人間について

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今回の総選挙にはどの程度の人が選挙にいくのだろうか・・選挙を棄権するという意味

最近日本では選挙に行かない人が増えているという理由は「誰がやっても同じだから・・」「政治家は誰も信用できないから・・」という理由が大半ではないだろうかだったら選挙に行かなくても良いのだろうか或いは白票(棄権)を投じても良いのだろうか選挙とは。。国会が国権の最高機関でありその国会に対して主権者である国民が権利を行使する最大の機会が選挙のはずである。つまり「主権を放棄している人」が増えていることになるのではないのか。ただ単に自分の主権者たる地位を放棄するだけなら、個人の問題という事ですむ。しかし、棄権する事は他人にも迷惑を及ぼすのである。棄権=白紙委任の影響棄権(白票)する事は、政治家がより好き放題な事をする事にお墨付きを与えることでしかないのではないか。与党に投票する事は「現在の政治を承認する事」の意思表示になり、野党に投票する事は「現在の政治を承認しない事」の意思表示になる。それに対し、棄権する事は「今後も、政治家が何をやろうとお任せします」という意思表示になる。その結果、推進される政治のもとで、棄権者のみが被害合うならまだいい。しかし、政治の結果はすべての国民に影響を与えるその結果、...
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本当に世の中を支える人々

世の中を支えているのは今、選挙活動で浮かれている(僕には耳触りの良い事を言って浮かれているようにしか見えない)政治家なんかじゃない毎日、寒い中、いや夏なら猛暑の中、日雇いで働いているおっちゃんや兄ちゃん達や中小企業で苦しい経営状況の中で必死で頑張っている人々はないか彼らがいなけりゃビルも建たない道路もできない水道管だって通じない電線だって通らない新しい発明だってできやしない(特に政治家にはね)水。・電気・ガスを思う存分使って生活できるのは過酷な労働条件で働くこういう人たち堪忍や辛抱があるからではないかいつの世でも、真実の国家を支え盛り立てているのは、こういう人たちの堪忍や辛抱・・・人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのではないか
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人知れず・・

踏み削られ、形を変え、しだいに小さくなってゆくそんな岩があるその岩のどうにもならない運命だどんなにもがいてもその枠からぬけ出ることはできない人間にも同じような運命からぬけ出ることができず、その存在を認められることもなく、生き疲れたうえ、誰にも知られずに死んでゆく者も少なくないだろう僕みたいな人間もそのひとりなのだろう・・それでもいい自分なりに精一杯生きた人生だと思えるなら、、
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脳を損傷するということ・・脳死ということ

現金なものである・・今日午前中、痛みと痺れに苦しんでいるときは痛みに耐えていると何のために生きているのかわからないという気持になり痛みに耐えるために生まれてきたのかと思ってしまい・・もう耐えられない我慢ならん・・限界だと思うほどだったでも今はすっかり痛みは遠のいているこの痛み・・「本当は存在しない痛み」なのだ・・脳の感覚を司る部分(視床下部というらしいが損傷しているがゆえ本来痛みは痛む箇所が損傷しているから早く手当しろという「警告」であるはずなのに損傷が存在しないにも関わらず、脳が誤認して勝手に痛みを感じてしまっているのだだから通常のモルヒネなどの鎮静剤は無効だという・・厄介なヤツだ・・痛みは心までも弱気にさせ、蝕んでしまう。自分でもどうにもならないくらい蝕まれる・・脳を損傷するということは全く予期しない苦痛に見舞われるそしてその苦痛は解決方法がない・・痛いといっても痛む箇所には傷も何もなく、腫れているわけでもなく、うっ血しているわけでもないから医師としてもどうしようもない。。この幻覚の痛みといつまで闘わなければならないのか・・たぶん 一生闘い続けなければならないのだろう・・そう思うと...
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今朝の自分にウソも誇張もない

今、痛みが和らいだ自分から今朝の自分を見つめると不思議に思うなぜ、あれほどまでに絶望感に見舞われていたのか・・今となっては自分でもわからない不思議なものであるそんな自分に、あの山本周五郎さんの「落ち葉の隣り」の小説の以下の一節を思い出す。。---------------------------------------------------------------------------「死んじまいたい」と思いつめるそのときの気持には嘘も誇張もない。 ぎりぎりいっぱい、死ぬよりほかにないと思うのだが、そのときが過ぎて しまうと気持もいつか変ってゆき、そんなに思いつめたことがばからしくさえなる。---------------------------------------------------------------------------これはまさに今朝の自分と今の自分だ・・自分から見ても今朝の自分はおかしかったと思う。痛みとは恐ろしいものだ・・人の心をそこまで絶望感に陥れてしまうのだから今思うと・・自分のことでさえ分からないのに他人様に分かってもらおうとする事に無理があると自分でも...
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脳=心=魂

脳=心=魂・・これを書くと宗教やスピリチュアルとかいうものを信仰している人から猛反発されることは分かっているでもそれを証明してくれるあの偉大なインド人脳学者ラマ・チャンドラン博士のYouTube動画見つけたのでここで紹介しようと思う。このラマ・チャンドラン博士の講演動画の中で最もそれを証明しているのは脳のある部分が損傷すると親兄弟さえ認識できなくなるという「カプグラ症候群」という現象だもし、脳とは別に心や魂や霊魂などというものが存在するならば、たとえ脳が損傷しても魂同士で繋がれているはずの親兄弟を認識でいなくなることなんて無いはずではないかだって「信仰する人」は「先祖の霊が自分(あなたを)を守ってくれている」とい言のだから・・でも実際には脳のある一部分が損傷するだけで親兄弟さえ認識できなくなるのだ以下にそのラマ・チャンドラン博士の講演動画を紹介します。ラマ・チャンドラン博士の「心について」の講演-1/2ラマ・チャンドラン博士の「心について」の講演-2/2これを見ると明らかに脳=心=魂であることが分かるこれは僕の「哲学や考え」でもなく僕の「信仰」でもなく脳卒中を起こした僕の視床痛(幻視痛...
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明日を信じる事

明日の話ができるという事は未来の話ができているという事だ!だから明日の話ができている限り未来があるという証拠だ確かに未来が良いか悪いかなんて分からないけれど、悪いとは限らない予測不能だからこそ未来なのだ僕のこの障害、、現代医学では完全回復はほぼ不可能だというけれど、それは今この瞬間の現代医学のことに過ぎない明日はどうなっているかは誰にも分からない明日、もしかしたら新しい治療法が発見されるかもしれないそんなの楽観過ぎるというかもしれないけれど、絶対にないとは誰にも言えないし、分からないはずだ分からないからこそ希望を持つ事ができるのだ明日の話ができている限り、未来はあり、その未来には何があるかは分からないだからこそ明日を信じ、未来を信じ希望を持ちたいと思うそう考えるように心がけているでも、痛みの激しいときはこんな風にはどうしても思えない痛みに堪えているとその痛みが未知の未来を全てネガティブに考えてしまう自分でまどうしようもなくなるのだ困ったものだ人間とはこれ程までに自分自身をコントロールできないものなのか、、いつでも未来を信じ、自分自身を信じたいと思っているに、、、
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人はなぜ死について考えるのであろう

脳と魂や死後の事を記事に書くといつもビックリするくらい賛否両論のコメントが来る、、それだけ死は人にとって関心のある事なのであろう有史以来、人は死について考え、死後について考え、そこから宗教が生まれ、神という存在をつくり、霊というような存在をつくってきた、昨日、脳=心=魂というテーマの記事中で死後や霊魂の存在について書いてみて、、今日なって思ったのだが、今この瞬間自分は生きている生きている限り、死後の事なんて分かる訳がないだとしたら、死や死後の事なんて考える事自体無意味な事ではないのか?脳内出血の死亡率は70%だというそんな死亡率の高い疾患に襲われ、幸いにも生き延びたのだから、生きる事を考える方が大事なのではないのか健常者の頃の自分もそう考えていたくちだ、、なのに、しかも僕は昨日の記事で、死後の世界や霊魂の存在を否定しているにも関わらず、半身不随になってからといもの、この4年間、何度も「祈った」これが現実でないように、、とか、奇跡的な回復をするように、とかである何に対して祈ったのか自分でもよくわからないやはり、死に直面した事により、死に対する怖れのようなものを感じたからなのだろうかただ、...
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希望を持つことで希望は現実になる・・前向きな心や希望に根拠など必要ない

何回も記事に書いてきたことだけど僕は前向きな心に根拠など必要ないと思っているなぜか・・今の世の中は将来に希望が持てない世の中だとか将来に不安があるとか政治家もメディアもよく言うこれど・そもそも未来なんて「予測不可能」であり、「不確実」であるなのに不安になる不安になる事にも根拠なんて無いじゃないかあの芥川龍之介の自殺の原因と言われる「漠然とした不安」・・・こういうのが一番いけないと思う「漠然とした不安」にはハッキリした原因がないだから不安を取り除くための解決策も見えないだから将来を「ひとり勝手に」嘆き、憂いて、自殺する・・不安に根拠がないのならば、希望にも根拠なんて必要ない皆、本当は「根拠のない希望」持っているのだだから今この瞬間を嘆くことなく、憂うことなく、生きていられるのだと思う例えば明日自分が交通事故に合って死ぬなんてほとんどの人は思っていないだろうこれこそが「根拠のない希望」だと思う。「明日自分は交通事故に遭って死なない」という「根拠のない希望」を持っていることになりはしないか希望ってそんなものだと思う。希望に根拠を求めることよりもたとえ根拠がなくても希望を持つ事が大事だと思って...
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今日、選挙に行かなかった(もしくは今からでも行く気がない人)へ・・

今日、11時頃選挙の投票に行ってきた。僕にとってはかなりの重労働だった投票場は近くの小学校・・距離は自宅から700mほど700mといっても今の僕には杖を突いて必死で歩いても15分近くかかる投票場に着いた頃には麻痺側の左足は痺れ切って、左足全体が電気の塊のようになってほとんど感覚がなくなる選挙に行く気がない人にとってはなぜ、それほどまでして選挙に行くのか不思議だろうと思うそこで先日も記事に書いた事をもう一度そのまま記述したいと思うなぜ選挙に行くことが重要か、逆に行かないことがいけないのかという事です--------------ここから---------最近日本では選挙に行かない人が増えているという理由は「誰がやっても同じだから・・」「政治家は誰も信用できないから・・」という理由が大半ではないだろうかだったら選挙に行かなくても良いのだろうか或いは白票(棄権)を投じても良いのだろうか選挙とは。。国会が国権の最高機関でありその国会に対して主権者である国民が権利を行使する最大の機会が選挙のはずである。つまり「主権を放棄している人」が増えていることになるのではないのか。ただ単に自分の主権者たる地位...