モンスターボランティア・・・
僕も今やっていることがモンスターボランティアになっていないか自問自答している
西宮市議会今村岳司議員が3月17日にご自身のブログで、
阪神大震災のときことを回顧し以下のような記事を書いておられた。
——-抜粋—————————-
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことがいろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。
震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、
彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」
と言って帰りました。
部屋を出たあと暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと
期待した自分の愚かさに、腹が立ったからだとわかりました。
記憶の中の彼らは単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを
見ていると、記憶の中で彼らは解凍されまた腐臭を放つようになってしまいました。
自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、
家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、
大好きだった街が廃墟になってしまったこと、
そんなことは、もうなんとも思っていないのに。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。これくらいが関の山なのです。
『まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。』
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族でアクセスはただでさえ大混乱ですから
非常に邪魔です。
———–抜粋ここまで————
他にも下記のような記述を見つけました。
———————抜粋———
災害>ボランティアの大原則は「自己責任」だ。現地への交通費や宿泊費、食費などの必要経費はいうまでもなく自分負担。 ところが現実には「フラっとやってきて、『寝る場所はどこですか』とあたりまえに聞いてくる人が多い」 (中部地方の某町役場職員)のも現実だ。災害対策本部(市町村役場の総務課などに設置される場合が多い)に電話をかけてきて「安い民宿を紹介してくれ」と宿の斡旋を求める人もいる。 徹夜で業務に追わることもある現地の役場職員が、全国からの宿の斡旋に対応していたらそれだけで業務は パンクしてしまう。各自で確保するように説明する職員に「手伝いに行ってやるのになんという冷たい対応だ! だから役人はダメなんだ!」と逆ギレして周囲を呆れさせる例も少なくない。
また、ボランティア志願者はどうしても土日に集中するため、必然的にこの二日間は人手が余りがち。その結果、土日のボランティアセンターでは大勢の人がテントで待機する光景がしばしば見うけられる。
すると「貴重な休みをさいてやって来たのにいつまで待たせるのか」と怒り出す困った人が現れる。 ちなみに筆者は北陸のある被災地へボランティアに行った際、ボランティアセンターの職員が長時間待機する人たちに即席の「方言講座」を開いて必死になだめている場面に遭遇。
「そんな話を聞きにきたんじゃない!」と声を荒げる男に頭を下げるスタッフの姿は、実に痛々しかった。
支援物資も大きな問題。
実は「救援物資は第二の災害」といわれるほど、現地にとっては厄介な存在なのだ。 全国から怒涛の如く送られてくる物資の整理は自治体職員らが人海戦術で行うしかなく
、しかも利用価値がない物も大量に含まれている。1993年北海道南西沖地震の被災地・奥尻島では、救援物資 5,000トンの 保管のために1000平米の仮設倉庫を3,700万円かけて建築。さらに仕分の結果、衣類を中心とする1200トンが 不要と判断され、カビや腐敗など衛生面の問題から焼却処分となり、これに560万円の予算が投入された。
———–抜粋ここまで————
これらの記事を読んで今僕がしようとしてることはモンスターボランティアになってしまっていないか、自己満足ではないのか何度も自問自答した。
自民党の災害対策本部の要望で移動式飲料水化設備の詳細資料を送ったがまだ返事はない。
野党だから動きが遅いだけなのか
僕は身体が不自由なのでとても被災地まで行って手伝うことはできない。
身体が不自由なことが幸いに直接迷惑をかけることはないと思う
FAXと電話とメールだけの情報提供だけしかできない
でもこの行為が情報混乱というような迷惑をかけてしまってはいないだろうか
あとは国会議員の判断を待つしかない。
今は何もしないことが一番のボランティアなのかもしれない。
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。