人間について 無になることのメリット
昨日書いた「心を無にしたい」という記事について、無になるより喜怒哀楽がある方が生きている証拠ではないかというようなコメントを頂きましたが、僕が無になりたいという意味は喜怒哀楽を感じなくしてしまうことではないのです。それで「死」と同じだと思います。そうではなく「私心」を無くしたいという思いなのです。私心をなくし心を無にすると世の中の事象を素直に客観的に捉えることができると思うのです。素直になれるということは、ある意味で喜びを喜びとして素直に喜べるから喜怒哀楽はもっと激しくなるかもしれません。「心を無する」ということは「こだわりをなくす」と言った方が良いのかもしれません。自分の中に、変な「こだわり」があると楽しいことでも、素直に楽しめなかったり、素直に喜べなかったりするのではないかと思うんです。逆に辛いこと逆境なども素直に受け止めることが、正しく捉えることができることによって、より問題の本質を見極めることができ、結果として解決策が見えてくるのではないかと思います。私心やこだわりがあるとどうしても偏ったものの見方をしてしまい、「心の目」を曇らせてしまい、物事の本質を見極められないのではないか...
