人間について

自己犠牲の覚悟なんて損?

先日「自己犠牲の覚悟」ていう記事を書いたら、以下のようなコメントを頂いた「自分さえ我慢すればよいという考え方は、他人にいいように利用されるだけです。はっきり言えば、舐めて掛かって来るのが人の世の常。嫌は事は きちんと相手に伝える。それで関係が崩れたなら、元々その程度の関係だったのです。いくらでも捨てて次へ進んで下さい」自己犠牲なんていう考え方でいたら、「他人のいいように利用されるだけ」確かにそうかもしれないでも、他人のいいように利用されても、それでも耐えることができなければ「自己犠牲の覚悟」を持ったとは言えないと思う他人のいいように利用されて怒っているようではダメそんなの「損」と言われるかもしれないけれど「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定ではないそれは「生き方の美学(哲学)」だと思うたとえ結果としてそんな考え方に付け込まれて酷い目に遭ったとしても耐え切って生き抜くことができれば、死に際には自分の生きてきた生き方に満足できるのではないかと僕は思う「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定で考えたら損に決まっている。でも昔の武士は、主君のために自己犠牲を払ったそれは損得ではなく武士としての生き方を貫い...
人間について

「勝つか、負けるか」、「解決できるか、できないか」のどちらかだ

人間、生きている中で思わぬトラブルや病になったりする。でもその事(トラブルや病)自体に(遭遇した)なった事に「悩む」のは止めようと思う。特に僕の場合、特に「痛み」である「痛み」とは闘うしかないのだ「痛み」に対して「悩む」と悩むだけ心が蝕まれるその分心が疲労し、蝕まれ、弱くなってしまう痛みや痺れや病は闘う相手である。勝つか負けるかどちらかだ。人生におけるトラブルも同じトラブルが起きたことに悩むと悩む分だけ、心が疲弊する起きてしまったトラブルに悩んでも仕方がない解決できるか、できないかのどちらかだだったら解決に向けて集中すべきだと思う心を落ち込ませて、悩んだところで何も解決しない悩むエネルギーを解決のための知恵に使った方が得だ
独り言

どこまで持つか、気力、、

僕は今、仕事を2つ掛け持ちしている午前中は後遺症の障害が原因で体調が悪いので、13時ごろからは17時頃まで、知り合いの会社の経理の仕事をしている。その後、18時頃から23時頃まで別の仕事だだから、帰宅できるのは、午前様になるのはザラ半身不随のこの身体でこういう仕事の仕方はさすがに辛いただでさえ、左半身は常時重く、痺れ、痛む歯を食いしばって気力だけだそれでも収入はたかが知れているNPOの活動は所詮はボランティアの色が濃く、やりがいはあっても収入にはならないこんな状況をいつまで続ける事ができるのか正直言って自信がない自分の気力がいつまで持つかにかかっている身体が半身不随という障害の上、仕事は二股、、我ながら、よく身体も気力も維持できていると感心するでも、こんな状態がいつまでも続けられる自信は正直ないそんな自分に叱咤激励するためにもこのブログ記事では気持ちの持ち方を自分自身に言い聞かせるために書いているそれでも、僕は超人でも神でもない生身の人間だどこかで限界が来るだろうといつも覚悟はしている限界がきたとき、自身がどうなるか神のみぞ知る、、だ今は、やれるだけの事を精一杯粛々とやるしかない後は運...
人間について

自己犠牲の覚悟

自己犠牲の覚悟を持ってすれば何事にも怒りも悲しみも憎しみも覚えないなぜなら、「自分を捨てる」ことごできているから、そこには自我は存在しなくなるから・・どんな事にも動じず、冷静に対処することができる。人間が苦しみ、迷い、動揺するのは自我の存在と自己保護の本能があるから、、それを捨てることができれば、怖いものはない、恐れることも、悲しむことも、人うを憎むこともない、そして自暴自棄になることもないだから自己犠牲は人間の生きる最高の美学であり哲学であると思うそう自分に言い聞かせているなぜな自分がそうなり切れていないから・・自分への叱咤激励だ
人間の生き方

段どりが全ての今、、

僕は健常者の頃、自分でいうのも何だけどいわゆるフットワークは良い方だった仕事でも何でも例えばトラブルなんかでもフットワークの良さで解決したりこなしたりしていたとにかく「動く」事を惜しまなかったでも、今の僕はフットワークに頼る事ができなくなってしまったいざというときにも、すぐに「動く」事ができないこれは辛い僕にとってはものすごいストレスだ杖をついてゆっくりとしか動く事ができないから、いわゆる「やり直し」や「動き直し」は致命的な失敗になる可能性が高いだから、何かをやるときでもどこかに行くときでも、必ず、事前にかなり緻密な自分の行動をシミュレーションするやり直しや動き直しがないように、、「最短距離」で移動できるように、、生産現場などで重要な「動線」をできる限り短くする工夫をしなければ、「動線」が長くなると、すぐにバテてしまうし、足の痺れも酷くなるから、いわゆる「段どり」が重要だ本当に緻密に段どりを考えるようになったこれも障害を負った事よる「効用」と考えれば良いのだろうか僕の親父は大阪の船場での丁稚奉公あがりで、僕は小さい頃から「もの事は段どりが大事」、「段どりが大事」「段どりが大事」と耳にた...
人間の生き方

人生は闘いの連続、そして勝つか負けるかどちらかだ

人の人生とは闘いの連続だと思う、そして勝つか負けるかどちらかだ負けたらそこで人生は終わり・・闘うといっても他の人間と闘うというだけではない人生に苦難や失敗はつきものである挫折、絶望の原因となるものが次々に襲ってくるそれは病気であったり、天災・厄災であったりするかもしれないもちろん生きている中で闘わなければならない人間の相手も出てくる可能性もあるそれは相手が必ずしも「僕に対する悪意」のようなものを持っていなくても、あからさまに攻撃してこなくてもその人の行動や言動が僕にとって不都合な状態になるのであれば「闘う或いは対処する」必要が出てくる場合もあると思うそして自分自身の我欲が最大の敵となる場合も多々ある。自分の弱さも闘わなければならない相手でもあると思うしかしそんなとき、自分に負けて打ちひしがれていてはどん底に突き落とされるそこで心がへこたれてはいけない 耐えるのだ・・そうすればきっと道は見えてくると思う心がへこたれては道は作れない心がへこたれては本当は道が作れるのに創造すらできなくなる僕も左半身の障害とは毎日が闘いである僕は左効きであったから左半身はある意味闘うための「武器」でもあり、強...
人間の生き方

日々是新たに・・とは辛いものだ

日々是新たに・・とは言うことば、一日、一日を新たな気持ちで生きようという意味だ中国の論語には以下のようにある司馬温公はこれについて次のように述べている。「君子の学は、必ず日に新たなり。日に新たなる者は、日に進むなり。日に新たならざる者は、必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者はあらざるなり」と、、つまり、人生に苦難や失敗はつきものである。挫折、絶望の原因となるものが次々に襲ってくる。しかしピンチに見舞われて、打ちひしがれては自滅するのみ。今日、苦悩や悲しみに傷ついても、そこでへこたれてはいけない。耐えて明日を迎えよう。そこに新しい一日が始まる。というような意味だ。しかし、この脳出血後の片麻痺という障害は実に辛いもう4年も経つけれど、誰かに言われたように「障害に慣れる」なんてことはあり得ない。左手脚に重い鉄球を付けられた奴隷のようなものだ。4年間もそんな鉄球を付けられた状態で生きているのだ慣れるもなんてもんではない慣れるどころか日に日に辛くなるばかりだいつこの鉄球は外れるのだろうか・・と、、それこそ、気持ちを「日々是新に」しなければ、生きていけないでも毎朝、気持ちを「日々是新たに」しよう...
人間の生き方

自分で「可能性」を掴むという希望

先月末、障害者のスキューバダイビングを支援するNPO法人を大阪で見つけた僕はさっそく僕ののような脳卒中後の片麻痺でもスキューバダイビングが可能か僕はエントリー(入水)とエキジット(出水)が最も不安だと伝えた。特にエキジット(出水)でタンクを背負ってこの身体で船に着いた梯子で上がるのは到底不可能だと思うと連絡をとってみた。そうしたら「(入水)とエキジット(出水)は何とでもなります。それより脳出血の原因特に脳血管障害の状態を診断書等から知りたい」という回答が来たので、すごく嬉しかった!(入水)とエキジット(出水)が何とでもなるというなら、ダイビングが実現できそうだと想ったからだ僕はもやもや病に起因する脳出血だが、もやもや血管は小児の頃から小さい頃は虚血発作を起こした事はあるが、思春期頃から虚血発作もなsくなり45歳に出血するまでは何の問題もなかった事。出血はストレスによる高血圧が直接の原因だということを伝えた。たぶんOKという返事が来ると期待した。でも・・もやもや病は細い血管があるから、タンクを背負ってのダイビングの場合、浮上時に血管に塞栓ができる可能性があるから危険だから残念ながら「NO...
独り言

片麻痺って厄介、、

片麻痺と両麻痺(例えば足だけは麻痺とか、腕だけ両麻痺とか)どっちが大変と健常者の人は思うだろうかある人から言われた事がある・・「片麻痺でまだ良かったね。両麻痺だったら、もっと大変だったろうに、、」と、、理解してもらえていないな、っと感じた。僕にしてみれば、脚が両麻痺であっても両手が使えるなら、僕には書類整理ができる車いすサッカーにも挑戦できる片方の手が不自由というだけで書類整理などの事務仕事などは一切できない逆に両手麻痺していても(これはかなり大変な障害だと思うけど)両足が健常なら走ることができる。長距離も歩くことができる。片麻痺はどちらも中途半端・・厄介だと思う。まあ片麻痺だろうと両麻痺だろうと、どちらにしても障害は人間にとって辛いものだどちらの方が辛いなんて一概に言えない要するに障害は100者100様であり、ひとりとして全く同じではないということを理解してほしいというのが一番の気持ちそれが同じ片麻痺でもだ(痛みのある人、ない人、小指は動くけど親指は動かないとか)だから他の障害者と比較してどちらが辛いとかどちらが楽なんてことは言ってほしくないと障害者に人は皆思っていると思う。。健常者...
人間について

人は結局はひとり・・

人は誰でも他人に理解されないものを持っている。。。もっと言うと、人間は決して他の人間に理解されることはないのだと思う親と子、夫と妻、どんなに親しい友達とでも人は常に独りだ・・とあらためて思うだからこそ生きている限り、いつも人と繋がっていたい自ら人との繋がりを切るようなことだけは避けたいと思うのだが・・・