独り言

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もう嘆かない、悲しまない、怒らない、憎まない

生死をさまよい・・生還したと思ったら・・左半身の機能は失われ・・・疼痛に苦しみ・・会社は失い・・親族間では揉め事だらけ・・正直、苦しかった・・本当に、本当に、、嘆いた、恨んだ、憎んだ、悲しんだ人を、病気を、自分の人生を・・何もかも・・何度も、何度も・・でも僕はもう、嘆かない、悲しまない、怒らない、そして、憎まない病気を、人をそして、痛みや痺れをも、、だってそんなものを嘆いたって悲しんだって怒ったって憎んだって何も変わらないから、、痛みも無くなるわけでもない人との問題が解決できるわけでもない逆に、嘆き、悲しみ、怒り、憎む心は痛みや痺れを憎悪させるだけ、、何の良い結果が出るわけでもない嘆くのは期待通りの「結果」が出ないから、、こんなはずじなかったなんて「自分勝手な思い」があるだけののことたとえ、期待通りの結果が出た「こんなはず」になっいたとしてもそんなものは所詮「自分のモノ(所有物)」ではないまた、「喪失」の悲しみさえ自分のモノ(所有物)を喪失したわけでは無いなぜなら、この自分の命でさえ、いつかは消滅する儚いものであり決して自分の所有物なんかではなくそもそもこの世に自分の所有物なんか存在し...
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奥歯・・

いつも僕は奥歯を食いしばっているこのままじゃそのうち奥歯がボロボロになってしまうかも・・なぜって・・痛みに耐えるため、痺れに耐えるため、悔しさに耐えるため、悲しみに耐えるため、怒りを耐えるためほとんどいつも奥歯を食いしばっている痛いとか辛いとか悔しいとか悲しいとか怒りとか表には出せない口も出せないそれは「男だから」なんていう変なこだわりやプライドからではない「痛い」と口に出すと本当に痛くなるから、口に出すことで痛みや痺れが増幅するから悔しさや、悲しさや、怒りは心に思うだけで増幅してしまうから・・だから僕はいつも奥歯を食いしばって口に出さず「思わない」ようにも努力しているだから奥歯は一番早くボロボロになるのだろうな・・障害を負ってもう4年半だけどまだまだ辛い僕の心の傷はいえることはない。。
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脳神経が損傷するという病気って

脳神経が損傷するという病気って本当に厄介だと思う。何が厄介って、、どんなに苦しんでいても診断ができないのだから・・最先端のMRIやCTスキャナーどんな最先端技術をもってしても苦しみの原因は科学的に掴めず、分析も解析もできないこんなに痛くて痺れているに関わらず・左手も左脚もいや左半身全体に腫れや傷もなくキレイ(健康そう)そのものである誰がみても僕がこんなに苦しんでいるなんて想像もつかないであろう・・もがきくるしむほどにどんなに痛く、痺れて熱も平熱・・脈拍も正常そして血圧も正常何の異常もないこれが脳神経を損傷するということなのか別に自分が痛みに苦しんでいるのをアピールしたい訳ではないけれど誰ひとり気付いてくれないっていうのも苦しいものだ孤独を感じざる得ない・・
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近頃増々予測不能な人生である

自分が45歳で脳出血で半半身不随になり、会社を潰し、自己破産するなんて人生も予測不能だったけれど最近、ますます予測不能だと感じる・・こんな身体でも何かの役に立ちたいなんて思い取組みはじめた再生可能エネルギー関連の活動だけどやはりこんな身体じゃあ出来る事には限界がある案の定、尻窄み・・・やっぱり自己満足にすぎないか正直去年末頃はそんな風に思っていたところがここにきてひょんなことから太陽光発電の依頼事に首を突っ込んでしまったそれがどんどん今具現化に向けて動き出している・・正直、この梅雨の天気、身体はメチャクチャキツイ・・どこまでできるかわからないけれど頭は働く、でも身体が思うように動かない最近はシンドイからベッドに横になっていることも多い・・吐きそうになるくらい痛むこともあるそれでもこんな僕でも何か役に立てるならと思っているもちろん自分に思い上がりたくはないし、こんな身体だから、できることは限られているそれでも僕の目の前に依頼事が出てくるならただそれを粛々とこなすしかないそこには野心も欲も持ってはいけないそう思っているなぜなら野心や欲はそれを達成できなかったとき苦にしかならない野心や欲は大...
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苦しいときに本当の事を言うのは難しい

やっと上京から帰ってきた。いや、帰ってこれたというのが本当のところだ。上京中にコメントを頂いた中に僕の事を苦しいときに苦しいって言える人って書いてくれた人がいるけど苦しいときに苦しいって言えない人もいるって、、僕もこのブログで相当強がっているんだ。上京しているって記事を読んで、片麻痺と言ってもそれくらい動けるんだ、あまり大した事はないんだって、思われているんだろうなでもね、本当は僕も苦しいときに本当の事なんて全然言えてない。今回、浜松町駅や秋葉原で電車の時刻表示の電光掲示板が一瞬見えなくなり意識を失いそうになるほどに、痺れが身体に回ってきていた事なんて誰も知らない。その瞬間、奥歯が割れんばかりに歯をくいしばり、頭にキーンと響くほどに歯を食い縛り、今ここで倒れちゃいけない今ここで意識を失っちゃいけないそうしたら、多分僕は最期だとギリギリのところで、意識を元に戻していた事も周囲の人も誰も知らないだろう不思議なものであるそんなに苦しいのに助けての一言が出ないのだ。苦しいときに本当の事を言うのは本当の事を知ってもらうのは本当に難しい、、何かそこに意地があるのだそれが何か僕にもわからないけれど、...
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富士山・・・

一昨日、上京中の飛行機の中から(たぶん愛知県上空くらいだったと思う)富士山が遥か彼方に見えた・・この時期に地上からは雲に覆われがちでほとんど富士山はみたことがないでもこんな富士山の見え方は初めてそれにしても見事な稜線だと思うIPhoneで撮影した画像だけど結構よく撮れてる・・気に入った
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視床痛(別名:中枢性疼痛)という終わりのない拷問

僕はいつも(24時間365日)視床痛(別名:中枢性疼痛)に苦しめられているがこの疼痛は残酷だと思う痛みは左半身一枚表皮を剥がされ、風に吹かれているような激痛だ。痛みの程度そのものは、もっと激しい痛みもあるのだろうけど、それでも残酷だと思うなぜなら、例えば癌の末期の痛みは相当なものらしいが(親戚で4人も癌で亡くなっているのである程度わかるのだけど)癌の痛みはたいていは塩酸モルヒネで抑えコントロールできるそうだ、ところがこの視床痛はモルヒネは無効だ。有効な対策がないのだ。かろうじて(理由は分からないが)坑うつ剤か坑てんかん剤が稀に効果があるようだということしか分かっていないだから現実には治療法がないと言って良い何が残酷かというのかと言えば前述の癌の痛みは激痛と言えど、痛みの終わりは「死」というカタチではあるけれども、痛みの終わりは来るしかし、こ視床痛、、視床痛は損傷した脳が異常反応しているだけで、痛みの感じる部分は身体的には何の異常もないだからどんなに激痛でも死ぬ事はないというつまり、この激痛はいつまで続くのか全く分からない。だからと言って自ら死を選択する事も現実的には困難を極める私の知人...
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悪夢・・トラウマ?・・

最近、、いろんな事が順調に進み始めているのによく悪夢にうなされる、、たとえば、、気持ち良く海で泳いでいる僕、すると突然左半身が動かなくなってきて溺れそうになりもがき苦しむ。どんなにもがいても、左半身はどんどん動かなくなるそして、苦しみのあまり目が覚めるやっぱり左半身は思うように動かない事にあらためて気付き、落胆してしまう悲しくなるこういうのをトラウマって言うんだろうな、、脳出血を発症して半身麻痺なりもう5年も経つけれど、この出来事は身体だけでなく、無意識下では心も相当傷付いているんだろうな
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この身体で家事は・・さすがにキツ・・・(-"-)

今、家内と息子が8月1日から義母の住む長野に夏休みの遊びに行ってしまってから一人暮らしである・・複雑な心境である健常者なら「久しぶりの独身貴族」だなんて喜んでいられるんだろうけど・・今の僕にはキツい!苦痛である今やっている仕事(食っていくための仕事)から帰宅できるのは21時は過ぎる・・それから食事の用意である僕は昔から基本的に外食はしない。なぜなら自分で作った料理の方が(少なくとも僕にとっては)旨いからでも右手片手だけで、しかも痛み不自由な左半身をひきずりながら・・これはさすがにキツい・・いろんなこと(たとえば野菜一つ刻むのも片手だけでは一苦労だ)キッチンをウロチョロするだけえでも麻痺した左足にも堪える・・痛む食事が出来上がった頃にはもう疲れ切っている食べる気も失せそうになるさあそれからも大変、風呂掃除&風呂沸かしであると同時に洗濯の準備・・入浴と同時に洗濯機を回す・・風呂上あがりには脱水できた洗濯物を干すこれも片手ではかなりツライ・・終わった頃にはもう疲れ果て何もする気はおこらないテレビさえも見る気がしないとにかくベッドに横になりたい一心でベッドに横になり一気に就寝最近7日はこんな毎...
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若き叔父が語りかける・・

8月15日になるといつも思うこの写真は母の実家に行くといつの掛けてあった掛け軸の叔父の写真だ幼い頃から何度も見ていたけれどこの歳になるとこの叔父の顔が何とも言えない僕に何かを語りかけているような気がする若き叔父・・20歳そこそこの若さで戦地の赴いたというそして戦死・・陸軍だったという戦死・・簡単に戦死というけれど・・戦争で死ぬのだきっと僕には想像を絶する死だったのだろう・・銃弾に倒れたのかそれもどこに当たったのか頭?顔に銃弾を浴びだ?腹に銃弾を浴びて内臓が飛び出した?それとも・・敵の兵士に殴り殺されたのか定かではないいずれにしても壮絶な死だったと想像するそのときこの若き叔父は何を思ったのか考えてしまうそして、この写真を見るとこの叔父が僕に何かを語りかけている様な気がする僕は英霊などの存在は信じないけれどこうやって戦地の赴き、戦死した叔父が身近に存在することが僕の心をどこか引き締めてくれるなんとおだやかな表情であろうかこのおだやかな表情のなかに無念さと反面、力強さを感じるのだ