人間について

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僕に宗教を勧誘メッセージをされる方へ

僕に対して、これまでかなりの数の私に宗教を勧誘メッセージをくださる方がいた。たぶん親切心からなんだろうけれど、、昨日もおひとりから勧誘のメッセージを頂いた・・残念ながら僕は神とか霊昆とはいう超自然的な存在や(救い?)のほぼ完全否者です。それは過去僕が書いた記事をお読み頂ければ分かります。。いくつかその記事を以下に抜粋しました・守護霊とか神様とかは【絶対に】存在しないと確信するもう一つの理由・神様や守護霊とかいうものを信じれない僕は不幸かな・あの世や神や霊や魂なんて存在しない方が良い、死後は無のほうが良い・感覚障害脳卒中患者の戯言:世界は自分が中心・・霊界は存在しない~魂も存在しない・自分を救うのは自分以外にいない・生きてるうちに・・こうやって書き出してみると・・我ながら驚くほど自分なりに論理的に無神論を展開しているなぁ・・と笑えてしまうたぶん、猛烈な苦痛と自分でも信じられない苦境に出会ったことによってそんな救い(神とか仏の救いや先祖の霊の救いとか「超越的な存在の救い」超越的な能力による救い)は一切存在しないと身を持って感じているからなんだと思うでもだからといって宗教を否定するものではな...
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やっかいな自我

自我とは厄介なものだ、自我があると好きという気持ちと嫌いという気持ちが必ずできてしまう好きなれば手に入れたくなり、愛情が芽生えるそして手に入れることができないと欲しい、欲しいと手に入れられないと苦しむそして一度手に入れるとまたは愛情を持つとこれまた失いたくなくなる失う事を極端に恐れてしまいこれも苦しむ・・そして、最後に失う(どんなものでもいつかは必ず失う それが諸行無常)と喪失感に嘆き、悲しみ苦しむ今度は・・逆に嫌いになるとおのずと遠ざけたくなりsこには怒りの刄(やいば)が芽生えるそしてそれは敵意や、憎しみへと変わったりして自らも苦しむ、、好きになっても嫌いになっても結局は自らの心の生み出す感情に苦しむ自我なんて本当に厄介なものだと思う。
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侮辱と屈辱こそ我が宝であるのかもしれない

僕は障害者になってから(相手が意図しているいないに関わらず)正直、数多くの侮辱や屈辱を感じてきたでも今、振り返ると、、そんな悔しくて悔しくて涙が出そうな侮辱や屈辱を感じた自分があったからこそ今の自分があるような気がしているこんな身体で再生可エネルギーの普及なんぞとい大それた夢を持ったもんだから、それはできないことだらけ、、でいっぱいだった。いろんな関係者にも怒鳴られたり、そっぽを向かれたりもしたその都度、侮辱や屈辱を感じてきたでもそれが、僕の反骨心に火をつけ、エネルギーになったことも確かだそのおかげか、今では米国のソーラービジネスのデベロッパーに向け50MWクラスのメガソーラーのEPCまで自分で設計し、引き渡し時期とタイミングそれと引き渡し価格まで算出し、交渉するにまで至っている自分が今ここいる。(今さっきEPCと提案書と交渉価格を書き終わったところ・・)振り返ってみると・・・こんなことができるようになったのも僕の反骨心を引き出してくれた侮辱や屈辱のおかげではないかとさえ感じるのだそう思うと・・侮辱と屈辱こそ、僕にとって宝ではないかとさえ思えてくる。。
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苦しいときの友こそ真の友というけれど・・

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。苦しいときの友こそ真の友というけれど・・僕には幸い本当の意味での「真の友」と言える人がひとりだけいるもう僕も50歳になるけどあとにも先にも彼ほど自己犠牲をも厭わず、僕を支えてくれる人は他にはいない人間、どんなに親密になろうとも本当に苦しいときには「本能的に」自己防衛的になるものだそれはある意味仕方のないことだと僕は思っているだから本当に苦しいときに、多少、保身に走っても恨んだり、憎んだりしないつもりだでも、上述の彼だけは自己防衛本能がないのではないかと思うほど保身に走ることはない僕に対してだけでなく、他人に対しても保身に走ったのを見たことがないそんな彼がいたからこそ僕は今、再生可能エネルギー関連の活動なんかをこんな身体ですることができていると思っている僕ひとりだったなら今頃、どうなっていたかわからないとさえ思う今、メガクラスのソーラー事業に関わることができているのもひとえに、そんな彼のおかげだ・・間違いなく・・そんな「本当の真の友」を人生の中で一人でも持つことができた僕は幸せ者だと思っ...
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悲しい本音・・

何気なく・・障害者や老人に対する誹謗中傷・暴言?の2ch掲示板を見つけた・・以下の画像のような感じだった・・掲示板のタイトルは「障害者は社会のゴミ」とな・・これを読んで、腹が立つというよりもやっぱり・・という感じを持ってしまった普通、ここまでの言葉を口には出さないにしても、皆、心のどこかに老人や障害者は「面倒な奴ら」という気持ちは本音にあるんだろうな・・とねそれも現実なのかな・・先日も上京したとき、JR東日本の駅ネットとかいう予約切符の自販機でネット予約した切符を受け取っていた僕は片手なので予約に使ったクレジットカードを探したり財布やプリペイドカード入れのカードの出し入れに手間取るそれに初めて扱う自販機だ。そんなこんなでやっと予約切符を受け取ったと思った瞬間後ろから中年の背広を着たいかにも切れ者ビジネスマン風の中年男性が「もう~終わった!」とちょっと怒り声・・その声には障害者への「いたわり」など微塵も感じない僕は「す、すみません。終わりました」と言ってその場を去っていった障害者になってみてこの手のことは日常茶飯事である・・でもそのときの男性の「にらみ目」から「早くしろ!、俺は忙しいんだ...
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何だか疲れたなぁ~

この3日ほどしゃっくりに嘔吐の連続・・そして吐血・・身体は消耗しきっているみたいだなぁ何だか全身、力が入らない感じ・・現代医学・・IPS細胞はできてもしゃっくりをと止める事はできないらしい・・原因も不明らしい・・なんだかこのギャップがおもしろいと思うそのしゃっくりもやっと納まったような感じだけど・・ふ抜けたような感覚・・大事なタイミングなんだからもっと緊張感あってもいいのに・・さすがにこの半身麻痺の身体に嘔吐の連続と吐血はキツかったのかな・・さぁ眠ろう・・
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一切皆苦・・瞑想

一切皆苦・・・生きることは苦に満ちているとはよく言ったものだ先週は後遺症の一つのしゃっくりのせいで、嘔吐、嘔吐、吐血・・やっと治まったと思ったら、やっぱり左半身の猛烈な痺れと激痛は変わらない・また、痺れと激痛との闘いが始まった・・一つの苦が終わっても、また次の苦が待ち受けているまさに一切皆苦だと感じる・・・そんな中、、唯一苦から逃れられる瞬間があることに気がついたそれも刹那な一瞬のことだけど・・それでもほんのひととき・・・苦から解放されている自分がいることに気がついた瞑想できている瞬間である瞑想の意味がやっと分かったよう気がする瞑想とは簡単に言うと何かに集中している状態であると思う今、目に前にあるやるべきことにとことん思考を集中させるのだその際、余計な期待や中途半端な夢や野心なんかが芽生えてくると目に前にあるやるべきことに集中できなくなり、自分のやうべきことが散漫になると、瞑想状態が切れ、不安や恐れといった心が芽生えてくるそんな心が芽生えてくると肉体的苦痛もより憎悪してくる・・瞑想とは・・目に前にあるやるべき事にとことん思考を集中し、そして周囲(現代ならメディア)から入ってくる自分のや...
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犀の角のように独り歩む

釈尊の教えで有名なものに、「犀の角のようにただ独り歩め」というものがある基本的な内容は、仲間を求めず、ただ独りだけで修行をしなさい、ということだ(一部の抜き出し)三六 交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。    愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。三七 朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。     親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。三八 子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに   相絡(あいから)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくこと   のないように、犀の角のようにただ独り歩め。三九 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、    聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。四○ 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに   呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。四一 ...
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健常な頃の記憶の亡霊・・

昨夜も海の中を泳ぎ回る夢を見た・・モノフィンを使いドルフィンキックで水をキックし身体を押し出しモノフィンとは下記の写真のような両足を入れて一枚になったフィンだ泳ぐときはドルフィンキックで身体全体を弓なりにして水を後ろへ押し出す前に進む・・顔に水の圧力を感じながら、前に進む感覚水の中で1回転したと水面に見えるキラキラとした太陽の光これを眺めているのが好きでそのまま背面で泳ぐ・・これでもフィンを使ったフリッパーレースというマイナーなスポーツだけどそれでも全日本では2位にまでなった泳ぎなのだそんな泳ぎでスムーズに水を切りながら海中を泳ぎ回る僕・・顔にかかる水のあ圧力が気持ちいいそれが急に左半身が動かなくなってくる。。目が覚める。。やっぱり半身不随で左半身が痛み、痺れ、不自由で重い・・左手の平がどうしても随意的に開かない・・勝手に握り込む・・そんな現実に戻るこんな夢を見た朝は辛い潜在意識の中で健常な頃の記憶の亡霊にさいなまれているのだろう中途障害者には(少なくとも僕には)健常な頃の記憶が身体にも脳にも亡霊のように残り染みついている今の不自由な自分を認識するにつけ、そんな記憶の亡霊の影に苦しむも...
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絆なんて案外脆いのかも・・

家族の絆・・親子の絆・・夫婦の絆・・兄弟の絆・・絆にもいろいろあると思うけど僕が障害者になって最近感じることそれは絆なんて本当にあるのだろうかと残念ながら感じているそれは僕自身のことだけではなくこのブログを書き始めてもうかれこれ3年半近くになるけどその間、僕と同じような脳卒中による半身麻痺になった障害者の方から頂いたメッセージの中に「離婚しなればならなくなった」とか「諸事情で家族とまもなく縁を切らなければならない」という類のメッセージがもう20件以上頂いている事だつまりそれほどまでに障害者になった方が周囲から疎まれ、邪魔者扱いされ、「お荷物」扱いされていることの表れだと感じている。やはり最も多かったのは(僕が男ということもあるのだろうけど・・)障害者になったとたん、妻から離婚を迫られるというパターンだ本当に「危機」的状況なったら、皆そうなってしまうのか・・というのが正直な思いである人の本性を知った思いがするというより、客観的に考えるとイザというときの人間の自己防衛本能による「保身的行動」がこれほどまでに顕著なのかと感じている女性の方はどう感じているかわからないけれど・・男性側から主観的...