたりまえのことだと思うかもしれませんが、そんなことに気づけなくなるのが「できない症候群」であり、「もう二度と、いや一生●●ができない」という言葉の魔力ではないだろうかそんなあたりまえの「気づき」だけで、見えてくる世界が変わってた。。それからの私は走らなくてもできることが多いことに気づいたり、準備さえ...