独り言

尖閣諸島漁船衝突ビデオを流出させた神戸の海上保安官を英雄視するやつの気が知れない

石原慎太郎都知事にしても三宅さんにしてもそうですが。尖閣諸島漁船衝突ビデオを流出させた神戸の海上保安官を英雄視しているどんな理由があるにせよ国家機密をリークしたことは犯罪です。リーク(漏洩)は裏切り以外の何者でもありません。今回のリークでどれだけ多くのまじめな海上保安庁の職員が嫌疑をかけられたと思いますか?英雄でも何でもありません。国家反逆罪です。日本に対する裏切りです。悪を暴露するなら。実名で処すべきです。それこそが勇気ある行動です。身の危険を顧みずに実名で悪を暴露するのであれば、それは英雄だと思います。匿名のリークは、組織や仲間にに対する裏切り以外の何物でもない。リークは人間としての最低な行為です。主任航海士を起訴して厳罰にすべきです悪法も法です。日本は法治国家です。しかも海上保安庁という最も法を守るべき立場の人間が匿名で安易にリークしたのです。これが英雄ですか尖閣諸島漁船衝突ビデオを流出させた神戸の海上保安官を英雄視するやつの気が知れないもちろん民主党が最初から全面公開しなかったことは悪いと思います。だからといってこの海上保安官が法を犯したことを許し許せることにはならないと思いま...
人間について

他人のために一生懸命になれるか

世の中、一生懸命になれる人とそうでない人がいる。本当に身を粉にして他人のために頑張れる人がいる。命さえ惜しまない人がいる。命を捧げるというところまで行かなくても、他人のために頑張れる人を見ると感動する。なぜ、そういう人は他人のためにそこまでがんばれるのだろうか。おそらく、他人の痛みを自分の痛みとして捉えることができる人なのだろう。それは「サービス」につながると思う。レストランなどでも接客の訓練を受けている人がたくさんいる。でも、全く同じようにサービスをしているにもかかわらず、「まごころ」のようなものが感じられない人が時々いる。そういう人を見ると「マニュアル通りにやっているなあ」としか思えない。感謝の気持ちにはなりにくい。笑顔一つでも、作り笑顔が本当の笑顔が、瞬時に分かってしまうものだ。たとえば、写真を撮ってもらう時に「はい、笑ってください」と言われてもそう簡単に笑うことができるものではない。たとえ笑ったとしても、明らかに不自然になる。最近、笑顔を感知するカメラまで出ているが、それでも作り笑顔と本当の笑顔の微妙な違いは判定できないようだ。そう考えると人間の脳というのはすごい能力を持ってい...
人間について

奇跡を信じるって大切かも

僕は理詰めで物事を考えるタイプなので、神様とか奇跡とかあるいは霊魂とか目には見えないパワーとかいうものを一切信じてません。なのでこういったことを本気で信じている人と話をすると、話が食い違ってしまって本当に困るのです。徹底的に理詰めで、「なぜそうなるのか」ということを追いつめてしまうからです。そして相手の気分を悪くさせてしまいます^_^;でも最近は奇跡を信じることは良いことだと思っています。信じるからポジティブになれる。ポジティブになるからは良い発想が沸く。最初は「とても不可能」と思っていても結果として、すばらしい結果が出るそれも「奇跡」ではないだろうか。よくスポーツで「奇跡的な勝利」というものがある。それは必死でトレーニングを積んだ人だけが得られる勝利だと思います。そういう人はトレーニングを積むことで、目には見えない潜在的な能力ができあがってるからこそできる偉業だと思う。たとえば「神様はきっと私たちに奇跡の勝利を与えてくれる」ということを信じることによって、ポジティブに必死でトレーニングを積むからこそできるのだと思う。こんなふうに書いていくと、僕は本当に理屈っぽいなぁ・・と我ながら思っ...
人間について

アンテナを伸ばせる人は何からでも「学ぶ」ことができる人

昔、く有用な情報をつかむため、あるいはチャンスをつかむために常に情報のアンテナを伸ばしておきなさいなどといわれたものだ。では「アンテナを伸ばす」ということはどういうことなのだろうか。現代は情報過多の時代である。インターネット、テレビなどが猛烈に普及し、情報であふれかえっている。にもかかわらず、チャンスになるような情報なんてそうそうあるものではない。「何かチャンスはないか」と思って探しても、チャンスなんて絶対に見つかりません。チャンスの情報をつかむためには、ある情報が耳に、目に入ってきた時にそれが自分にとってチャンスの情報なのかどうかを見極めることができる能力が必要になると思う。その能力を高めるものは何なのか。僕は志を持っているか否かであると思います。「志」も持ってさえいれば、あらゆる情報からその「志」を達成するために役立つかどうかを判定し、その情報から「志」に役立つ情報は自然に頭に入り込み「学ぶ」ことができると思う。たとえば私は脳出血を発症してからこの2年間、後遺症を治癒したい一心でした。ある意味脳の後遺症を回復させることが僕の大きな「志」の一つでもあった。そうすると不思議なことに「脳...
人間について

福祉の難しさ

昨日、知り合いの紹介である大手企業の特例子会社(障害者雇用を促進するための会社)で働かないかという誘いがあり、面談に行ってみた(もちろん僕は今事業立ち上げようとしているので、就職する気などないが・・)そこではたくさんの障害者が働いているそうです。面談の中で、思わぬ障害者を雇用することの難しさを知りました。何かと言うと、長年福祉施設で職業訓練などを受けた障害者の人は、非常に問題が多いそうです。と言うのは、仕事上で人間関係を作るということがうまくできないそうです。ごく当たり前の報告・連絡・相談とか、約束を守るとか、人を手伝うとかチームプレーとかそういったことができないそうです。特に先天的に障害を持ち生まれてからずっと長い間福祉施設に入っていた人がそうなんだそうです。つまりどういうことかというと、彼らは常に「福祉を受ける立場」てあったため、自分自身が他人のために何かをするという発想はできないそうです。つまり「人の役に立つ」ということの意味が分からないようなのです。仕事というものは「人の役に立つ」ことをするからこそ、その対価として報酬をいただけるのだ。モノ作りにしても「人の役に立つものを作る」...
人間について

(ウルトラセブンに見る)自己犠牲の精神 人の役に立つということ

人は自己犠牲の精神を持つ人に感動する。勇気を与えられる。人の役に立つということが実感できるときこそ、人間が生きている喜びを本当に感じるときではないだろうか。僕と同世代の人なら下記のシーンを一度は見たことがあるでしょう。そうウルトラセブンですとても懐かしいシーンです。たかがウルトラセブンです。とても子供向け番組とは思えないくらい素晴らしいシーンだと思います。この歳なっても、このシーンは感動してしまいます(苦笑)最近の子供向けのアニメ。どうもしっくりこない。以前にも書きましたが、現在多くの子供たちが嵌っているポケモン。このアニメ主人公は全く闘わない。ポケットモンスターというペットのようなものに戦わせて自分は傍観者にすぎない。自らの努力や自己犠牲の精神が見えてこない。これが最近の傾向なのだろうか。
人間について

役を演じ切る、そしてお互いを敬う

役割を演じ切る、そしてお互いを敬う。学校の先生方軽んじ、師をあおぐ気持ちがなかったら、先生も教える張り合いがないし、生徒も学びが身につかない。こういう状況は社会にとっても大きな損失であると思う。やはり、聖職の師として先生を敬い、謙虚に師事する心構え(姿)から一言一句が身につき成長するにものではないだろうか。親を大切にし、上司に敬意を払う、先輩に礼を尽くし、師匠に懸命に仕える。敬うべきものに対して、素直に敬う心から相手の言うことを吸収し、自分自身の高めることができるのではないだろうか。そのためには、先生や上司あるいは親たるもの「役割を演じ切る」という姿勢が必要だと僕は思っています。昨今、マスコミが、「親」や「先生」など本来敬うべき人たちの醜態を暴露する傾向にあるように思う。これでは「役割を演じ切る」ことはできないと思う。人間である以上、完璧な人間など存在しない。お釈迦様ではあるまいし、自分の欲望もあるだろうしそれによって失敗もする。それは仕方がないと思うでもそれを見せつけられると、敬いたくても敬うことができなくなってしまう僕は、親なら親、先生なら先生、政治家の政治家、それぞれの「役を演じ...
人間について

毎日生きるテーマを探す日々 「志」を持つことの重要性

毎日生きるテーマを探す日々 志を持つことの重要性僕はほぼ毎日自分の生きるテーマを追い求めて探し続けていますそれは自分が半身麻痺という障害者になってしまったことから逃げるためかもしれません。今日も久しぶりにになぜか非常に後遺症の中枢性疼痛のしびれがひどかった。この症状が出てくると、ただ耐えるしかない・・・現代医療では軽減不能だそうで、痛み止めも効かない。モルヒネさえ効かないらしい。。このときはさすがに気分的にもうつ状態に陥りがちになります。。これを解決してくれるのが、薬ではなく、実に不思議なのですが自分が生きる意味とか生きるテーマあるいは志とかを見つけることで和らぐのです。不思議なことなのですが、「志を持つ」ことは損傷した脳に良い影響を与えるようで、麻痺側の硬直も和らぐのです。・そんなことからも、、以前から書いているように「脳=心、心=脳」を実感するのです。霊とか神様とかを信じていらっしゃる方には申し訳ないのですが、こんな実感から魂=脳であり、脳死=魂の消滅と考えるようになっています。そしてその魂(心)つまり脳に最も良い影響を与えるものが「志」であり「希望」であると思うわけです。脳出血に...
人間について

転んでも・・

「七転び八起き」いう諺がある。何度失敗しても、これに屈せず、奮い立たつ姿をいったものである。人生は長い。だから失敗もする。挫折もする。そんな時このことわざはありがたい。しかし7度転んでも8度目にをければそれで良い。などと呑気に考えることではないと思う。一度転んで気がつかなければ、など転んでも同じことでしょう。一度で気がつく人間になければならないと思う。そのためには「転んでもただでは起きぬ」というような気迫が必要だと思う。この言葉はなんだか意地汚い印象を与えるが、先人の偉人たちの中には、大きく転んでそこに悟りを開いた偉人は数多くいる。こういう人たちは決して「意地汚い」のではないと思う。まさに「真剣」だったのだと思う。真剣だからこそ、転んだときに、転んだことをうまく活用し、必死で知恵を絞り出した結果なのだと思う。失敗を恐れるよりも「真剣」でないことを恐れるべきだと思います。僕自身、人生で脳出血という大転倒を起こしてしまった。この2年間、本当に真剣だったと思う。自信を持って真剣だったといえる。47年間生きてきた中でこれほど真剣だった時期は無かったと思う。そしてそこに必要だったのはやはり「希望...
人間について

どんな大義名分があろうとリークはいけない。

昨日、一昨日から、尖閣諸島の衝突ビデオ漏洩問題が大きな問題になっている。これは大変な問題だと思う。海上保安庁からの内部リークであることはまず間違いない。これに対し「日本政府の弱腰外交に対する、そして国民の要望に対する正義の告発だ」などという評論家がいますが、僕はこんなことを言う評論家のメンタリティを疑います。リークとは組織に対する「裏切り」以外のなんでもない。過去に一時大企業のネット上での「内部告発」というリークが流行りそうになったことがあったが、こういうことが行われると、組織の中での信頼関係が総崩れになってしまう。組織・・「家族」でも「零細企業」でも「大企業」でも信頼関係などに成り立っているものである。たとえ悪いことをしていたたとしてもその「組織」裏切って情報洩らすということは人間として信頼をなくす行為です。本当に内部の腐敗を正すために「正義の告発」をするなら、実名出して堂々と体を張って公開すべきであると思う。匿名でリークしてしまうと、他の真面目にがんばっている組織の人間同志がお互いに疑心暗鬼になってしまい、それこそ組織が、国が、崩壊してしまう。そういう意味で私はウィキリークスには絶...