人間について

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中途障害からの克服??

中途障害を負った人は概ね以下のような段階を踏むという文章を見つけた・・・ショック期障害の発生の直後で集中的な医療とケアを受けている時です。心理的よりも身体的な苦痛が大きく、また以前と同じような生活に戻れると思っている状態です。しばしば現実に起こっていることが自分についてではないような離人症的な状態にもなることもあります。・否認期身体的な状態が安定して、障害が簡単には治らないということが本人が理解しはじめる頃です。心理的な防衛反応としての疾病・障害の否認が生じます。その否認が顕著ではなく、潜在的な場合、ケアをする人が見落として、後に大きな影響を及ぼすこともあります。「ある朝、目覚めると元の体に戻っているのではないか」というような期待にすがったり、リハビリにも熱心でなく、しばしば拒否的になることがあります。生活目標や欲求はまだ健常時と変わらず、障害者と自分とを同一視されることに強い反発を持ったり、その反面で健常者に対し嫉妬・羨望をもちます。・混乱期現実を否認しきることができず、障害が完治することの不可能性を否定し切れなくなった結果起こってくる時期です。この時期は攻撃性が高く、それが外向的・...
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HELPといえる勇気?

僕は障害を負ってからというもの人にHELPと言うのがこれほどむつかしいものだとは思っていなかった。僕は左側にモノが落ちたときには拾うことはできない。手摺の無い階段で杖がないと階段を降りることも、昇ることもできないにもかかわらず左側にモノが落ちたときに杖が手から落ちたときに「すみません取ってもらえませんか」のHELPの一言がなかなか言えなかったたぶんプライドとかこだわりのようなものが邪魔をするのだろうそんなものは心の問題に過ぎないのに・・これって仕事にも当てはまると思う「出来る人間」或いは「(余計な)プライドを持っている人間」に限って何もかも自分でやろうとする、、、周囲にHELPを求めようとしないだから周囲は何を手伝えば良いのか何に困っているのか何に躓いているのか全く分からない更に困ったことに「出来る人間」や「(余計な)プライドを持っている人間」に限って周囲は聞きにくいだから周囲が知らぬ間にもがき苦しんでいる・・今の僕もそうかもしれない・・半身麻痺お不自由さは苦しい・・でもなぜかHELPを言いにくいHELPを言うことによって多少ひとの手を取らせてしまう「迷惑?」なんかよりHELPを言わな...
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10m 7.51秒!

10m 7.51秒!何気なくポケットに入っていたリハビリテーション報告書をみたときその中に記載されていた数字だこれは僕の脳出血後の最高記録である。。毎月リハビリ病院で診察があるそのとき歩行速度をは測るのだそしてリハビリテーション報告書の中に記載され渡される・・10m 7.51秒全力でである決して50mではないこの数字を見ると何だかとっても虚しくなる・・だって中学、高校と監督にしごかれ、必死の思いで鍛えさせられた身体だったはず・・それが・・全力で10m 7.51秒・・?  そんな・・それこそ45年かけて積み上げ鍛え上げてきた様々な機能をあっという間に無にされてしまうそれが脳卒中の後遺症であるでも・・人間・・皆死ぬときは全ての機能が無になるんだいつかは消えてしまう機能そんないつかは消えゆくものに執着するから苦しむだけなのか・・それにしても長年努力して積み重ねて築き上げてきたモノを喪失するのは人間にとって辛いことには違いないそれが喪失の後に新たな何かが生まれるのならまだしも喪失だけで積み上げたものが無になるのはあまりにも辛い
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犀の角のように歩みたい・・・

原始仏教の教えで有名でだけど犀の角のように独り歩めという教え・・これは・・交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずる朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。そこに「苦」が生じる親しみにはこの恐れのあることを知りただ犀の角のようにただ独り歩め。というだから仲間も組織も或いは家族でさえも捨てただひとり人生を歩めというのだ・・でも、今の僕は人の支えを必要する身体になってしまっているそれでもひとり歩まねばならぬのか所詮人間はどこまでいっても一人・・本当に心の底から分かり合えるなんてことはないだからといって「孤独」というわけではない「人は支えあって生きている」ということはすなわち「人はそれぞれ、一人ずつ」ということそして人間は、産まれるのも1人、病気で苦しむの1人、死ぬのも1人、所詮、皆1人だとしたらお互いひとり支えあって生きていかなければ生きていけない中でも心の中だけでも犀の角のように独り歩むという心構えを持つべきなのだろうでないとこの厳しい世の中・・こんな障害者・・生きていけないのような気がする
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怒り、悲しみの原因は常に人のような気がする

僕はいったい何に怒り、何に悲しみ何に苦しんでいるのだろうふと、そんな事を考えていた確かに半身不随という不自由はつらい確かに後遺症の中枢性疼痛の痛みと痺れも辛いじゃあ半身不随やそれを引き起こした脳出血に対して怒っているのか?というとそうではない半身不随や中枢性疼痛に対して怒りや悲しみを感じているのか?というとそうではないよくよく考えてみたら半身不随という不自由になっ事によりその後、日々の生活の中で僕に起こった屈辱的な出来事または、中枢性疼痛という痛みと痺れに対する周囲の無理解(これには残念ながら医師も含まれる)そういった僕の接する周囲の人つまり人間に対して怒り、悲しみ嘆き、苦しんでいた病気そのものではなく病気をきっかけに起こった様々な「人間関係」の中に僕の怒りや悲しみが存在していたそんな事にふと気付いた例えば「怒り」というものは「人」に対して以外には起らない感情ではないだろうか車が故障したとき車に対して怒りの感情は起きない起きるとすれば、その車を作った自動車メーカーの「人」に対してか或いはそのようをメンテナンスした自動車修理工場の「人」に対して怒りを感じる事はあるだろうまた、或いはキチン...
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5年間痛いという事・・・忘れられない医師の言葉

もう・・中枢性疼痛の痛みが始まってから5年(正確には4年6カ月)だ・・こんな痛みが5年続くとうことがどういうことか想像すらできていなかったでも恐怖でもあったなぜなら予測はできていたから・・・少なくともこの痛みがいつ終わるか分からないということだけはは理解できていたある医師の言葉で・・この痛みが始まったのは脳出血で倒れ、急性期病院(倒れた直後運び込まれICUで応急処置をされた病院)を退院し回復期病院(いわゆるリハビリ病院)に入院しリハビリをして約5カ月くらい経過した頃からだった実際、この中枢性疼痛というやつは脳卒中発症当初から出る場合もあったり、脳卒中発症後半年から1年、2年経過後出る場合もあり正確には分からないらしい初めはこの痛みがいったい何の痛みか自分でも全く理解すらできなかった表現さえも不可能だったただ、左半身が不快な痛みで苦しいとしか言えなかったように覚えているこれが中枢性疼痛というものだと分かったのはずっとあと(リハビリ病院を退院後)になって自分で勉強してからのことであるたぶん医師には分かっていたのだろうと思うけど・・担当医にはそんなことでリハビリができなくては回復できませんよ...
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あらたな志・・・

この2、3日・最悪の日々であった・・けちょんけちょん・・あることで自己嫌悪に陥っていたところが不思議なもので・・自分でも僕は「マゾ」ではないかと思うくらいであるあるつながり・・それもこのブログの読者と先々週上京したときに初対面の人とのつながりから・・あらたなこ志が生まれたのである。それは・・これまでは再生可能エネルギーや環境技術の「普及」のあくまでも「支援」であったでも今度は僕自身がメガソーラーの太陽光発電所事業を「行う(経営する)」と決めた。それも九州と山形で・・資金的支援、構築支援をしてくれる人が突然現れた何年かかるかわからないけれど、(この身体だからそれほど先が長くないことは覚悟できているけれど)生きている間に必ず実現する
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障害者の能力低下の原因は心の障害かも

最近、自分自身の能力低下(判断能力、記憶力等々)が気になる。。そして、危機対応能力低下・・臨機応変な対処・判断ができない・・対人対応能力低下(つまり人とのトラブル起こし易い)いわゆる何事においても「器」が浅くなったように感じるこれ脳に損傷を受けたことによる根本的な能力低下なのだろうかと・・不安になるでもよくよく自分なりに自分をできるだけ客観的に分析してみたその結果、いわゆる「能力」そのものが低下しているわけではないのではないかという結論に今、達しつつある。それは「心」の問題が「表面的な能力の低下」に繋がっているような気がするのである僕は中途障害者であるだから先天性の障害者の方の気持ちは理解できるわけもないけれど少なくとも中途障害者である僕は、健常者の頃の自分のイメージを否が応でも記憶の中に引きずっている。これはどんなことをしても消すことは不可能だそこで日々の生活や仕事の中で過去の自分と否が応でも対比させられるそんなとき・・心の中に自己嫌悪の念がどうしても芽生える更に自分自身に対する悔しさ、悲しさ、怒り、せつなさ、そして焦りと自信喪失・・これらのネガティブな他人には表現しようのない心の苦...
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自律神経失調・・しゃっくり

一昨日からしゃっくりがとまらない・・たかがしゃっくりといっても尋常ではない全然止まらないのだ・・挙句・・胃液が喉元まで戻ってきて激痛・・これって・・そういえば脳出血で倒れて入院した急性期病院でも酷かったことを思い出した・・そのときも尋常ではなかった・・何度も何度も吐いた・・・・食べるもの全てといっていいくらい吐いた・・当時、担当の脳外科医も原因が不明で「脳出血により自律神経が何らかの刺激を受け続けている」のだろうと言ってとりあえず、鎮静剤のような点滴で眠らせられた今回、原因が分かったような気がする。。実は3日前強烈なストレスを負う出来事があったそのストレスが自律神経失調を引き起こし、しゃっくりが始まったのではないかと推測しているこうやって書いている今もしゃっくりが止まらないそのストレスとはある人の僕に対する暴言だいわゆる人格否定と言う言葉・・かなりショックを受けていたのだろう脳出血で倒れたときも脳出血という自分でも受け止め切れない病に倒れ、これから先(会社の事や家族の事)の事を考えるだけで死にたいくらいの気持ちだったそのストレスが自律神経を失調させ、(止まらない)しゃっくりを引き起こし...
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今思うこと・・

いつだって本当の気持を話そうとすると、それがいちばんむずかしくって厄介だってことがわかるとてつもなく厄介なことだってな・・夫婦の会話でも・・仕事における上司との会話でも・・病院での医者との会話でも・・本当の気持を話し伝えるのが一番厄介だ・・人はときによって、いつも自分が正しいからって、好むようには生きられないときには自分の望ましくないことにも全力を尽さなければならないことがあるものだ。自己犠牲の覚悟を持ってすれば何事にも怒りも悲しみも憎しみも覚えないなぜなら「自分を捨てる」ことができているから、そこには自我は存在しなくなるから・・どんな事にも動じず、冷静に対処することができる。人間が苦しみ、迷い動揺するのは自我の存在と自己保護の本能があるから、、それを捨てることができれば、怖いものはない恐れることも悲しむことも憎むこともないそして自暴自棄になることもない人は調子のいいときは自分のことしか考えないものだと思う。自分に不運が回ってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え見るもの聞くものが身にしみるようになる。皮肉なもんだ世の中には賢い人間...