人間について

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僕の生きる理由・・

僕は今何を支え生きているのだろうふと、そんなことを考えていた・・半身不随という障害者になってしまった今の僕には以前持っていた「生きる楽しみ」・・(いわゆる娯楽というやつ)の99%は失ってしまったちょっとした観光や旅行。近所の散策でもよいそんな小さな楽しみさえも今の僕には苦痛でしかない。何事にも「楽しむ」なんていうことは不可能に近いそもそも僕にとっては歩行移動だけで半身が猛烈に痺れ激痛が走り、激しく辛いのだから・・散策ですら「楽しみ」なんてものではない。もちろん、身体を動かす楽しみ(いわゆるスポーツ)は100%できなくなったそんな「生きる楽しみ」をほとんど奪われている今、僕は今何を支え生きているのだろう考えた末に出来てきた一つの結論・・それは「使命感」のようなモノであるそれは簡単に言うと「自分が必要とされているかどうか」である必要とされているからそこへ行く(身体が痛くても移動する)し必要とされているから全身が痺れて(痺れが酷い時には健常な半身側まで痺れが回る)横になっていたいけど、打ち合わせにも出席する誰かに必要とされているから心に鞭を打って無理もするそして決して弱音は吐かない重要なのは
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初体験(未体験ゾーン)

人間、、生まれてすぐの赤ちゃんの頃から幼児くらいまではやること成すことほとんど全てが未体験であり、初体験である初体験(未経験)だから、うまくいかず、失敗する失敗してはじめて、その方法ではうまくいかないとを分かり、「できる方法」を模索しながら、徐々にできるようになっていくこれが普通の人間の成長過程だろう。でも、この歳になってこれほど多くの初体験(未体験ゾーン)が多いのも困ったものだ・・何が未経験かって?実は生きてきたこの50年間で全くの未経験ではないこういう「左半身麻痺の身体で経験する」ことが初めてのことが多いのだ。例えば健常者の頃に右手片手(と思っていただけ)でできていたこと・・そんな右手片手出来てたことだから、左半身麻痺した今でもできると思いやってみたら、意外や意外・・できないことがたくさんあるのだ・・そして愕然とする・・こんな事もできなくなっていたのか・・ともう左半身麻痺になって4年半近く経過するけれど、未だに「左半身麻痺の身体で経験するのは初めて」の事が多いことに気付かされるつい最近だと・・例えば、POST ITのようなメモ付箋に字を書こうとしたら、(字を書くのは右手だから)でき...
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諸行無常か・・

諸行無常・・この世のあらゆるモノ(物質や状況)は一瞬たりとて同じ状態ではなく、移り変わっているだから、そんないつかは存在しなくなるもの(財産や名誉とか永遠の健康等々)に執着するから、それを失ったとき苦しむのだと仏教では教えているでも・・なら聞きたい僕のこの半身不随という後遺症の障害も「諸行無常」であるならいつかは消えうせるのか?この苦しみもいつかは消えうせるのか?だとしたら、それはいつなのだろうか死んだとき?たしかに死ねば、半身不随という後遺症の障害の苦しみも消えるだろうでもあと何年生きるかわからないあと何年生きさせられるかわからないそんな僕にとって死まで待つことは永遠に等しい時間だそれは正直辛い・・と思うのだが・・こう思う僕は弱いのだろうか・・
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失ってわかる 人間の身体機能の凄さ

最近になってつくづく思う人間の身体機能の凄さに驚嘆するのだ・・こうやって自分の身体機能を失うと(当たり前のように思っていた)身体機能が如何にスゴイ機能だったのか痛感する例えば・・駅などで階段を駆け上がる人を見てもスゴイ!と思うだって足元の階段の段差も確かめずに、足が見事に段差の高さに合わせて動いているのである!今の僕には不可能だ・感覚麻痺の酷い僕はいちいち目で足が段差の上に着地したかどうか確かめながらでないと階段は登れないのだ・・あと踵の高いハイヒールを履いて歩く女性・・あの細い踵で、な、なんと!バランスを取って見事に二足歩行しているのだ!スリッパでさえ、すぐにバランスを崩してしまう今の僕には絶対に不可能だ・・これは良く考えると驚くべきことだと思うこうやって失ってみると人間の身体機能が如何に芸術的な動きをするのかあらためて発見できると同時に、こんな素晴らしい芸術的で大切な身体機能を失ってしまったことにあらためて落胆もしてしまう最近である。。
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負けてたまるか

負けない不自由の歯がゆさに負けない悔しさに負けない悲しさに負けない痛みの苦しさに負けない将来の不安に負けない将来が不安になるのは自分の心が自ら見ようとしていないだけ自分で自分を縛っているだけ自らの思い込みや執着が心の目を閉ざしているだけたとえ障害者でも道は無限にある可能性を自ら捨てるような心の持ち方はやめようそして、、負けない負けてたまるかこの言葉だけが僕の心を支えるどんなに苦しくても負けない、ギブアップしないそんな自分を信じよう自分を信じることで知恵も沸く負けたくない気持ちは心のエネルギーどんなに不安でも負けてたまるかという気持ちだけは捨てないでおこうきっと道はある
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心のきしみ

心が軋む音が聞こえる・・左半身が痛む度に・・不自由で悔しい思いをする度に・・これができるならこれもできるだろう・・という常識が(他人も自分も含めて)通用しないことに愕然とする度に・・戸惑う度に・・心が軋み壊れそうになるのがわかるその軋みに「負けてたまるか」という接着剤で補修する・・補修してもすぐにまた、様々な思わぬ立ち塞がる壁に戸惑い、憂いまた心の軋む音が聞こえ始める・・そんなことを毎日繰り返してもう4年いつかはこんな風になってしまう気がしていたかもしれないだって人間だから・・人間ならいつかは老い、病に倒れ、床に臥せ死を迎えるそれが少し早かっただけ・・ただそれだけのこと・・だとしたら、いつこの命が消えるのか、もう二度と身体は元に戻らないのかそんなことに憂うともなく、不安を感じることもなくたとえ障害を抱えていようともただ、ただ、生きている今この瞬間を心を落ち着け、歩みたいそうすれば、そうできれば心の軋みもなくなろうに・・
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決して嘆かず、悲しまず、怨まず・・

半身麻痺の疼痛の痛みや痺れに対して決して嘆かない決して悲しまないそして、そのことによって脳出血になったことを恨まない嘆く、悲しむ、怨むとは心の動きであり心の作用であるそんな心の動きで麻痺が回復するわけでもない不自由が解消するわけでもない痛みは耐えるものだ痛みや痺れに嘆き、悲しむことは、その分心のエネルギーを消費してしまう結果として、痛みに耐える心を弱くするだけだ。痛みは耐え、闘うものだ嘆くことではない不自由も同じ不自由は知恵でしか乗り切れない嘆き、悲しんだところで不自由が解消されるわけでもない不自由に嘆き、悲しむことも、心のエネルギーを消費してしまう不自由を解消する知恵を生む心を弱くするだけ・・だから不自由にも痛みにも決して嘆かず、悲しまず、怨まず・・生きていこう
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弱い人間だからこそ・・

昨夜の記事のコメントに「なぜ、それほど完璧になろうとするのか?」というコメントを頂いたのでそのことについて書こうと思います。僕は決して完璧な人間になろうとなんて、おこがましい事は考えていません。昨夜の記事のように考えていないと、辛くて、辛くて自分が壊れてしまいそうだから、、ただ、それだけです。今はゴールデンウィーク中ですがテレビ等で流れる、行楽に行く家族を観たりするとそれができなくなった息子や家族を行楽に連れていって、せめて、息子と野外で走り回って遊んであげたいそんなことさえできなくなったなった自分がとても辛い・・辛く感じるだから、そんな自分が壊れないように、最悪、自分で自分の命を断つような事をしないように、ただ、それだけのために、そして自分で自分にハッパをかけるために、自分に言い聞かせるためにこのブログを書いている。そうしていないといつか、どこかで壊れてしまうような普通の弱い人間です。だからこそ、自分にハッパをかけ続けなければ生きていけないと思う。僕は決して強い人間なんかではない嘆きもするし、憎みもするし、怒り悲しみもするごく普通の、いや、普通より弱い人間だとも思うそんなことは自分が...
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徒労も訓練のうち?

今日、長嶋茂雄さんの国民栄誉賞の表彰式を観ていて思った。脳卒中の麻痺の回復が如何に難しいものか、あらためて痛感した。長嶋茂雄さんも脳梗塞を発症してからもう丸9年である。先々月にも長嶋茂雄さんのリハビリの様子をテレビで放映していたけど並大抵のリハビリではなかった・・ある意味「長嶋さんらしい」いわゆるスパルタ式のリハビリであったしかも一流のセラピストを付けて特注と思われるようなリハビリ用のマシン?を使いリハビリをしていた今日観た感想は「それでもここまでか~」というのが正直なところである脳卒中後の麻痺のリハビリ、、これほど「徒労」に感じる事はないと思ういくらリハビリをしても成果はほんとんど感じる事はないいわゆるスポーツでの「筋トレ」とは全く違う、筋トレなら成果はすぐ(10日ほどあれば多少なりと変化は出てくる筋肉痛がそれである昔、身体を鍛えるために筋トレをして翌日くらいに筋肉痛がきたら嬉しくなったものだ筋肉痛=筋肉が鍛える事ができている証拠だからだでも、脳卒中後の麻痺のリハビリは全く違ういくらやっても「成果」と言えるものは感じる事はできないそれもそのはず、、脳卒中後の麻痺のリハビリは、訓練は手...
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成し難いことを成す

ある本で仏教で言われている人間にとっての「13の成し難いこと」というのを見つけた・・以下である・・1.貧しくて施すことは成し難い2.慢心にして道を学ぶことは成し難い3.命を捨てて、道を求めることは成し難い4.よいモノを見て求めないことは成し難い5.権勢を持ちながら、勢いを持って人に臨まないことは成し難い6.辱めれて、怒らないのは成し難い7.事が起きても無心でいられるのは成し難い8.広く学び深く極めるのは成し難い9.初心の人を軽んじないことは成し難い10.外界の環境に動かされないのは成し難い11.相手の能力を知って、教えを説くことは成し難い12.心をいつも平らかに保つことは成し難い13.是非をあげつらわないことは成し難いうーん・・確かに考えてみると難しい・・そして成し難いと思うところで、この身体で人の役に立つ事は成し難いことでだと自認しているがそうなりたいと思うのはおこがましい慢心なのだろうか・・