人間について

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修羅場では八方塞がりに見えるもの

人生の中での修羅場・・そのときって人間は自分行く道が八方塞がりに見えるものだと思う。四面楚歌・・もうどうしようもない・・そう考えてしまって心が追い詰められ死を選んでしまうというようなことが多々あるのではないだろうか。でも、決しそうではないと思います。心がが八方塞がりになってしまっているだけで、現実は何も八方塞がりなんかではないではないかと思う。心が勝手に八方塞がり・四面楚歌だと思い込んでしまっているに過ぎないのではないかと僕は思う。そのような状況とき、なぜか心は外部からの声を聞く耳を持たない状況になりがちだと思う。自らが「そう思いこんでしまい」聞く耳を持たなくなるのである。僕もそうだった。僕も、脳出血で倒れ半身不随になったとき、そうだった。自分の会社は破産、自分自身も自己破産・・何もなくなったと思った。その上、身体は半身不随・・僕のこれからの人生、、先はないと思った。絶対に復活なんてできない。そう思っていた。実際、こんなふうに考えても経済的に立ち直れる術は一つも思い浮かばなかった。僕の人生はこれで終わりだと思った。このまま一生介護を受けながら、生きていく。みじめな人生になるしかない。そ...
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誰もわかってくれない感覚障害の苦痛・・

脳出血の後遺症・・運動麻痺は見えるから辛さが理解されているみたいだけど感覚障害については周りから見えないからどんなに苦しくても理解されないのがつらい。あるリハビリ医のブログにこんな1節を見つけてショックを受けた。「もはや業界では常識化していることなんですけど、片麻痺の感覚障害は良くなるということはほとんどないとしてもいいわけなんですね。」「リハビリにおいて感覚障害についての治療をきちんと研究として発表した人もほとんどいないはずなんですね。つまり、片麻痺においては特に感覚障害というのは置いてきぼりされている概念であると思うんです」と書かれていた(/_;) 泣きそう・・生野氏の認知療法に期待したい
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ストレスに弱くなっているなぁ・・

今日は朝からなぜか痺れが酷い・・左半身足の先から頭のてっぺんまで痺れている・・こういうときは感覚が鈍くなって困る。。正直つらい・・この痺れという厄介者は僕の心まで蝕む・・今日ちょっと仕事上のスケジュール調整がうまくいかなかった。。今の僕はスケジュールが詰まることに対して恐ろしくストレスを感じるなぜなら、「慌てる」ことができないからだ急がないといけないのに身体が動かない・・これは精神的に辛い・・焦る・・その焦りがストレスを増幅させる。そんなことがきっかけでなぜか分からないが気持ちがネッガティブになる。。ギニアへの水処理技術導入がうまくいかないのではないだろうかインドへのバイオマス技術導入もうまくいかないのではないだろうか何でもかんでも後ろ向きになってしまっていたところが午後から突然スケジュールがキレイに嵌った!そうしたらなんと何でもかんんでもうまくいくような気になってきた。。心ってちょっとしったことで砕ける反面ちょっとしたことで前向きになれるもんだ。不思議だなぁ人間の心って・・どうせならずっと前向きになっていてくれよ!
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すごいことになってきたもんだ・・

ただ、この半身麻痺の身体でできること(人の役に立てること)は何かと考えとにかく情報収集し、ネットや人を通して発信してきただけなのに今、僕への依頼がすごいことになっている。。今入っている依頼 国内 ・N県へのスマートシティ構築支援 ・S県でのメガソーラープロジェクト支援 ・T県へのバイオマスエネルギ施設構築支援 海外 ・赤道ギニアへの飲料水化備導入支援 ・インドへのバイオマスエネルギ施設構築支援嬉しいことだ..一度は諦めかけていた人生、このまま一障害者として人の介助を受けながら生きていくしかないと覚悟していたのに・・倒れる以前よりやりがい(生きがいのある人生)になっているそして何より倒れる以前より世界がものすごく広がったなんとアフリカにまで行ける可能性がでてきたのだ。。 この身体でこなせるかな・・・不安はいっぱいあるけれど。。皮肉なものである・・身体が健常で人一倍走り回っていたころより身体が不自由でその上、痺れて痛くて、苦しくて自由に動き回れない今の方が世界が広がるなんて・・
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不安は心の中だけに存在する

人間、日々の生活でいろいろな不安があるものだ。不安になったとき、周りの状況が違って見えるものだ。不安が心の中に降り積もった状態のときって車ひとつ見ても自分にぶつかってくるんじゃないかなどという怖れを抱いたりする。僕も半身不随になった当初何もできない(実際にはできることはあるのに)自分に不安になり、目に見える何もかもが恐ろしく見えた時期がある。なぜだかわからないけど、とてつものなく恐怖感を感じていた。生きることそのものに恐怖感を感じていたような気がする。でも実際には周囲の状況は何も変わっていないのだ。心が勝手に不安に感じているだけだったのだ。そう何も変わっていないのだ変わったように心が感じるからそう見えるだけだったのだ。本当は不安な状況なんて存在しないのではないか心が不安になっているから状況が不安に見えるだけだと思う不安になると焦りの心が出る焦りは冷静な判断を失わせる知恵も沸かない。心の負のスパイラルだ。こうなると何もできなくなる周囲の状況は何も変わっていないにも関わらず・・にであるこんなの損じゃないか何の根拠もないのに不安に見える。人間ってそれだけで何もできなくなるのだ。だったらもう一...
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今、いろんなものが僕に集まってきている・・皮肉な人生

今、いろんなもの(情報?チャンス?)が僕に集まってきている・・・徳島県●●村へのバイオマス施設導入支援依頼・S県へのメガソーラープロジェクトファンド組成依頼・アフリカギニアへの飲料水化設備導入支援依頼・N県へのスマートシティ構築支援依頼・インドへのバイオマスエネルギー施設技術支援プロジェクトへの参加はては、「障害者のための障害者による新規ビジネス」の立ち上げオファーこなせるかな・・正直少し混乱気味・・優先順位を整理しなきゃこの身体と体力ではとても心配・・こんなとき以前のように元気な身体だったらなぁ・・!って若干悔しい思い。でも以前の僕(脳出血になる前の僕)は視野の狭いWEBプログラムに関する一介のSEに過ぎなかったからこんな案件には無関係だっただろう。障害者になってしまったからこそ舞い込んできたともいえると感じている人生って本当に皮肉なものだとつくづく思う。
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煩悩があるから苦しむ?

仏教系の教えでは人は煩悩があるから苦しむという。そこで僕なり考えた。僕はなぜ半身不随の後遺症に苦しんでいるのか痛みに、しびれに苦しんでいるのかこれは僕に煩悩があるからなのかだとしたら煩悩とは人間の持つ生理的欲求に他ならないのではないかつまり生きるために必要なものを欲求しているだけではないか痛みを和らげたい・・快楽を得たい等々・・地位と名誉欲さえも生きるための生理的欲求ではないか。なぜなら地位と名誉が得られれば、皆に守られる・・つまり生易いといことにはならないか。でも地位と名誉が得られても必ずしも生き易いとは言えない。身体的痛みや快楽ももしかしたらそうではないか。痛みが和らげば、快楽が得られれば、絶対に生き延びられるかそんなことはないと思う。痛みがあっても、快楽がなくても生きる人は生きる。だとしたらそんな生理的欲求(煩悩)に振り回される必要はないのではないか。そんな意味で煩悩を捨てる努力をすることは理にかなっていると感じる。僕も一生煩悩を捨てる努力を続けていこう。自分が苦しまないために・・
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不自由ということ

不自由・・正に今僕は不自由である・・不自由・・自分の意志通りにもの事ができない事自分の意志はハッキリとある。 スケジュールまで頭の中で構築できるでもその意思通り、スケジュール通りに物事ができない。朝、起きて20分以内に自分で服に着替えることができない。。片手が動かないから書類を揃えてホッチキス止めできない・・書類を揃えようとするだけで書類がちらばる・・また一枚一枚揃えなおす。。時間がかかる・・イメージ通りに移動(歩行)できない。だから到着したい時間に到着できない。自分の意志通りにできない誰の反対に会うわけでもないのに・・である不自由である・・選択の自由がないようなものだ。急ぎ過ぎるのかな・・もっとゆっくりとすれば良いのかな・・でも頭の回転は以前のままだからそのギャップがつらいこんなことならいっそうのこと頭の回転も障害(知的障害)になってしまい自分が不自由であることさえわからなくなってしまいたい。
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成功する人生より悔いのない人生。

「成功する7つの法則」「成功の哲学」「人生に成功する人間とは」僕が健常者だったころ購入した本が本棚に並んでいる。今見てみると、なんとくだらない本なんだと思う。このアメブロにもそういった「資本主義的」成功の秘訣などというテーマの記事がたくさん存在する。内容・・正直言ってくだらない。「一日5万稼ぐ方法」・・・「年収1000万稼ぐ方法」・・というような類のテーマだ。僕は半身不随という脳卒中後の後遺症になってから人間は何のために生きているんだろうという事を何度も考えさせられた。今の僕の生活は朝目が覚めた瞬間から痛みと痺れとの闘いだ。目が覚める左半身すべてが痺れている・・左手。左足も硬直気味で動かない。。苦しい。。身体が苦しいから心も萎えてくる。。心の奥底で「これではイカン!立ち上がれ!」と叫ぶそしてようやくベッドから力を振り絞って立ち上がるやっと立ち上がったと思ったら、次は着替えだ。左手は感覚がなく動かないので右手でシャツ取り、「目で確認しながら」左腕をシャツに通すでも左手は何も感じていない。後ろ手にシャツを右側に回し、ようやく右腕を袖に通す。それからやっと右手でボタンを通す。その間、常時左半...
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障害者になって得たものと失ったもの

障害者になって得たものと失ったもの。3年前半身不随になった当初、全てのモノを失ってしまったように思えた。確かに・・それまで積み上げてきた多くのモノを失った。多くの身体の機能も失った。そして何もできない人間になってしまったと思った。でも。。それは違った。多くの失ったモノ以上にかけがえのないモノをいつのまにか得ていた。確かに生きることそのものに苦しんだ。でもそのことが結果として、僕に生きる意味を教えてくれたように思う。今まで全く気付かなかった「生きる意味」というもの苦しみの中で「人間はなぜ生きるのか」という問いを何度も繰り返したように思う。そして3年た経ってやっと僕なりに結論が出てきたように思う。それは健常者の頃の僕には絶対に気付けなかったことだと思う。人間が生きる意味・・僕は今確信している。人は人と繋がるために人は生きているのだ・・と・・人とのつながりが切れたら死んだも同じ。たとえ巨万の富を得ようとに人とのつながりの無い状態は言いている意味がないと思う。たとえ障害者になろうともたくさんの人との繋がりを保つことができていればその人生は輝いているといえると思う。人とのつながりを感じているとき...