「こだわり」というものは、ときには美しい
しかし「こだわり」持つことは人間の苦悩の元凶を持つに等しいと思う。
しかし「こだわり」持つことは人間の苦悩の元凶を持つに等しいと思う。
こだわりとは、人間にとって、プライドの一種であると思う。
そして愛着の一種でもある。
さらに自分の過去に対する愛着でもあり、プライドでもある。
そこには自分の「愛」や「誇り」が埋まっていると思う。
だからその「こだわり」を捨てなければならない時、強烈な「喪失感」に襲われる。
人間の「喪失」の怖れは判断を狂わせる。
冷静でいることができなくなる。
時には凶暴になり、時には、自暴自棄になり、自らの命まで絶とうさえするものだ。
ときにこだわりの心や愛着は美しくみえる
美しいからこそ喪失への恐れが生まれ
その喪失時には怒りと悲しみに包まれる
だから僕は思う
人間にとって「こだわり」など邪魔にしかならないのではないか
「こだわり」を持つと、その喪失への怖れが始まる。
これは生きるということと同質のものではないかと思う。
人間はこの世の中に生まれ、生を受けた瞬間から、死への怖れが始まる
「死への恐怖」を捨てることができれば、人間は、とてつもなく強くなれると思う。
同じように「こだわり(自分の過去)」を捨てることができれば、
前に向いて生きることができるようになると感じる。
つまり自我を捨てるということではないだろうか。
自我があるからこそ、そこに苦しみや怒りや悲しみが生まれてしまう。
苦しみや怒りや悲しみはロクなものではない。
自分の過去を捨てることができれば、価値観の大転換を起こすことができる。
心の価値観の大転換ができれば、しめたものである。
それはどんなに状況が変化しようとも対応できる強さだからだ。
通りと執着心・愛着のようなものがあってはいざというときに苦しむだけだ。
企業経営も同じだろう。
企業に対し、あるいは自社に製品に対しこだわりや執着を持つべきではないと思う。
それは経営判断を狂わせるだけだ。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。