人間について

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幸せだと気付かなかったこと

手が動く足で歩ける目が見える耳が聞こえるそして健康である健常者の頃、すべて当たり前のことだと思っていたとんでもない勘違いだった今僕は左手は「全廃」両手作業は一切できない(左手が廃用になって初めて気が付いた手作業99%が両手作業だったって事を)お茶碗を持って味噌汁ひとつ飲めない左足も満足に動かないから杖でせいぜい数十メートルしか歩けない盲人用のタイルの突起でさえバランスを崩す有様だ80歳くらいの老婆にさえ追い越される 惨めな気持ちになる「当たり前だったこと」にもっと感謝すれば良かったと思うでも・・ でも・・ でも・・今でも目は見える(ちょっと老眼気味だけど)耳は聞こえる右手は利き手ではなかったけど、この3年で2倍以上器用になった左手の代わりに口も使えるようになったそして何より健康である中枢性疼痛の痛みには苦しんでいるけれど内臓の病気は一切ないこの3年、風邪も引かなかった。もちろんインフルエンザにもかからなかった脳が損傷しただけで他の臓器はすべて健康である。そして何より仕事ができている!それだけで充分幸せではないか今でも充分感謝できるではないか
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痛いけど苦しいけど

痛いけど・・苦しいけど・・痛みを堪えて、働かなきゃならんだって僕は一家の大黒柱・・障害者なんて言い訳は誰も聞いちゃくれないそれに僕には志がある僕に集まってきた再生可能エネルギー技術に関する情報を生かし、少しでも普及に役立つことそして、障害者でも役に立つ人間でいられることを証明することだから、そのためにも働かなきゃならん働かなきゃ何の活動できない 資金もない家族を食わせることさえできなくなる今この瞬間も左手に杭でも打ち込まれている様な激痛が走っている・・でも堪えて、堪えて・・自分の心の中に創った志を想うようにする・・そうすると不思議と堪えることができるから
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償うということ

3年前、僕は脳出血で会社を破産させ、自己破産もして免責を受けたでも僕は免責を受けたからといって債権者に対して償ったとは思っていない面積とは単に法律的に返済を免除されただけなのだ僕はそう思っていただから僕は仕入れ先さんの負債だけは免責を受けた後に返済した確かに苦しかった自己破産をするということは現金預金を99万円未満にしなければならない。もちろん車などは資産とみなされるので売却した本当に現金預金を99万円未満にされてしまうのだ免責を受けたとき、確か現金預金は98万程度だったと思うでも仕入れ先さんの負債額は6十数万円だったと思うでもたかだか98万の中から僕は返済した。なぜなら金融機関(銀行もサラ金業者も)の貸金は商売だだから必ずリスクヘッジしている銀行なら信用保証協会を保証人にしているから貸し倒れしても保証協会からお金は戻ってくる仕入れ先さんは違う物品商売上の信頼関係だ仕入れ先さんは僕の会社を信頼して商品を出してくれたのだ。それを裏切るわけにはいかないそう思っただから返した僕の良心が咎めるから・・でも僕のある知り合いは違ったその知り合いも自己破産したサラ金からだけで2千数百万円も借りていて...
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痛みがひどいと何もする気が起きない

今日もいつものごとく痛みと痺れがひどい・・この痛み何とかならんのか左半身皮をめくられているよう激痛・・ベッドでうずくまっている・・食事さえする気がなくなる。それでも・・今から仕事に行かねばならぬ・・誰かなんとかしてくれ・・苦しくて涙が出るよ・・痛い・・痛い・・痛い・・負けてたまるか一家の大黒柱である限り、、
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温度差発電のすごさ

私の知り合った方が開発している温度差発電のしくみは基本的には以下のようなスターリングエンジンのようなもので、(スターリングエンジンはカルノーサイクルを利用しているが、実際にはランキンサイクルを利用している)触媒になるブタンガスは(60℃のお湯で)温められたり(25℃の水で)冷やされたりしながら中を行ったり来たりするだけなのです!だから燃焼工程もないので重油で動かすディーゼル発電機なんかより静か且つは(CO2やSOxなどの)排ガスはゼロなのです!完全クローズドな発電装置だそうです。これが実用化されたら、使えるところはやまほどある!だって60℃のお湯と20℃~30℃の水さえあればよいのだから・・
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あの世なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと考えるようになった理由

このテーマは2度目ですが、僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じていると同時に人とのコミュニケーションが絶たれる状態と言うのは予想以上に辛いものです。この時に思ったのです。死後、肉体が滅び、「魂」とかいうものだけが残ったとしたら同じ状態ではないだろうか「魂」...
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生きたくても生きれない人と死にたくても死ぬ事ができない人とどっちが残酷ですか?

生きたくても生きれない人と死にたくても死ぬ事ができない人とどっちが残酷ですか?この問いにみなさんはどう答えますか?どっちも残酷ですでも僕は死にたくても死ぬ事ができない人の方がどちらかといえば残酷ではないかと考えています。それは昔、ロバートデニーロが主演の映画「レナードの朝」を観たときに思いました。あの主人公(ロバートデニーロ)は最後にあのまま生きていかなければならないのです。あのまま何十年も生きさせられる事の方がものすごく残酷です。生き地獄です。僕は地獄はあの世ではなく今生きているこの世に最も凄惨な地獄が存在すると信じてます。人間、そんな凄惨な地獄を味わいながら生きるくらいなら死んだ方が良いと思っています。そんな意味で「死の選択」は決して「悪」とは限らないと思います。この世には死にたくても死ぬ事ができず苦しんでいる人はたくさんいると思います。そんな人に対して「生きることは大切です!生きなさい死んではいけません」と言うことがつまり「死の選択」を与えない事がどれほど残酷な事か・・・あのブッダでさえ「人はなぜ生きなければならないのか」ということに答えを出せていません。生と死は一体であるとも言...
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死後は「無」である。自殺や「死の選択」を奪う方が地獄ではないか

自殺でも病死でも自然死でも死後は「無」であり、地獄も天国も存在しないと思っています。そして地獄も天国もこの世にあると思うのです自殺=悪と決めつけられることにより「死の選択」を断ち切られている人の方がこの世で本当の地獄をは味わっているのではないかと思います昔の武士は常に「死の選択肢」を持っていました「いつでも死ねる」「いざとなったら切腹できる」・・その覚悟があったからこそより有意義な「生」を生きることができたのではないかと思うのです。
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死と向き合うといこと

僕は出血性ももやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)による脳出血この脳出血の場合、再出血の確率が61%それも45歳~55歳までの再出血の確率が最も高確率であるもやもや病出血例の自然史明日、再出血してもおかしくないそして、再出血=死を意味する日々障害の苦しみと向き合い、そして死と向き合うと「死」について、「生」について考えるものです。決してムダなことではない「死」について考え、「死」への覚悟を持つことは心の安寧に繋がり、生きるエネルギーになるものですいつ死を迎えても良いという覚悟・・それが生きる力これはたぶん、僕だけにしかわからないことだろう。
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皮肉な人生・・時代の流れに乗っている「つもり」だったけど

今、やっと仕事から帰ってきた・・疲れて左半身疼くのに変帰ってきたと思ったら、もう記事を書いている まさにハイパーグラフィア状態(苦笑)僕は大学が化学工学科を卒業そして、大手老舗化学メーカーに就職ときはバブル全盛期・・金融機関や証券会社に就職した文系の友人は僕の数倍のボーナスをもらっていたそれに引き替え当時の化学関係の製造業なんて手取り・・一桁万円僕は製造業に見切りをつけた・・そして柄にも合わない経営コンサルティング会社に転職・・そうすると時代はインターネット普及し始めたので、ITを駆使できないコンサルタントなんて時代遅れと感じ、今度はIT企業に転職・・そして独立起業した時代の流れに乗っている「つもり」だったそしてリーマンショックの影響もあり、会社が傾き、ストレスで脳出血・・会社は破産・・何もかも失った・・それでも九死に一生を得て・再起をかけたのがなんと再生可能エネルギーという世界太陽光発電・・風力発電・・小水力発電・最新型風力発電・・・最新型大容量蓄電池・・そして最後に現れたのが温度差発電・・スターリングエンジン&カルノーサイクルそしてランキンサイクル温度差発電正に熱力学の世界・・これ...