期待、願い、愛、欲が苦しみの根源


半身不随という障害者になって自分なりに気付いたこと//

それはいわゆる「欲」(金銭欲、快楽欲、名誉欲といったようなもの)だけでなく、

純粋な人としての「願い」(例えばいつまでも健康でありたい)

「愛」(男女愛、親子愛、家族愛)や「期待」(例えば、スポーツや学業における大会や試験で勝ち残る期待や願い)

までもが

人間の苦しみの根源になるものだということ。

例えば
僕なら

いつまでも健常者でいたかった

という「願い」

そうであるだろうと考えていた健常者の頃の「身勝手な期待」

そんなものが心にあったから、

ある日突然障害者ぬなり、

その「期待」「願い」を

打ち砕かれ苦しんでいるのだと思う

そもそも、人間である限り、限り永遠の健康なんて存在しない

人間である限り、いつかは老い、病に伏し、苦しみ、死を迎えるのに

そんなものを期待するから

期待は必ず裏切られ苦しむ

また、仕事でいえば

営業で受注契約を取れるのではないかという期待

こんな期待を持った瞬間に心はその期待に囚われ、「

もし受注できなかったらどうしよう」という

怖れという苦しみが始まる。

また、愛について言えば、

愛するがゆえに

愛する人
自分の思うような行動をしてくれない

と苛立ち、腹立て、怒り、苦しむ。

「愛しているのだから、これくらいしてくれるだろう」

という「勝手な期待」を持ち、

それをしてくれないと

怒り、憎しみ、苦しむ。

仕事でも、

部下に、他部門に仕事を依頼して

「これくらいの出来の仕上がりの結果を出すだろう」

という「身勝手な思い込による期待」を持つから、

その期待以下の結果しか出て来なくて

怒り、腹立て、苦しむ

だから、期待、愛、願い

といったようなものは

人間の誠に勝手な思い込みに

よるものである場合が多いと思う

だから、それが心の「囚われ」となり

その「囚われ」が苦しみの根源となる

と思う

また大富豪になり巨大な資産をてにした人ほど、

その資産が目減り
(一般庶民から見ればそれだけの資産があれば、
それくらいの目減りは無視するに等しいのではないかと思うレベルの目減りでも)

する事を極端に怖れると聞く

だから大富豪ほどケチでお金に細かくなるのだと言う

それは多分、

巨万の富を手にした瞬間に、

心が、その富に囚われてしまうからなのだろう

だからと言って、

何事も自分の短い経験や狭い価値観による

思い込みを完全に排除し、

完全に客観視して

行動する事ができれば理想なのだけれども、

生身の人間である限り、

そんな事は不可能だと思う

であるならば、

できる限り

何事に対しも余計な期待や願いを

持たないようにする事が苦しまない方法ではないかと思う

期待や願いは「心の囚われ」となり、苦しみの根源となるから

これからの人生、そう心がけたい

そして、目の前のやるべき事

この身体でできる事は限りがあるけれど

それをただ無心に粛々とやり続けるよう

心がけようと思う

僕自身これ以上苦しまないために・・

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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