人間について

期待、願い、愛、欲が苦しみの根源

半身不随という障害者になって自分なりに気付いたこと//それはいわゆる「欲」(金銭欲、快楽欲、名誉欲といったようなもの)だけでなく、純粋な人としての「願い」(例えばいつまでも健康でありたい)「愛」(男女愛、親子愛、家族愛)や「期待」(例えば、スポーツや学業における大会や試験で勝ち残る期待や願い)までもが人間の苦しみの根源になるものだということ。例えば僕ならいつまでも健常者でいたかったという「願い」とそうであるだろうと考えていた健常者の頃の「身勝手な期待」そんなものが心にあったから、ある日突然障害者ぬなり、その「期待」と「願い」を打ち砕かれ苦しんでいるのだと思うそもそも、人間である限り、限り永遠の健康なんて存在しない人間である限り、いつかは老い、病に伏し、苦しみ、死を迎えるのにそんなものを期待するから期待は必ず裏切られ苦しむまた、仕事でいえば営業で受注契約を取れるのではないかという期待こんな期待を持った瞬間に心はその期待に囚われ、「もし受注できなかったらどうしよう」という怖れという苦しみが始まる。また、愛について言えば、愛するがゆえに愛する人が自分の思うような行動をしてくれないと苛立ち、腹...
人間について

まだまだ甘い段取り・・

自分で言うのも何だけど、、僕は健常者の頃、何をするにもそこそこ段取り上手で、結構手際が良かったと思うそれも、これも大阪の船場で丁稚奉公してきた叩き上げの親父が僕に幼い頃から「段取り」「段取り」「段取り」どんな仕事ももスムーズに進めるのはスピードではなく「事前の段取りで決まる」と耳にタコができるかと思うほど「段取り」という言葉を聞かされてきたからかもしれないそれが今、僕は何をするにも手足が思うように動かない障害者・・こんな今こそ「段取り」が重要ではないのか自分の動きの限界を見極め、痛みや疲れがどれくらいでくるのかあらかじめ予測し「段取り」をしなければいけない今の僕は行く先を間違ってたった100m引き返すだけでもヘトヘトに疲れ、痺れや痛みが憎悪し、その後は何もできなくなるくらい体力が消耗する・・だからこそ、事前の「段取り」が重要・・そんなことは分かっているはずなのに・・にも関わらず僕の頭の片隅にまだ健常者の頃の僕を想定して「段取り」をする「奴」がいる・・だから、、もう半身麻痺になって4年半も経つのにまだまだ「段取り」が甘く、この動かない身体で「やり直し」をしてヘバってしまうときが多々ある・...
独り言

近頃増々予測不能な人生である

自分が45歳で脳出血で半半身不随になり、会社を潰し、自己破産するなんて人生も予測不能だったけれど最近、ますます予測不能だと感じる・・こんな身体でも何かの役に立ちたいなんて思い取組みはじめた再生可能エネルギー関連の活動だけどやはりこんな身体じゃあ出来る事には限界がある案の定、尻窄み・・・やっぱり自己満足にすぎないか正直去年末頃はそんな風に思っていたところがここにきてひょんなことから太陽光発電の依頼事に首を突っ込んでしまったそれがどんどん今具現化に向けて動き出している・・正直、この梅雨の天気、身体はメチャクチャキツイ・・どこまでできるかわからないけれど頭は働く、でも身体が思うように動かない最近はシンドイからベッドに横になっていることも多い・・吐きそうになるくらい痛むこともあるそれでもこんな僕でも何か役に立てるならと思っているもちろん自分に思い上がりたくはないし、こんな身体だから、できることは限られているそれでも僕の目の前に依頼事が出てくるならただそれを粛々とこなすしかないそこには野心も欲も持ってはいけないそう思っているなぜなら野心や欲はそれを達成できなかったとき苦にしかならない野心や欲は大...
人間について

PTSDって・・

TSDってよく耳にしたことがあるベトナム戦争かやイラク戦争からの帰還兵そして暴行を受けた子供や女性が陥るというPTSD・・.正式名称『心的外傷後ストレス性障害』と言うそうだ鬱が『心の疲労骨折』ならPTSDは『心の外傷性の複雑骨折』といえるらしい。鬱と異なり、自分の外から衝撃を受け、自信を失うようなトラウマを負う事そのトラウマがまるで『心の複雑骨折』のため、残念ながら、発生メカニズムも、治療方法も確立されているとは言えないのが現状だそうだ一般論としては、事件、事件、自然災害、戦争などなど、個人の適応力を遥かに超えた事態に遭遇したり、目撃したり、話を聞いた時、すなわち、『自分の力の無さ』『無力感』『孤立無援感』『孤独感』等々自分自身のアイデンティティーを崩される事態に遭遇し、更に、救援時の取り扱われ方で、『自分の力の無さ』『無力感』『孤立無援感』『孤独感』等々、自分自身のアイデンティティーを更に崩される事態に遭遇した時、心の深い所ところにトラウマが生じるそうだそして、その原因の特定と因果関係の証明が相当困難だそうだ。このPTSD・・・脳卒中経験者の4人に1人がPTSDと判明したそうだ4人に...
独り言

脳神経が損傷するという病気って

脳神経が損傷するという病気って本当に厄介だと思う。何が厄介って、、どんなに苦しんでいても診断ができないのだから・・最先端のMRIやCTスキャナーどんな最先端技術をもってしても苦しみの原因は科学的に掴めず、分析も解析もできないこんなに痛くて痺れているに関わらず・左手も左脚もいや左半身全体に腫れや傷もなくキレイ(健康そう)そのものである誰がみても僕がこんなに苦しんでいるなんて想像もつかないであろう・・もがきくるしむほどにどんなに痛く、痺れて熱も平熱・・脈拍も正常そして血圧も正常何の異常もないこれが脳神経を損傷するということなのか別に自分が痛みに苦しんでいるのをアピールしたい訳ではないけれど誰ひとり気付いてくれないっていうのも苦しいものだ孤独を感じざる得ない・・
人間について

ラクになりたい・・

今日は・・朝から梅雨前線のせいか台風接近のせいかわからないが痺れが強烈に酷い・・正気を失いそうである・・こうやって書いている間も左半身は一枚皮を剥がされたような痛みを感じている。まるで拷問だ・・ラクになりたい・・早く・・・そんな気持が・・よからぬ事を考えさせるそれを一歩手前で食い止めるため今、やらしてもらっている仕事の事に意識を集中する・・いつまで続くのだろう・・ホントはやくラクになりたい・・
人間について

危機、苦境、緊急事態、八方塞がり

人生、生きているとさまざまな危機や苦境に出食わすものだ。危機や苦境とはその人にとって「緊急事態」でもあると思うそんなとき、大概、「打つ手無し」といわゆる「八方塞がり」に感じるものだと思うそして将来に絶望するまさに4年半前の僕がそうだった。突然の脳出血とその後遺症による左半身不随と襲いくる疼痛、、自分の会社は倒産させ、自分自身も自己破産、、でも、身体は動かなだから何もできないだから、「打つ手無し」の「八方塞がり」そして、将来を絶望していたでも今思うと、、それは僕の心が八方塞がりだっただけ道は無限にあるのだただ、それを見ようとしない僕の心がそこにあっただけ、それは、それまでの自分の狭い価値観からの狭い視野が原因だったと思う見ようとしない心からは道はあっても見えないなぜなら、自分自身が道はないと思い込んでいるから、左半身が使えないただそれだけの事なのに・・心が何もできないと思ってしまうと全身動かないような状況だと「思い込んでしまう」自分がいたような気がする八方塞がりだと思える状況の中で道を切り開くのは自分の心だとあらためて思うそして自分自身の心が本当に自分を状況を八方塞がりにしてしまうのだと...
独り言

奥歯・・

いつも僕は奥歯を食いしばっているこのままじゃそのうち奥歯がボロボロになってしまうかも・・なぜって・・痛みに耐えるため、痺れに耐えるため、悔しさに耐えるため、悲しみに耐えるため、怒りを耐えるためほとんどいつも奥歯を食いしばっている痛いとか辛いとか悔しいとか悲しいとか怒りとか表には出せない口も出せないそれは「男だから」なんていう変なこだわりやプライドからではない「痛い」と口に出すと本当に痛くなるから、口に出すことで痛みや痺れが増幅するから悔しさや、悲しさや、怒りは心に思うだけで増幅してしまうから・・だから僕はいつも奥歯を食いしばって口に出さず「思わない」ようにも努力しているだから奥歯は一番早くボロボロになるのだろうな・・障害を負ってもう4年半だけどまだまだ辛い僕の心の傷はいえることはない。。
独り言

もう嘆かない、悲しまない、怒らない、憎まない

生死をさまよい・・生還したと思ったら・・左半身の機能は失われ・・・疼痛に苦しみ・・会社は失い・・親族間では揉め事だらけ・・正直、苦しかった・・本当に、本当に、、嘆いた、恨んだ、憎んだ、悲しんだ人を、病気を、自分の人生を・・何もかも・・何度も、何度も・・でも僕はもう、嘆かない、悲しまない、怒らない、そして、憎まない病気を、人をそして、痛みや痺れをも、、だってそんなものを嘆いたって悲しんだって怒ったって憎んだって何も変わらないから、、痛みも無くなるわけでもない人との問題が解決できるわけでもない逆に、嘆き、悲しみ、怒り、憎む心は痛みや痺れを憎悪させるだけ、、何の良い結果が出るわけでもない嘆くのは期待通りの「結果」が出ないから、、こんなはずじなかったなんて「自分勝手な思い」があるだけののことたとえ、期待通りの結果が出た「こんなはず」になっいたとしてもそんなものは所詮「自分のモノ(所有物)」ではないまた、「喪失」の悲しみさえ自分のモノ(所有物)を喪失したわけでは無いなぜなら、この自分の命でさえ、いつかは消滅する儚いものであり決して自分の所有物なんかではなくそもそもこの世に自分の所有物なんか存在し...
人間について

今の僕の苦は運?損?

思える思うがままにならぬ事を思うがままにしようとして、思うがままにならない事を苦という正しい行いをしているはずなに、最低限の人間としての生き方さえできないそんな人間の苦を正しい運転しているに出合う交通事故に例えて、昨日記事に書いたら、僕と同じ脳卒中なり視床痛に苦しんでおられる読者から脳卒中の後遺症で苦しむことになったことを「運」だとコメントいただいた。車で正しい運転をしているに、交通事故に出合うようなものだから、確かに「運」かもしれないでも、病も「運」だろうか?不摂生しているか、いないかに関わらず人は病におそわれるあの長嶋監督だって健康には人一倍気を使っていたというそれでも脳梗塞となり、ほとんど復帰不可能な状態だだから、「運?」そうも感じないことはないけれど僕は違うと思っている僕は「必然」だと思っている不摂生の結果の「必然」ならわかるが、不摂生していないのに脳梗塞になったのが「必然?」そんなの合点がいかないかもしれないでも僕は「人間としての必然」だと最近思う人間はこの世に生まれてきた瞬間から老い、病いに襲われ、死を迎えるこの運命からは誰しも逃れる事はできない、どんなに健康管理してもどん...