独り言

僕が無心に頑張れること

今、目の前のやれるべきことをやるやるべきことをやるそこには私心なく欲もなくただ粛々とやるのみそういうやるべきことをがあることを僕は感謝しているそんなとき僕は自分が障害者であることを忘れさせてくれるから欲なんて持ったところでこの身体は人並みに楽しめることなんてほとんどないのだからだから欲は持たないように心掛けているなぜなら、欲を持てば持つほど空しくなるから・・・だから無心で取り組めることが目の前にあることが最もうれしいそして唯一欲があるとすれば障害者でも社会の役に立つ人間になることそのためにぼくができることがあるのなら何でも良い。それを黙々とやっているときだけが自分が障害者であることを忘れさせてくれるからそしてまた昨日ぼくに僕のもっている再生可能エネルギー技術情報を聞きたいというオファーが来た。今、僕唯一ができることは「伝える」ことだけそしてそのため資料を作ることだけ風力発電装置のボルト一つ締めることもできない身体だけどバイオマスメタン発酵装置のサイロに登って発酵状態一つ確認できないけれどこういう技術があるということを「伝える」ことくらいはできるたったそれだけのことが「役に立つ」のなら僕...
人間について

苦しみの根源と執着心

苦しみの根源は釈迦の言うとおりやっぱり確かに執着心だと思う執着心といっても漠然としているけれどあらゆる欲望(金銭欲、名誉欲、幸福欲・・等々)こだわり、思い入れ、野心希望や願いまでもが執着であり、苦しみの原因ではないかと思うそしてその執着している対象(愛する人かもしれないし、自分の状況かもしれないし、自分の誇る身体かもしれない)を喪失することを人は最も恐れると思う。その喪失への恐れこそが心に悲しみを生み、怒りを生み、憎しみを生み、そして人はうろたえる。更に喪失してしまったとき、その怒りや悲しみや憎しみや怒りは頂点に達して人は暴挙に至るのではないかと思う。暴挙とは人の心を傷つけるだけでなく自らの心をもを自ら傷付けること・・自暴自棄になる・・僕自身がそうだったから、、僕が脳出血で半身麻痺になったときに執着していたもの・・それは失って初めてそれに強烈に執着していたことに気付いた・・・自分の会社・多少自信のあった自分の身体・父親としてのプライド・夫ととしてのプライド・自分の車もっともっとくだらいものやまだまだ数えきれないほどのものに執着があったっと思う。そしてそれらのすべてを失った本当に執着心が...
独り言

弱犬の遠吠え

今日、あるビジネスで取引先の(見かけは)ヤクザのような社長と今の今まで商談してきた。彼曰く俺は死ぬのは怖くない(無を持って無を制す)が俺の心情だ、それがお前にわかるか!そのくせ明日の取引(億単位のかなり大きな取引になる可能性がある取引である)お前にに覚悟はあるか?と聞いてくる失敗したらお前責任とれるんか?訴訟が起こったらお前とクライアントの取引やからお前が逮捕されるんやぞ!その覚悟はあるのか!とも聞いてくるどう考えても自己保身している自分が一番私失敗が怖いんとちゃうんかお前の「欲」が失敗を恐れさせているとしか思えない。そのくせ無を持って無を制すなどと威張りまくりこいつが以前の記事に書いた癌を宣告されて布団がずぶ濡れになるほど泣いた男だ。俺は強いと威張りまくりお前らにはわからん境地のおれはいると・・6時間近くさんざん酒を飲みながらの「演説」を聞かされたどう考えても本当は欲に対する執着心や生に対する執着心からくる喪失に対する恐怖におののいているとしか思えない「演説」だった。「演説」を目の前で僕は「笑顔」で「箸で目を突いたろか!アホ」と思いながら、はい、はい、おっしゃる通りと、うなずきながら...
人間について

僕の使命

僕に使命というものがあるとすればあなた(妻)やあなた方(妻と息子達身内)を人並みに幸せにすることそして、今僕がやっていることがそのために価値があると信じているからこそ僕は頑張れるドン・キホーテのように見えているかもしれないけれどそんな価値があると信じれることがあることが僕の希望ですあなたやあなた方が幸せになったとき「もうがんばらなくていいいよね」って言わせてくださいそして苦しみから僕を解き放ってください。お願いします。
人間について

「死ぬ事」よりも辛い「生きる」って存在する

僕ははじめて死よりも辛い「生」というものが存在することを知った。僕は健常者の頃、死が怖かった(誰でもそうだと思うけど、違うかな?・・)正直、もし死ぬのなら、もう生きていたくないというほど苦しんで死にたい。つまり「死が恐い」という状態で死を迎えたくないと思っていたもっと簡単に言うと「死にたいと思って死を迎えたい」と思っていた僕の知っている人でヤクザまがいの人がいるその人はいつも「俺は死ぬのなんか怖くいない!」と啖呵を切っていたその人が数年前、癌を宣告され、余命を宣告されたそのとき僕に打ち明けた夜、死が怖くて涙で布団がずぶ濡れになったと・・人間ってそれほどまでに死が怖いのだ。だから「死が恐い」という状態で死を迎えたくないと思っていた障害者になることによってその願いというか、思いが皮肉にも叶ってしまった僕は半身不随という障害を負うことによって、とてつもない不自由を強いられ、またその痛みと痺れに襲われ続けるという苦しみを強いられることによって僕ははじめて「死」よりも辛い「生」というものが存在することを知ったような気がするこの3年間に何度死にたいと思ったことか・・障害を負った当初自分の会社を破産...
人間の生き方

死と向き合う

僕の脳出血はもやもや病が起因だから、他の脳出血よりも再出血の確率が極めて高い、しかも今、僕はその中でも最も再出血の確率が高いとされている46歳から55歳の間であるこうなるといやでも死を意識せざる得ない人間いつかは必ず死を迎える。これだけは誰にも避ける事はできない。そう考えると、、生きるとは死への旅路でもあり、死への準備期間ではないかと思えるのだ。如何に後悔なく死を迎える事ができるかが重要だと思えるのだ。後悔の無い人生を送り、後悔なく死を迎える事とは?決してそれは、成功(経済的成功や社会的成功)を意味するものではない。そんな成功をしたからといって必ずしも後悔の無い人生とは限らない。失敗は無念ではあるかもしれないけれど、後悔にはならない。志を達成できなかった人生も無念ではあるかもしれないけれど、後悔にはならない。後悔の無い人生とは死に際に、、成功とは全く関係がなく、自分の持つ能力で精一杯頑張る事ができた、何ひとつ手を抜く事がなかった、と自信を持って言える事ではないだろうか後悔の無い人生を送り、後悔なく死を迎えるためには生きている間に死への準備が必要だ。死を恐れる事よりも死への準備ができてい...
人間について

やっぱり言われた「慣れるしかない」と・・

今日何気なく・・家内に・・玄関で靴を履くときにいつものように時間がかかっていて僕が「もうかなわんわ!この身体!」と言ったら家内は「慣れるしかないやん」やっぱりそう思っているんだ。違う!絶対にこの片麻痺という不自由や痛みに「慣れる」ことなんかあり得ない!「耐えるんだよ!」と叫びたかったけど・・やめた・・わからなくても仕方がないことが分かるから・・理解しろという方が酷なことも分かっている。そんなこと言ったって家内は辛い思いをするだけ・・だったら僕が耐えればそれでいい・・それでいいんだ!でも絶対にいつかいつかいつか必ず回復してやるという気構えだけは心から捨てない。それだけで十分さ
人間について

捉われ・・

捉われ・・それは人を、僕を苦しめる捉われ・・それは「こだわり」でもあり、あるいは「プライド」とも言うこんな僕にも「こだわり」や「プライド」はあった。学生の頃水泳選手だった僕はそれなりに体力には自信があった。理系・技術系でありながら、経営コンサルタントの仕事の経験もあり、っ小さいながら自分で会社も興したから「経営者」という自負も多少あったIT系に移っていたから時代の最先端を走っているという自負それらはすべて障害者となったとき「捉われ」となって僕を苦しめたなぜならそれらすべてを喪失したのだから異常なほどに・・苦しめた。何度も死のう思った今でも同じである一昨日コンビニで800円を恵んでほしいと走り寄ってきたオッサンに腹が立ったのも自分が障害者でも頑張っているという「捉われ(自負?)」があったからだと思う捉われはそれを否定されたとき、あるいは認めてもらえないときそして喪失したとき人を苦しめる。その苦しみは怒りや悲しみに変わる。そして怒りや悲しみは人を許せなくする心が狭く小さくなるだから「捉われ」はいけない。「何事にも捉われない心」を持ちたいものだ。しかし、障害に捉われている自分が今ここにいるま...
人間について

許せなかった「甘え」

日、コンビニエンスストアに行って買い物をして出てきたら、突然、薄汚い恰好の男が走り寄って来て情けなさそうな顔をして僕に向かって「私ね、今からJRの甲子口から山科(滋賀県の駅)まで帰らなきゃいけないんですけどね。800円いるんです。」「800円貸してもらえませんか?」僕・・「は?」おっさん・・「私ね病院退院したばかりなんです。」「800円恵んでください」おっさんの手をみたらコンビニエンスストア買ったと思われる弁当とか飲み物が入っている袋を持っている僕は急に怒りがこみ上げてきた。「おっさん歩けるんやろ!?」「それやったら山科まで歩いて帰れ!ボケ!」明らかに「甘え」だと思った。ホームレス予備軍である。昔友人で「あえて」ホームレスをした奴がいる彼曰く「彼らは決して不遇ではない!ただ怠惰なだけだということが分かった」と言い切っていたことを思い出した。僕はこの半身麻痺でしかも痺れる身体で僕は一家を養っているんだ!必死の思いで・・!だから「走り」寄ってきてコンビニで食べ物を買ったくせに交通費を物乞いにきたことが許せなかった。お前!走れるんだろ!しかも五体満足!手も足も動くじゃないか!とっさにそう思っ...
人間について

障害者の野望

僕は障害者になってから「障害者でも人の役に立ちたい」「障害者でも社会の役に立つことを証明したい」と思い続けてきた。なぜなら障害者になったからといって人に面倒を看てもわなけば生きていけないような人生は絶対に送りたくたいからだ。と思っていたところ、、ある本に出会った。難病に冒され苦しんだ経験のある人が書いた本だ。その本に書かれていた--------------------------------------------------------------------------------------難病、もしくは障害を負うことによって人は多くの人から「助け」をもらうだからよけ余計に社会に対して、少なくとも助けてもらった人たちのために「立派な人間」になりたいと願う。でもそれが負担になる周りはそんな「立派な人間」になってもらってほしいとは思っていない。あなたがあなたらしくその範囲で(障害者の範囲で?)楽しい人生を送ってくれればそれでいい誰もあなたに「立派な人間」になってほしいなどと思っていないそんなことを考えるとあなたの心の負担になり生きるのが余計に苦しくなるだけだ-------------...