人間について

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不安

およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って不幸にならない前に不幸になっている心です
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中国人も信頼できないがオーストラリア人も・・

先日来、僕の下記の作った下記のウェブサイトが猛烈なサイバー攻撃を受けて、データ改ざん、WEBサーバー機能不全にさてれた。サイバー攻撃されたWebサイト中国人め・・と思っていた中国人の異常なまでの日本人批判。。人種差別に近いと思っていたところがオーストラリア人も・・僕はスキューバダイビングをやっていた関係上グレートバリアリーフのあるオーストラリアのイメージは良かった。しかし最近のオーストラリアの日本への捕鯨批判には閉口していた。こんな動画を見つけた。オーストラリアって、中学のときは「白豪主義」って習ったことがあったがここまでひひどいとは・・・人間は、ここまでなぜ人種で差別してしまうのだろう。正義と悪なんて相対的なものではないか。絶対的な正義なんて存在しない見つけた動画
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希望

希望・・現代の世界は地球温暖化や金融危機、政治不信等々の苦境の空気が漂い閉塞感があるという。今の若者は現代の閉塞感のある世の中で「希望」持てないからある意味可哀想だという年配の方が最近いることにちょっと違和感がある。本当にそうだろうか希望とは世の中の状態のことではなく、心の中のものであると思う。どんな状況の下においても、価値があると信じ、働き、生き続けることのできる心の状態ではないだろうか。第二次世界大戦後、焼け野原の日本で皆希望を持ったではないか。そして奇跡のような高度成長を成し遂げたではないか。では戦後は閉塞感はなかったのだろうか、今よりもっと先の見えない不安があったはずだ。この世の中は不確実性の連続である確実な未来などひとつも無い。その不確実性の中で希望を持つことができるのが人間だと思う。一寸先は闇・・それで希望を持つことができるしそれは「必ず価値がある」と信じられる心の力である。根拠のない自信でも「できる」と思い続ければ、人間の心(脳)は自信をもつことができる。根拠がなくてもその「自信」こそが新たなアイデアや発想を生み出し、苦境を切り抜ける力となるのではないか。心が「もうダメだ...
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心情的理解とは

人生において成功するのは間違いなく「頭のいい人」ではなくて「楽しい人」です人が集まってくれなければひとりでは何もできませんだから怒りと悲しみと憎しみをもってしまったときには自分をどうコントロールできるかが大切だ。それは相手に対する「心情的理解」を示すことである。心情的理解ができるということは、相手の立場に立つことができるということである。相手の立場とは、その人のの生きてきた過去のの歴史、そして今現在の状況に自分を置き疑似体験できることだと思う。人は心情的理解を示してくれた人には着いてくる。その人の言うことに聞く耳を持つ。分かりやすい例が学歴だ。大企業に勤めると高卒の人間と大卒の人間ではあきらかに待遇が違う。人事制度自体があきらかにちがうのだ。僕にも経験がある。そういう状況の中で、大卒の上司が高卒の部下に叱咤激励しても聞く耳を持たない。「お前なんかに俺の、気持ちが分かってたまるか」という気持ちが心の奥にあるためだ。ところが高卒同志の上司・部下の関係になるとまた違う。お互い同じような経験をしてきているので、部下は「上司は俺のことを理解して叱咤激励してくれているんだ」と思うだけで聞く耳を持つ...
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今の自分

自分の力の足りなさを自覚し知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である雨は一人だけに降り注ぐわけではないどうにもならないことは、忘れることが幸福だ強く、そして心から望むこと選んだ目標を信じること
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痛み・苦しみは好転反応?

最近左半身が痺れに加えて手のひらに強烈な痛みを感じるようになってきた。何ともいえない妬けた鉄板を手のひらに押し付けられているような痛みだ。昨日友人が「それはきっと身体が良くなろうとしている新たな反応だよ」と言ってくれた。で調べてみると、人間が痛みを感じるのは好転反応(治癒反応)だそうだ特に東洋医学では好転反応というものを重視sgひているらしい。しかし現代医学では、痛みは病気の証拠として、痛み止めを投与する。これはいけないらしい。病気の治癒は麻酔をした方が治癒が遅くなるらしい人間は自分で治ろうとするときに痛みを感じるらしいもし、この痛みが脳の好転反応の影響だとしたら耐えるしかないのだろう。。つらいな・・僕は最近「脳=心」と考えるようになっている。だとしたら精神的苦痛も好転反応の影響?(これは飛躍しすぎか?)精神的苦痛を乗り越えれば、そこには多くの人が求めても到達できない「心の安らぎ」が待っているのだろうか。これをいわゆる「試練」というのだろうか
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恥とは

昔の武士は「恥」で自らの命を絶った。人間はプライドに命をかけることができる唯一の生き物である恥とは、自分に対する妥協こそ恥であると思う他人と劣っていることは恥ではない障害者の私は他人よりたくさんのことで劣っている街をつきで歩いているとどんどん追い抜かれる。コンビニで、支払いがス素早くできない。これは恥ではないそれよりも毎日かたつむりのようではある。ほんの少しできることを増やすことが大切だ昨日の自分より今日の自分が劣っていることが恥であるこれは人間として、生き方に対する厳しさである。恥とは、能力の上下ではない。 生き方のことである
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成功イメージと意欲と想像力、ポジティブな脳(心)

世の中は不確実性に満ちているその中で意欲を持つことができるのが唯一人間だと思う意欲こそが創造の源泉であり、人類発展のエネルギーだと思う意欲・・それは不確実性の中で成功イメージができる能力だと思う。優秀なスポーツ選手はポジティブなイメージトレーニングができるという「失敗するのではないか」・・というようなネガティブなイメージをしてしまう選手は実際に脳が身体に影響に本当に悪い結果になってしまうものだ。脳は「根拠の無い成功イメージ」でも自信を持ち、意欲を持つことができるという成功イメージは「意欲」の源泉である。意欲こそが新しい発想を生み。創造を生み行動を生む今の私は脳出血の後遺症で苦しんでいる。医学的には麻痺が完全回復することは難しいということはわかっている。でも希望を持とう。何の根拠もないが、完全回復する「成功イメージ」を持とう自戒の念も含めて、いつの日か完全回復を信じ続けよう。松下幸之助さんもこう言っているではないか病気になってそれが治って、治って息災を喜ぶうちにまた病気になって、 ともかく一切病気無しの人生というものは、なかなか望み得ない。 軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床...
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病は気から・・は本当だ!心は脳 脳が病むと身体も病む

私は中枢性疼痛という脳卒中の後遺症の苦痛に四六時中悩まされている。だがこの痺れ心が前向きになると不思議と和らぐのだ!下記の脳外科医のサイトにも書いてありますが、稀に抗うつ剤が効くのはそのためだと思います。 今の医学では中枢性疼痛の特効薬はないという。これはあくまで私のの場合ですが、「ラストサムライ」という映画を見て思い切り泣くようにしています。 苦笑)この映画が僕の痺れの特効薬になっている。心は脳、脳は心 魂と肉体は分離していないと感じるのはこのためです。だから私は、霊の存在も、あの世のの存在も信じなくなった。死=無に帰ると思うようになったそうすると仏や神の存在を信じている世界中の宗教が滑稽に見えてくる、仏も神も悪魔も天国も地獄も全て生きている人間の心(脳)の中に存在するのだと考えるようになった死は単なる無でしかなく、輪廻転生もなにもないだからこそ生きている今を少しでも有意義に生きて生きたい。たとえ障害者であっても・・
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死とは会話ができなくなること

人間にとって死とは会話ができなくなることだと思う。人間とは、唯一会話で「つながり」を持つ生き物だと思う。だから、孤独は死と同じ。親子も兄弟も社会も会話によってつながり、喜び、悲しみを分かち合える。孤独ほど苦しいものはない。僕も半身麻痺の障害を負ってから自宅にいることが多くなった。妻子が外出すると、たった一人になる  これはつらい、これほど孤独がつらいものだとは思わなかった。電話でもよい、メールでもよい。コミュニケシーションができた瞬間、自分の中に生気がよみがえるのがわかる喧嘩しても怒っても、たとえ、罵り合っても、つながっているのだと思う。コミュニケーションを断絶したのは死んだも同じコミュニケーションを断絶している北朝鮮は死んだ国も同じ。最近老人の孤独死のyニュースをよく耳にする。たぶん肉体の死の以前に心が死んでいるのではないるのではないだろうか。そして生きる意欲をなくし、死に至っているのではないだろうか孤独で孤独で孤独でそして孤独で誰にも話しかけられなくて生きる意欲をなくし、死するそんな悲惨な死に方をさせてはいけない。これからの高齢化社会コミュニケーションを高齢者との絶やさない工夫が必...