人間について 自己犠牲の覚悟なんて損?
先日「自己犠牲の覚悟」ていう記事を書いたら、以下のようなコメントを頂いた「自分さえ我慢すればよいという考え方は、他人にいいように利用されるだけです。はっきり言えば、舐めて掛かって来るのが人の世の常。嫌は事は きちんと相手に伝える。それで関係が崩れたなら、元々その程度の関係だったのです。いくらでも捨てて次へ進んで下さい」自己犠牲なんていう考え方でいたら、「他人のいいように利用されるだけ」確かにそうかもしれないでも、他人のいいように利用されても、それでも耐えることができなければ「自己犠牲の覚悟」を持ったとは言えないと思う他人のいいように利用されて怒っているようではダメそんなの「損」と言われるかもしれないけれど「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定ではないそれは「生き方の美学(哲学)」だと思うたとえ結果としてそんな考え方に付け込まれて酷い目に遭ったとしても耐え切って生き抜くことができれば、死に際には自分の生きてきた生き方に満足できるのではないかと僕は思う「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定で考えたら損に決まっている。でも昔の武士は、主君のために自己犠牲を払ったそれは損得ではなく武士としての生き方を貫い...
