自殺は自分を大切にしないことになるだろうか


自殺・・

今の時代自殺=悪 生きる=善ということが常識となっているようだが

本当にそうだろうか

昔の人(特に武士は)生き恥をさらすくらいなら死を選ぶ

というように「死は生きるための選択肢の一つ」としてあった

今の時代、死という選択肢を持つことができないことにより

苦しんで生きる(生き地獄)を味わっている人は多いのではないかと思う

死によって自分のプライドや誇りを守ることもできるのではないだろうか

日本人の仏教の流れからくる武士道の精神

それは、、、

運命に身を任せるという平静なる感覚

不可避に対する静かなる服従

危険災禍に直面してのストイックな沈着

そして

生を賎しみ、死を親しむ心

これらは決して自分を蔑ろにすことではなく

むしろ自分自身の生きるための誇りやプライド

を守ることになるのではないだろうか

「誇りやプライドのために」生き、

また

「誇りやプライドのために」死を選択できる

というようなこと人間にしかできないこと

決して「悪」ではないと思うのだが・・

なぜなら人間には心があり、

その人間の心の重みは肉体よりもずっと重いと思う

その心が死んだ状態で肉体だけが生きることに何の価値があるのか!

と感じるから

必ずしも肉体の死=悪ではないのではないかと・・

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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