人間の生き方

決意 困っても困らない・・知恵と工夫

困難にぶつかったとき困った、困った、どうしよう どうしようというような気持ちになってしまうと心が狭くなってしまい、湧く知恵も湧かない僕も片手になってしまい初めて書類整理をしようとしたときそうしても書類が片手では揃えられず、ホッチキス止めができないイライラが募る・・焦る・・腹立たしくなるこうなってくると悪循環である書類を床にたたきつけてしまうでもそれでは何の解決にもならない僕には左手が使えなくなったことに対する腹が決まっていないというか右手片手で生きていくという「決 意」がなかったのだと思う。どんあことでも「決意」があると、困ったことが起こっても困難にぶつかっても、「さてどう解決するか」というように知恵と工夫を出し、心が「困っても困らない」状態になれると思う実際、前記の書類整理などは、後で落ち着いて考え、ホームセンターでL型定規を購入して机に両面テープで張り付けてしまいそこに書類をあてがい片隅をキチンと合わせると片手でもホッチキス止めができるようになった。要は知恵と工夫、障害があっても知恵と工夫さえあればなんとでもなるただその知恵と工夫はネガティブな心の状態では生まれてこない焦り、いら立...
人間の生き方

価値観を転換させられるということ

僕は半身麻痺という障害者になったことによってそれまで45年間で培ってきた価値観をいきなり転換させられたというより転換せざる得なかった。価値観・・人それぞれに価値を感じるもの誇りにおもうことちょっと自慢できることいろんな価値観をもっているそしてそれはそれぞれの人が生まれてから今までに培ってきたものだ僕の場合、多少スポーツが得意だったので特に水泳部にも所属していた経験から「泳ぐ」ということに対して一種の喜びを感じていた他にも身体を動かす(スポーツ)ことに喜びを感じていたどちらかというと読書や音楽鑑賞などのインドア趣味よりアウトドア派だったでも・・一瞬にしてそれらすべてができなくなった。半身麻痺に成った当初、正直ショックだったそれらの価値観を全て捨てなければならない新しい価値観を見出さなければならない。50歳前にもなって・・特にこの暑い夏のシーズンになると辛い気持ちになるニュース番組に出てくるプールや海水浴の映像そしてまもなく始まるロンドンオリンピックの水泳大会北島・・頑張ってほしい別に健常者であっても出場なんてできるわけではないけれど泳いでいる姿を見ると心がチクっと痛むのはなぜだろうかぼく...
最新環境技術

さあて食いつくか!?華僑投資家

昨日太陽光パネルと大容量・長寿命の蓄電池の華僑投資家へのプレゼンのための最終の勉強会を行った。正直、プレゼンをする中国人留学生に技術の詳細を理解してもらうのは諦めた技術の素地が全くないのに無理である。無理すると発表の場で可哀そうであるそれでこの技術で何ができるかだけを伝えてもらうようにした・この7月に日本政府が決めた再生可能えねるぎー全量買取価格は42円/Kwだ予想以上に高かったこの太陽光パネルで4000Kw級のメガソーラー発電事業をした場合、-------------------------------------------------------------------------------初期総工費20億円で、その後毎年約2億7千万の売電収入が得られる約7.5年で初期総工費は償却できるしかも仮に金利ゼロで20億円を均等返済したとしても毎年数億のキャッシュフローが生まれるそして15年で約41億の総売電収入になる-----------------------------------------------------------------------------------これ...
独り言

スパルタ式リハビリで頑張るぞ!

今まで、リハビリは正しい足の動き、手の動きを最大限意識していわゆる「無茶」はしないようにしてきたけどなぜなら「無茶」をすると筋緊張が高まるので逆効果だという理学療法士さんの指導で・・でも僕にはやっぱり理論武装式よりスパルタ式が似合う昔からそうだった水泳部のときもとにかく泳げ泳げの耗特訓・・練習は質より量!というタイプであるだから今のリハビリはまどろっこしい人間Dスパルタ式で鍛えれば順応するものだそう思っている例えば最近はやたらスポーツ選手は水分補給を気にするけど僕らの時代は練習中の水分補給は厳禁だった。水を飲むとバテ易くなるというのが常識だったでも最近は、熱中症防止のためにこまめに水分補給を薦める傾向にある確かに医学的には水分補給しなければ血液がドロドロになり脳梗塞や心筋梗塞になり易いという判定になるだろうでも僕は思う人間、水分が少なければ、少なくても生きていける身体に順応するものではないだろうかいわゆる環境適応だ。人間ってそんな風にもっと強いものではないだろうかじゃあ、砂漠の民はそんなに水分補給できているのだろうか砂漠の民は水分のない環境に身体が順応しているのではないだろうか水分補給...
独り言

自宅療養なんて僕には不可能

よく有名人なんかで病気になったら「しばらく自宅療養中です」という報道を聞く、脳卒中になった人なんかでも「リハビリに専念中」とか・・でも僕は自宅療養なんてしていられないリハビリだけに専念なんてしていられないだって食っていかなきゃいけないから・・どんなに不自由でもどんなに痛くてもどんなに痺れても薬の副作用でどんなにフラフラになっても働かなきゃいけない「自宅療養中です」とか「リハビリに専念中です」とか言える人が羨ましい痛みと痺れで苦しいときにはそう思うでも・・・不思議なもので、少しでも痛みと痺れが和らぐと療養なんてしたくない不自由でも役に立つ活動をしていたいと思うこの歳で一日中療生活なんてイヤだ!とも思う僕、、我がままかな・・?というよりやっぱり僕が「自宅療養」なんてしたらうつ病になってしまうと思う僕の両親の知り合い息子さんに僕と同い年で僕よりも15年早く30歳で脳梗塞を起こし片麻痺になった人がいる彼は今、母親に面倒を見てもらっている母親が内職で働き、彼自身は無職だそうだそれでなんと・・朝から晩までテレビを観て毎日を過ごしているそうだ。それは僕には絶対に不可能だ絶対にうつ病になってしまう自信...
人間について

治るんだよな・・

昨夜何気なく映画のDVDシルベスタースタローンのロッキー2を観ていた。ご存じのようにロッキー1の最後にアポロ(カールウェザース)にメッタ打ちにされて血みどろの状態になりながら再起して再戦して勝ち世界チャンピオンになるんだけど・・あれだけ血みどろになりながら、外傷って治るんだよなって思ってしまった数週間の入院で・・でも脳卒中の後遺症の片麻痺で完治したって聞いたことがない麻痺の不自由、痛み、痺れとはたぶん一生付き合っていかなきゃいけないんだろうな例え数週間でも「治る」のと「治らない」では全く違う。僕もリハビリ」病院には5か月も入院しリハビリに励んだ(当時は完治するものだとばかり思っていた)でも治らないんだよ。メディアではいろんな最新リハビリが紹介されるけどそのたびに問い合わせするけどCI療法も、川平法も・・僕が感覚障害だと言うと「回復は難しい」と言われてしまう。たとえ数週間でも、いや数か月間でも入院して治るなら・・うらやましい
人間の生き方

痛みと痺れが意欲を削ぐ

今日も朝から左半身痛みと痺れが酷い・・これだけ毎日酷いと意欲まで削がれてしまうこうなってくると左半身はもう生きるのに邪魔になるだけ無い方がまだマシいっそバッサリと日本刀とかでやってほしいと思ってしまう僕は弱いのか
独り言

痛い!痺れる!

痛い!痺れる!いったいいつまで!?誰か答えてくれ!頼む!お願いだ!それでも明日は仕事、、いつまでもちこたえれるのだろうかiPhoneからの投稿
独り言

志を想うときネガティブな心が小さく見えてくる

月曜日にはシンガポールでの投資グループへの(僕のルートの)日本の再生可能エネルギー技術のプレゼンテーションの最終打打ち合わせだこのプレゼンがうまくいけば大きな投資が舞い込む可能性がある。僕にとって大それた志の第一歩が踏み出せるかもしれないそんなことを想うとき、不思議と自分の中にあったネガティブな心障害を負うことによって多くの失ったっもの(事)喪失に対する悲しみまたこのことによって僕の心の中に芽生えた怒り、憎しみ、怖れそういったネガティブな心が志を想うこといよって小さな、ちっぽけなものに見えてくるなんてちっぽけなことに怒り、憎しみ、悲しみ、そして怖れていたんだろう。そんな風に思えてくる。実に不思議だ大きな志を持つことって人の心にとってすごいパワーになると思うたとえそれが、自分の身の丈に合わない到底達成不可能な志であっても志は持つべきだと思う。そのことによって自分の心がものすごく強くなれるから・・
人間について

役割を演じ切る

僕は生きていく中で「役割を演じ切る」ということに以前からこだわっていっる「役割を演じ切る」とはどういうことかというと、例えば現代の学校の先生は「聖職者」としての役割(例えば高潔であるとか、正義感が強いとか清廉潔癖であるとか)を演じ切れていないと思う。その結果として、生徒はが学校の先生先生方軽んじ、師をあおぐ気持ちがないだから先生も教える張り合いがないけ結果として生徒も学びが身につかない。こういう状況は社会にとっても大きな損失であると思う。やはり、聖職の師として先生を敬い、謙虚に師事する心構え(姿)から一言一句が身につき成長するにものではないだろうか。親を大切にし、上司に敬意を払う、先輩に礼を尽くし、師匠に懸命に仕えるそんな敬うべきものに対して、素直に敬う心から相手の言うことを吸収し、自分自身の高めることができるのではないだろうかそのためには先生や上司あるいは親たるもの「役割を演じ切る」という姿勢が必要だと僕は思っている昨今マスコミが、「親」や「先生」など本来敬うべき人たちの醜態を暴露する傾向にあるように思うこれでは「役割を演じ切る」ことはできないと思う。人間である以上、完璧な人間など存...